第32話 <間話>姉妹会議その三
「あぁ~やっぱお風呂はいいねぇ。温泉には敵わないけど我が家のお風呂もいいもんだ~」
「我が家、は違うでしょう。ここは誠一郎君のお家ですよ?」
温泉旅行から戻りしばらく経ったある日の夜。
神代姉妹は二人で風呂に入っていた。
光熱費の節約の為ということもあり、姉妹二人で風呂に入ることもあるのだ。
因みに、旅行の終わり際は姉妹そろって誠一郎に対し少々過激な行動にでたこともあって、バタバタとしたまま過ぎていった。
お互いに色々と気まずい部分もあったのか、電車の中の会話も少しぎこちなかったくらいである。
もっともエリカに関してはいつもと大差なかったのではあるが。
「えぇ~、もう半分我が家みたいなもんじゃない? あたしは不思議とそんな感じする~」
湯船に浸かっているエリカがふにゃふにゃとした表情で喋る。
洗い場で体を洗っていた華恋は、泡を落とした後で頷いた。
「確かに、そう感じますけど。それは誠一郎君が色々気を遣って住みやすくしてくれているお陰だと思いますよ? だから、親しき仲にも礼儀ありです」
「お風呂に突撃して裸で抱きついたおねーちゃんに礼儀って言われてもなぁ~」
「あ、あれはッ……その、致し方ない事情といいますか……」
「破壊力が強すぎたのか、誠お兄さんぶっ倒れちゃうしさぁ。まぁお陰で膝枕できたのは良かったけどね~」
「うぅ……いえ、後悔はしてない、してないんです。一歩踏み出した事実が大切なんです」
ブツブツと自己の行動を再評価している姉を、妹はクスクス笑いながら眺めている。
「おねーちゃんは案外と常識外れっていうか、一度腹が決まるとトコトン突っ走る感じだよね~。サイコパスっていうの?」
「わ、私、サイコパスなんですかね……?」
「割とそう思う。まぁ、サイコパスってやつの詳しい定義とか知らないけどさ」
妹の証言に衝撃を受ける姉。
なんだかんだ常識人だと自分のことを評してきたので、最も己を知る相手にサイコパス扱いされるのは流石にショックだったようである。
「別にいーんじゃない? あたしも誠お兄さんに、訳分からなくて意味不明な奴だ~って言われたし。流石姉妹、どっちも変わり者~ってことだよね」
「それ、全然良くはないのでは?」
「そう? でも可愛いから大丈夫って」
「誠一郎君がそう言ったんですか?」
「いや、あたしからお兄さんに言った」
「全然ダメじゃないですか!」
体を洗い終えた華恋が湯船に入り、二人分の体積が水を押し出して溢れる。
狭くなった湯船の中で、向かいあって座るあきれ顔の姉にエリカは答えた。
「ダメじゃないよ、多分。誠お兄さんにはきっと、あたしらみたいな訳分からない奴があってるっていうか、ちょーどいいんだって」
「それって、どういう意味です?」
「ん~なんていうの? ほら、お兄さんはさ、昔にいっぱい辛い思いをしてきてるわけでしょ?」
「……そうですね」
誠一郎が旅行先にて聞かせてくれた過去の話。
華恋には思い出すだけで、心をワイヤーか何かでギチギチと締め付けられているような感触があった。
華恋自身も家族の思い出は決して明るいものばかりではない。だが、だからこそ、誠一郎が今の誠一郎になるまでの過程がいかに辛いものだったのかをリアルに想像してしまう。
「誠お兄さんは、もう普通には人を信じられない。なら、あたしらみたいな普通じゃない奴が向いてるんだよ。あの人にはあたし達が傍にいてあげるのがいいの、絶対そう」
「絶対って。っていうか、普通じゃないって」
「だって少なくとも普通の人は全裸で」
「それはもういいですからっ」
半目で妹を睨んだあと『はぁ』とため息をつく華恋。
「傍にいてあげる、なんて上から目線にはとてもなれません。だって、それはむしろ私の願望なわけですし」
「ん? そりゃそうでしょ。あたしも一緒にいたい。だからWin-Winってやつじゃない?」
両手でピースを作りながら小首を傾げるエリカ。
何故Win-Winのサインがピース? と疑問に思いつつ、違うことを華恋は妹に問うた。
「Win-Winといっても、傍にいるのって現実的には色々と難しいとは思うんです。何しろ誠一郎君があの調子ですし、一生このままというわけにも……」
姉の言葉を聞いて、妹はニコニコと笑みを深くした。
