緑色の花弁
葉舞妖風
緑色の花弁
私の隣の家には長谷川さんという一人の老婆が住んでいた。ガーデニングが趣味のようで、毎朝庭先に顔を出しては登校していく息子と娘に挨拶をくれる気のよさそうな老婆だった。私の子に限らず目の前の通学路を通る子供たちからは花園のおばあちゃんと慕われる老婆だった。。
「かなり丸くなったのよ、長谷川さん。昔は相当荒んでいたんだから。当人が経験したことを考えれば無理のなかったことなんだけどね」
だから引っ越してきたばかりの時に向かいの奥さんからそう聞かされた時は少し驚いた。なんでもずっと昔に夫の浮気が原因で離婚しただとか。それ自体はありふれた話であったのだが、裁判の末に親権を手に入れた二人の息子を交通事故で失ったとのことだった。紆余曲折はありつつも、それ以来天涯孤独の身のままで今に至っているらしい。あの柔和な表情から想像もつかない過去だった。聞くまでそれを感じさせなかった長谷川さんのそれはきっと年の功というやつだろう。新居の立地や間取りに不満はなかったが、登下校の児童の話声がうるさいのが難点だと感じていた自分が急に恥ずかしくなった。私もいつかは長谷川さんのように達観できるのだろうか。
そんな長谷川さんのお庭は一面に色とりどりの花が咲いている。お花畑のおばあちゃんと慕われるに相応しいお庭だった。その中でも私がひときわ目を引かれたのは花弁が緑色の花だった。第一印象は緑色の花を見るのは初めて、むしろ存在したんだというなんとも薄いものだった。それは緑の花なんて葉や茎と区別がつかなくなって、もの珍しさを感じはすれど、綺麗だとは感じないだろうという固定観念があったからだ。しかし取り巻きの葉をもろともしない、その花が湛えている凛々しくそして優雅に咲き誇る美しい姿が目に入ると、私はたちまちその花の虜になった。
「本当に素敵なお庭ですね」
「まぁ、これだけが今の私の生きがいですからね」
私が声をかけると、長谷川さんは笑ってそう答えるのだった。
ある日私も長谷川さんを見習って、ガーデニングを始めてみようかしらと思い花屋さんに立ち寄ってみた。入店するなり、まずはホームセンターに向かうべきだったかもしれないと感じたが、長谷川さんのお庭にあるあの見事な緑の花と同じ花がおいてあるのが目について思わず駆け寄ってしまった。
「お客さん、そちらの花に興味がおありですか?」
「ええまあ、少し」
私は言い知れぬ興奮を抑えてそう返した。
「緑色の花は珍しいですからね。興味を持たれるお客さんは多いんです。しかし、残念ながら造花なんですよね、それ」
「あら、そうなんですか」
たしかに言われてみれば長谷川さんのお庭にあるものにはない、嘘っぽさが混じっている。
「ええ、その花は陽が当たらず、空気が淀んだ地底にしか咲かない花なんです。そんな暗い場所でそうやって花を咲かすかと言うと、そこに溜まった人間の嫉妬の感情をエネルギーにしているんです。人間の嫉妬は地下に潜りこんでいくものですからね」
人間の感情をエネルギーにするなんて、ずいぶんと変わった花だ。
「他の動植物が選ばないようものをエネルギーにするというのは優れた生存競争の戦略ですが、人間の感情を選ぶとは驚きですよね。しかしその反面、かなり繊細な花でして、嫉妬以外の感情を取り込みすぎると枯れてしまうんです。ですので地上では滅多に見かけない花なんですが、どうしても花束に緑色の花を入れたいというお客さんのために造花だけはご用意させていただいてる次第なんです」
緑色の花弁 葉舞妖風 @Elfun0547
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます