6章 誰の人生にも何度かは訪れるんだ
第33話 借金完済のお知らせ?
「そう、ですか。分かりました。連絡ありがとうございます、東さん」
珍しく電話がかかってきた。旅行の時以来だろうか?
なるほど、確かにこれは連絡の必要があるわな。
うちに固定電話はないし、あの二人は電話を所持してない。つまり俺しか連絡先はないのだから。
『本当に分かってる?』
「分かってますよ。神代たちの母親が退院する日取りが決まったから、それを伝える。なら、後は予定通りにするだけです」
『本当に、いいの?』
「そりゃそうでしょう。これで元通りってことで、めでたいじゃないですか」
『……あっそ。なら、好きになさいね』
東さんからの電話が切れた。
「退院か」
彼女らの母親はどうやら初めての入院ってわけでもなかったらしい。
まぁ今回は特別に長い期間の入院にはなってしまったようだが。
姉妹二人で定期的に見舞いにも行っていたから、そろそろ退院できるかな? というくらいはなんとなく分かっているはずだろう。
なら、今回は決定した日を伝えるだけだ。
「うん。めでたいことだよな」
ケーキでも買ってくるべきだろうか?
なんか違う気がする。退院祝いには何が適当なのか、ネットで調べておくことにした。
珍しく自分で煎れたお茶を飲んでいると、二人一緒に風呂から出たらしい姉妹が同時に寝間着姿でリビングに入ってきた。
そこで、東さんからの電話の内容を伝える。
「えっ? 退院の日が決まったんですか?」
「あぁ。俺と東さんを連絡先って事にしていたが、東さん経由で連絡がきてな」
「よかった~! ママ、治ったんだっ」
「そういうことだ」
ほっとした様子の華恋と、嬉しそうなエリカ。
二人ともさほど驚いた様子はないので、やはりそろそろ退院なのは察していたのだろう。
「でな。新しく住む場所は東さんと探しておいたから。荷物とかも段々纏めておいてくれ」
「え? それって……」
「どういう、意味? お兄さん」
どうって、そんなに難しい話はしちゃいないと思うのだが。
「母親が退院したんなら、一緒に住む場所がいるだろ。前のとこより安くて広い場所探しておいたよ。東さんのツテでな。最近の風潮もあって敷金礼金もナシ。かるーく事故物件だけど、まぁそこは気にするな」
「いや、それはちょっと気にならないこともない……ってそうじゃなくて! それって、この家を出てけってことなのっ?」
「おかしなことを言う奴だな。母親が戻ってきたんなら、帰るのは当然だろ」
今の状態が異常なのだ、本来。
保護者が戻ったのなら――家族がいるのなら、一緒に過ごすのが自然。
きっと、そうであるはずなのだ。
「私たちは誠一郎君に恩を返す為に来た、それは今もそうです。借金のことだって、まだ」
「恩は完済だよ。ほれ」
テーブルの上に、東さんに作ってもらった仮の給与明細を放り投げる。
「………………なんですか、これは?」
「見たまんまだ」
「こんなのおかしいですっ。金額が法外すぎます。こんな短期間で何百万も稼げるはずが」
「あるさ。二人分の給与だしな」
更に残業手当、深夜勤務手当、法定休日手当なども含めて高額になるよう計算してあるはず。
頼んだ東さんは呆れた顔をしていたけれど、変に真面目な華恋にはこういうものを見せておくことで一定の説得力が発生すると思ったのだ。
いつかこんな日が来ると思って準備していた。
……というのは嘘だな。最初はただ金で解決できる関係を維持する為に、俺自身の自己満足の為に東さんに頼んでおいたものだった。
でも、今はこいつを準備しておいて良かったと思っている。
さっきの、母親が退院できると知った時の二人の表情――。
もうすぐ退院できると察していてもなお、少し涙ぐむくらいには嬉しそうだった。
今の神代たち家族はもう借金に悩まされることもなく三人で暮らしていける。
そこに俺が変な形で加わるのはただ邪魔なだけだ。
ならばこうして可能な限りわだかまりなく送り出してやるのが、雇用主としての最後の役目だろう。
「あたし、今よりも距離取ったら嫌だって言ったじゃんっ! もっと頑張るって……言ったのに……! なんでなのお兄さんッ!」
いよいよ我慢できなくなったように、一歩踏み出して激高するエリカ。
その少し後ろで、華恋は静かに俺のことを見つめてくる。
「距離って、別にこれで絶縁するわけじゃあるまいし。これからは普通の同級生とか友達としてよろしくってだけの話だよ」
「それが距離取ってるって言ってるのっ。あたしらはお兄さんにとってただの友達だっていうの!?」
「そんなこと聞かれても分からねーよ。どの程度までが友達か? なんて俺にもよく分からん。でも、少なくとも今みたいなおかしな状態はお互いの為にも終わらせるべきだって言ってるんだ。それに、退院したばかりの母親を一人にするつもりかよ?」
「そんなのっ、交代で帰るとかいくらでもやりようが――」
もう一歩俺に踏み出そうとしたエリカの腕を、華恋が掴んだ。
「お、おねーちゃん?」
「……荷物、纏めましょう。引っ越しとなったら色々と準備が必要ですから」
「そんな、おねーちゃんはそれでいいのッ?」
「エリカ、落着いて」
華恋は妹を力強く引き寄せると、自分よりも背の高い彼女の頭を優しく抱きしめた。
「誠一郎君が精一杯、私たちの為を思って考えてくれたんです。今は、甘えさせてもらって、母さんの傍に帰りましょう」
――少しの逡巡の後。
華恋に抱かれていたエリカの頭が、無言で頷いたのが分かった。
「誠一郎君」
華恋がエリカを開放して、俺の真ん前に立った。
「私たち、帰ります。でも、覚えておいてほしいことがあるんです」
「……なんだ?」
「私は――私とエリカは、君の想像以上に、君のことが大好きだってこと」
少し微笑んだ、華恋の透き通った様な表情は、息をのむほどに綺麗で。
またしても俺は、何も言うことができなかった。
数日後。華恋とエリカから合鍵を手渡された。
出ていくまでの数日は禄に会話もなくて、まるであいつらが家に来た最初の頃を思い出すようだった。
けれど別れ際、母親の退院祝いにと花屋で買っておいた花束を渡した時には、華恋もエリカも不思議な表情で笑って。
「誠一郎君は、本当に困った人ですね」
「ほんと、困った誠お兄さんだ」
などと、よく分からないことを言ってから、背を向けて去って行った。
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