第34話 出会っていなければ、こんな風だったはず

「……………………十時……こりゃダメだな、今日も……」


 寝ぼけ頭で目覚まし時計を見ると、午前十時。というか既に十一時の方が近い。

 今日は平日、つまり完全無欠に遅刻である。


 諦めとダルさで枕に顔面をつっぷした後、ゴロリと仰向けに寝転んで天井を仰ぎ見る。


「ぁ~……人生って、やっぱダリぃ」


 目を閉じると何故だが走馬灯のように自分の人生を思い出す。まぁこのところ毎日こんな感じなんだけれども。

 そうして思い出に浸っている間に、いつのまにか意識を夢へと奪われていく。


 華恋とエリカが出ていってから、もう一ヶ月近くが経とうとしていた。




 再び起きると、もう時間は午後に針を進めていた。


 今から学校に行っても精々帰りのホームルームに間に合うかどうか? ってなところだ。

 サボってしまいたい気持ちでいっぱいだが、ここ四日くらい連続で休んでいるのでそろそろ出席しておかないと出席日数がヤバイのでは? という気もしてくる。


「ま、別に進学する気もないし、どっちでもいいことではあるけどなぁ……」


 高校に通っているのも、泉堂先生に『高校までは通うこと』を約束しており、それが力を貸してもらう条件の一つだったからに過ぎない。


 だから、卒業さえできりゃー細かいことはどうでもいいのだ。

 とはいえ。


「出席日数不足で留年、なんて勘弁だもんなぁ」


 どれくらいで留年までいくのかよく知らないが、なったら面倒極まりない。

 しかたなく、俺は風呂で熱いシャワーを浴びて目を覚ますことにした。




 学校へ到着すると廊下はシンと静まりかえり、教室からは教師の話し声が聞こえてくる。

 明らかにホームルームの最中だ。コツコツと自分の歩く音だけがよく響く。 

 

