フォーン帝国列世記
ぱのすけ
第1部:皇宮編
1章 欠陥品の姫
第1話 精道陣と皇太子
帝紀466年、
フォーン帝国
神聖な静謐さの満ちる室内に細々と流れるのは今年17歳となる皇太子・フェスタローゼ姫の上げる祝詞だ。姫は澄んだ碧眼を広げた巻物に伏せて、皇祖神にして、ローディン教の主神たるアマワタルに祝詞を一心に奏上する。
皇太子の背後で居並ぶ皇族は皇帝、皇后を筆頭に4人。それぞれに品よく姿勢を正して皇太子の祝詞を聞き入るも、皇后アスティーヌの顔には憂慮の影が差していた。
皇太子の奏上は淀みこそないものの、どこか不安定さのある調子だ。朗々と読み上げるというよりは、これで良いのか、大丈夫かと他者に問い掛けて確認しているような雰囲気があった。
僅かに目を見開いて長姉の背中を見る皇后の瞳が、ふと傍らに立つ皇帝リスディファマスの方に向く。不安そうに娘を見つめるのは彼も同じだった。夫妻の瞳が同じ思いを宿してかち合う。
小首をかしげて憂慮を示した皇后を安心させるように皇帝は小さく1回首肯した。確信のある頷き方だった。思慮深さ溢れる皇帝の瞳が笑みを灯す。皇后の口元にようやく微笑みが戻った。
両親の心配を余所に祝詞を上げ終えたフェスタローゼは、秘かに安堵の吐息をついて巻物を傍らに控える神官に手渡す。目を上げる先にあるステンドグラスではアマワタルを象徴する二重円環が燦然と輝いている。
巻物を捧げ持って退出した神官と入れ替わりに入って来た神官が恭しく掲げるのは、精道銀で作られた小振りな杖だ。杖というよりも指揮棒に近い大きさの杖を見た皇帝が小声でそっと妹姫の名を呟く。
「フェストーナ」
「はい」
答える声は冴え冴えと礼拝堂の高い天井に吸い込まれて行った。
本来ならば第2皇女のフェストーナの出て来る所ではない。しかし、2年前にフェスタローゼが皇太子となってからずっと精道法を使うところは妹姫・フェストーナの役目となっている。
進み出て来た妹、フェストーナはおしゃまな動作で肩にかかる豪奢な巻き毛をはらり、と背中に払った。その愛らしい口元に浮かんだ悪意がフェスタローゼの心の柔らかい部分に突き刺さる。
神官から杖を受け取った彼女は、フェスタローゼの前にある祭壇の一部に彫り込まれた精道陣に杖をかざそうとして、ちらりと姉姫を見上げた。そして、ぐいと肘で以てフェスタローゼを脇に追いやる。
「お姉様。もう少し脇にどいてくださらない? ここからでは届きませんわ」
表面上は丁寧だ。しかし底意に流れる侮蔑までは隠しきれていない。
フェスタローゼは反射的に妹の手から杖を取り上げて、祭壇に向き直った。
「今日は結構よ。私がやります」
「何をおっしゃってますの? 生まれてこの方、ただの一度も精道法を使えた試しがないのに。私にお任せくださいな、お姉様」
「いいえ」
頑迷に首を振って、フェスタローゼは杖を抱えこんだ。
「本来ならここも皇太子たる私の役目です。いつまでもあなたに頼る訳には行かないわ。私がやります」
「ですから!」
「おやめなさい、フェストーナ」
皇后がぴしりと割って入る。
フェストーナは皇后と次いで皇帝を見つめるも、いづれも首を振ったのだろう。滑らかな頬を強張らせて一歩、身を引いた。
「お姉様の気の済むように。どうぞ」
ふん、とばかりに下がる瞳には残酷なまでに克明な軽蔑がはっきりと表れていた。
それでも構うものか、とフェスタローゼは杖を捧げて精道陣に相対する。艶々と光る花崗岩に彫りつけられた精道陣が屈み込む皇太子を無情に見上げた。
精道陣とは万物に宿る力を利用するためのもの。平たく言えば魔法陣である。
フェスタローゼの手にした杖には精道陣を起動するための文言が仕込まれており、それを精道陣にかざすと光の精道法が発動する仕組みになっている。一般的には。
す、と杖をかざして目を閉じる。
体内を巡る精道を思い描いて、その流れが杖を持つ右手に集まる図を強く念じる。
たっぷりと時間をかけて集中力を高めた果てに、フェスタローゼは祈る思いで精道陣をゆっくりとなぞった。
今日こそは上手く行くかもしれない。
なぞる軌跡を追って、精道陣が起動するかもしれない。
青白い光がぐるりと円になる様を浮かべる思いも空しく、目の前の精道陣には何の変化も訪れない。先程よりやや速度をあげてもう1回なぞってみる。
精道陣は永遠の沈黙を守っている。
もう一度、もう一度、次こそは。
必死になぞり続ける皇太子の姿に、両脇に居並ぶ神官の列から落胆の吐息が洩れ始めた。その吐息を受けたフェストーナが一歩進み出る。
「お姉様、ここは私が」
勝ち誇ったその言い方に、フェスタローゼは杖を両手で強く握り締めてその場に立ち尽くした。
恥ずかしさと悔しさで顔も上げられない。
また今日も失敗してしまった。
礼拝堂でのこの無様な姿もまた広く言いふらされるに違いない。
伝え聞いた貴族達の冷笑を背景に、より一層得意気になるフェストーナの姿までが容易に想像されて、息も出来ない程に心が苦しくなる。
「ほら、お姉様。杖を下さいな」
「どれひとつ、お手本と参ろうかの」
更に前に出たフェストーナを押し留めて出て来たのは、皇族最年長のラハルト王子だ。
現皇帝の大叔父に当たる彼は、宮廷精道士団を率いる程の精道法の遣い手である。
そんな王子が出て来てはフェストーナも引くしかない。不満そうに唇をすぼめると元の場所に戻った。
「殿下。挑戦することは何ら恥ずかしいことではございませんぞ。私と共にやってみましょう」
ぽん、と背中に添えられた手の気安さに思わず涙が零れそうになる。
唇を噛み締めるフェスタローゼの右手を上から包み込んで、ラハルトは杖でぐるりと精道陣を一周した。
力を得た精道陣の文様が青白い光を纏って、初級の光魔法をその上に現出させる。
「ほれ、この通り」
「……ええ」
「ありがとうございます。ラハルト様」と皇帝が軽く頭を下げた。
「いや、なんの」
進み出て来た皇帝に杖を渡す。
現出した光魔法を主神・アマワタルに捧げるのは皇帝の役目だ。
父の目も見れずに、悄然と杖を渡す長姉に皇帝は何も言わなかった。杖の向こうから寄せられる強い視線を避けるようにして、皇后の傍らに立つ。
母は毅然と姿勢を保ったまま、手だけを伸ばしてそっと皇太子の背中を優しく一撫でした。
大叔父の機転も母の思いやりも。
うなだれて自分の足元を見つめる皇太子には届かない。
この真地を遍く巡る力の御筋、精道。
精道を束ね、守護する精道神・アマワタルの血を引く皇族に生まれながらも精道法の使えない“欠陥品”の姫。フォーン帝国皇太子・フェスタローゼ、17歳。
この物語は、後の世で「勇断帝」の二つ名と共に帝国中興の祖とされる稀代の女帝の若き日々を描くものである。
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