 教室に入ると一瞬場が静まりかえり、クラスメートからは奇異の視線、教師からは呆れか怒りかが籠もった視線を向けられた。

 が、無視して席に着く。

 出席日数だけもらえればいいのだから、別にこの部屋での立場なんてどうでもいい。


 視線の中に華恋のものが混じっているのは、分かっていた。

 一人だけ奇異でも呆れでもなく、心配そうな視線を送ってきてるのも、分かっている。


 二人が家を出ていった後、学校で会った時の華恋は最初からそんな感じだった。

 心配そうな、何か言いたそうな表情、視線。

 でも、学校で大っぴらに話しかけると俺が迷惑すると思っているからなのか、決してそれ以上踏み込んではこない。


 それでいいと思った。

 彼女たちとの縁は、本来この程度であるべきなのだ。


 いずれ学年が上がればクラスも替わるかもしれないし、そうしたら更に疎遠になる。

 卒業してしまえばそれっきりになることだろう。


 それまでこの視線に耐えれば、それでいいのだ。

 まぁ少しばかり居心地が悪くて、学校をサボり気味になってしまってはいるが……全ては時間が解決してくれる問題に過ぎない。







 家に戻った後、リビングの椅子に鞄と脱いだ制服を放り投げて、ソファーで横になった。


「疲れたぁ」


 何もしていないのに妙に疲労感があった。


 徒労感、というやつなのかもしれない。

 ついで空腹感。

 当り前か、今日は起きてからまだ何も口に入れていない。


「なんか食えるもんあったっけなぁ?」


 冷蔵庫の中を見ても当然のように空っぽだった。


「はぁ。コンビニか」


 ちょっと前まではやたら美味い飯にありつける環境だったので、正直コンビニ飯の連用はテンションが下がってしかたがない。


 なまじ暖かい出来たての食べ物に慣れてしまうと、一人暮らししていた時には当り前だったレトルトやらの食事が妙に貧相に思えてしょうがないのだ。


「ま、贅沢は言ってらんないわな」


 そう、贅沢な泣き言だ。どうせまたいずれ慣れる。

 人は慣れる生き物なのだ。良くも、悪くも。


 帰ってきてまたすぐ出かけるのは面倒だったので、不満を訴える腹を無視して部屋に戻り、取りあえずゲームをつけた。


 無心になるには、ゲームが便利だ。黙々と時間を忘れてプレイすることができる。

 もっとも、無心になることそのものに重点がおかれてしまっているせいなのか、最近のプレイは精彩を欠いてしまい、どんどんオンラインのランキングは下がっていくけど。


 それでもとプレイを続けていたが、勝てもしなくなったゲームをやり続けていると偶に空しさが津波のように押し寄せてくる。


 まるで心の中に穴があって、ソコにあらゆるものが押し流されて落ちてゆくような。空虚で、どうにもならない感情だけが空回りする瞬間が訪れるのだ。


 ゲームパッドを放り出し、ベッドに寄りかかった。


「はぁ……。慣れだよ、慣れ。しばらくの辛抱、ってな」


 他人と同居するだなんていう不慣れな生活をしていたせいで、感覚が狂ったのだろう。


 一人の暮らしに心が馴染むまで、少しだけ時間がかかる。それだけのことだ。

 この程度で参っていたら、これから先の人生数十年なんてとてもやってはいけない。


 ずっと孤独で退屈な俺の人生は、やっていけない。


「よしっ。飯でも買いに行きますか」


 腹が減っていると余計に弱気になるばかりだし、と、重たい腰を上げた。







 近所のコンビニから出ると、既に辺りは暗くなっている。


 ほとんど部屋着みたいな姿のままでブラブラと歩き、家に帰り着き、玄関を開けた。


「……ん?」


 見慣れない靴が置いてある。

 この家の合鍵を持っているのは今は一人だけ。つまり、この靴の主もその人ということになる。


 緊急時に必要でしょ! と言われて半強制的に渡してあったのだが、何か緊急事態でもあったのだろうか?


「あ、帰ってきたわね。おかえり。どこに行ってたの?」

「コンビニですよ。今日は何の用ですか? 東さん」


 リビングに入ると、東さんが机に座っていた。

 マジで何しに来たんだろう?


「何か用がなくちゃ来ちゃいけない?」

「いけなくはないですが、用もないのに俺の家に来るほど暇じゃないでしょう?」

「それはそうね」


 東さんはあっさりと頷いた。

 俺も、彼女の対面の椅子に座ってコンビニ弁当を取り出す。


「ほんと忙しいし、御飯作ってくれるメイドさんとか雇いたいわぁ。で、どうなの? 実際にメイドさん雇ってた身としては?」

「家事手伝いです。どうって言われても、まぁ家事とかは助かるんじゃないですか?」

「少なくとも、そうやってコンビニ弁当を嫌そうに食べることもないし、って?」

「別に嫌じゃないですし。美味しいもんですよ、これはこれで」

「ふ~ん」


 東さんは薄く笑ったまま、弁当を口に運ぶこちらを眺めている。


 確かにこの焼き肉弁当はやたら味付けが濃いし、最後の方は飽きてきたりもするけど。

 誰かさんの作った飯のようにいかないことも、重々承知しているけれど。


 だからといって、ここでそんな泣き言をこぼして何になる。


「このジャンキーな味をコーラで流し込むのが最高なんですよ」

「不健康ね」

「別に、長生きしたいとは思いませんし」


 口に頬張ってはジュースで流し込んでいる俺を見て、東さんはため息を一つついた。


「思った以上に酷いことになってるわねぇ。部屋の中もぐちゃぐちゃだし、流しは禄に使わず放置されてるし、家中掃除も全然してない。しかも、学校もまともに行ってないんですって? 担任に問い合わせたわ」

「……んな勝手に人の」

「私は泉堂先生にあなたのこと頼まれてるのよねぇ。少なくとも高校までは真面目に行かせろ、って。保護者とまでは言わないけど、口ぐらい出したっていいでしょ?」


 そう言われると反論はできない。

 まぁ東さんが善意で言ってくれているのは理解しているので、元々反論するつもりはあんまりないんだけれども。


「学校のことも家のこともそうだけど、このままで本当に将来どうするつもりなの?」

「将来? 別に、どうもしませんけど」

「金ならある、って? そんなのいつどうなるか分からないのよ? それとも、お金がなくなったらまた得意のギャンブルで稼ぐ?」


 ギャンブルで、か。


 泉堂先生がいない場所で金のかかったギャンブルをすることは禁じられている。

 それがあの人との約束だった。


 まぁ自分が死んだ後のことまで含めて言っていたのかどうかは実際のところ分からないので、微妙なラインの話なんだけれども。


「どうですかね。でも、将来どうなるのか分からない、なんてのはどんな人間だって同じですし。人生、ダメになったらその時はその時でしょう」

「やりたいことが突然できたら? 守りたいものが唐突に現れたら?」

「普通の人がどうなのかは知りませんが、俺にとっての人生ってのは諦めるものです。その時は、諦めて、慣れるだけ。それが賢い生き方ってもんでしょ」


 どんな人間もいずれ必ず死ぬ。

 数々のリスクを背負って生きて、感情を無駄に波立たせて、結局最後は死ぬんだ。誰もが平等に。


 それまでに家族を作るなり子供を作るなりするのが、世間では幸福の一つの基準だか指標らしい。それくらいは俺だって知っている。知識としては。


 でも、俺は家族なんてもの欲しくはないし、夢もなければ目標もない。

 なら、何もしないことこそが最もリスクが低くて効率がいいのだ。


「賢い、かぁ。君の言うことが正しいのなら、人生っていうのは随分と味気なくて、その癖リスキーなものね」


 事実、その通りだと思う。


 人生なんていうのは、大したリターンもない癖に大きなリスクを背負わされる、とんでもなく悪質なギャンブルで。しかも強制参加ときている。


 俺は、それを人より少し早めに知ることができただけ。


「なら、リスクになると思ったから、二人を追い出したの?」


 二人――神代華恋と神代エリカ。


「リスクも何も、それが普通でしょう? あいつらには家族がいて、一緒に住むのが自然。むしろこの家にいることが不自然だったんですよ」


 なんで他人同士である俺ら三人が一緒にいることにこだわる必要があるのか。


 そんな異常な生活になんであの姉妹を、家族を巻き込めるっていうんだ。


「……ねぇ、君はさ、自分は普通の人間とは違うって言ったわよね?」

「え? 言いましたっけ?」


 あっ? あぁ。『普通の人がどうなのかは知りませんが』ってやつか。

 確かに、自分は普通じゃないって意味になるのかもしれないな。


「あ~、言ったかもですね。まぁ、俺は普通じゃない、なんて物言い、東さんからすればいかにも子供っぽくてバカバカしいかもしれないですけど」

「いいえ。あなたの生き方が一般的な社会のありかたからは外れ気味、という意味において、そう間違った認識はしていないと思うわ。私が言いたいのはそこじゃなくて」


 おや? 思ってもみない肯定のされかたをした。

 東さんは、困ったような表情で言葉を繋ぐ。


「あなた、自分のことは普通じゃないと思っているくせに、あの二人には普通であることを強要するのね?」

「ッ――」


 あいつらに『普通』を強要した? 俺が?


「別に、そういうわけじゃ」

「だって、普通は親の元で暮らすものだって、君が判断して君が決定したんでしょ? 雇い主は君だから別にそれが悪いとは言わないけれど。でもそれって、あなた自身も普通であることがより良いことだと思ってるって証左じゃないの?」


 普通であること。一般的で、社会的で、道徳的であること。――正しいこと。


 それらが人生を幸せにしてくれるわけでは、決してない。

 でも俺は彼女達にそれを半強制的に押しつけた? それは、なぜだ?


「……あいつらは、普通にだって生きていける。俺に付き合って人生を狂わせるのは、頭のいい生き方じゃない」

「あなたの人生は、賢い生き方なんじゃなかったの?」


 東さんの表情は困ったようにも見えて、悲しそうにも見えた。

 それでも、視線だけは俺を真っ直ぐに捉えて放さない。


 それなりに長い付き合いだ。

 彼女が何を言わんとしているのかは、多分分かっている。


「流石弁護士、揚げ足を取るのが上手いですね」

「茶化さないの。で、どうなの?」


 降参、のように両手を軽く上げた。


「おっしゃる通り。俺の人生は多少問題がある、認めます。だからこそ、あいつらみたいな人間は巻き込めない。だけど、俺はそんな人生に満足してますから」

「ふ~ん。君、賭けにはあんなに強いのに、人生ではとことん消極的ね」

「リターンが少なすぎて賭ける気にもならないだけです」

「あっそ。なら、残りの人生、じっくり負け越していくといいわ。この家で一人、平穏で退屈で退廃的な生活を続けて、いずれ本当の一人になるまで」


 一度も勝っていない、どころか、一度も挑戦しない人生は、必ず最後には負け越す。


 ジリ貧もジリ貧。

 流石、東さんは俺のことを、俺の人生をよく理解している。


「……えぇ。そうします」




 東さんが帰った後。

 もう一度ゲームを付けたけれど、五分も経たずにやめてしまった。

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