そんなエリカを見て華恋は不思議そうに聞く。
「なんです?」
「え? おねーちゃん、さらっと一生一緒にいる気なんだなぁって。おにーさんの傍にさ」
「ッ――――!?」
華恋の顔は風呂に入って上気していることを差し引いても真っ赤になった。
が、あっという間にその熱は冷めて、真剣な表情へと変わる。
「私、いつの間にかそういう前提で考えて……いえ、でもこれは、この感情は……?」
姉が自問自答を始めてしまったのを妹は黙って見守る。
エリカにとって、華恋が思考に没頭してしまうのは割とよく見る光景なのだ。
それゆえ華恋が今、何をどういう思考プロセスで考えているのかもなんとなく分かっていた。
「おねーちゃんさ、誠お兄さんといずれ結婚とかしちゃえばいいんじゃない?」
「けっこん? 結婚、ですか」
「うん。男女がずっと一緒にいるって、それが一番普通じゃないかな? だって、そうしたら家族になれるわけでしょ」
「確かに、一般的な流れですが」
エリカは、姉の思考を誘導する為のタイミングを見計らっていた。
華恋がどういう種類にせよ、誠一郎に好意を持っているのは確実。なら、結婚を選択肢に入れてしまえば高確率でそちらに考えが寄る。
華恋と誠一郎が家族になれば、エリカ自身も二人の傍にいやすい環境が整う。
そうなる為の最初の一手として発した『結婚しちゃえば?』だった、のだが。
「ダメですね」
「へ? な、なんで?」
「一番普通で一般的ということは、先ほどの話からすると、誠一郎君相手には一番向いていない方法ということになります」
「えぇ!? そーとっちゃうのっ?」
姉の思考は、時たまエリカの予測を大きく飛び越える。
(誠お兄さん絡みの時は特にぶっ飛ぶなぁ、おねーちゃん)
冷や汗のようなものを感じつつも、姉の言葉を黙って聞くほかないエリカ。
「確かに結婚すれば家族です。でも、誠一郎君にとって家族はトラウマで、最早信じるに値しない存在なのかもしれません」
「そ、そりゃそうかもだけどぉ~」
「更にいえば、私はエリカとも一緒にいたいので、ただ私が誠一郎君と結婚できればいいというのは浅慮な判断です」
「ええぇ……そりゃあたしだっておねーちゃんと一緒にいたいけどさぁ」
姉の思考が完全に自分の想定の範囲から外れてしまったので、エリカも本音をそのままぶつけることにした。
「ってかさ、ぶっちゃけ二人が結婚しても、あたしは傍にいるつもり満々だったんだけど?」
「それは、誠一郎君を誘惑して浮気相手に収まるということですか?」
「……さ、流石に今からそこまでは考えてないけど。え~っと、もし仮にそうなったら、ガチでやばい?」
「やばいですね、法律的に言えば。確か肉体関係を持ったら民法上では浮気です。ただまぁ私が訴えない限りはどうにもならないので、エリカが相手なら問題ないともいえます。子供が生まれたりすると問題が複雑化する可能性はありますが」
問題しかない発言をしつつも、華恋の表情は至極真面目だ。
あたしの姉ってばスイッチが入るとやっぱバチバチのサイコパスだなぁ。
と、エリカは自分を棚に上げて感心してしまった。
「しかし、どう考えても誠一郎君に向いてるとは思えないです。結婚にしろ浮気にしろ、負担をかけてしまうに決まってますし。そういう意味でも普通の家族を目指すのは違う気がします」
「ははぁ。普通の家族以外の選択肢かぁ。そう聞くと一応ちゃんとした考え、なのかな?」
「勿論です。なので目指すのは、一般的な家族という枠組みにとらわれない関係の構築。元々結婚は家族構築をやりやすくするための法律上の契約に過ぎません。誠一郎君を絶対に逃がさない為にはそのやり方は不適切です」
「お、おぉう、なんか怖い話になってきたね……。でもあたしも逃がしたくないっ」
法律的な方法に頼らずに、相手を逃がさない関係性を探す。
この会話を誠一郎が聞いていたら、色々な意味で真っ青だったことだろう。
「で、どうしたら結婚という関係に頼らずに誠一郎君を捕まえられるのか? というとっ」
華恋はザバァッ! とお湯から立ち上がって。
「いうとっ?」
「――――さっぱり分かりません」
困った表情で項垂れた。
「…………分からないかぁ」
エリカからすれば、そりゃそーだ、といったところではある。
何しろ、そんな関係がそこらに転がっているくらいなら、誠一郎だって一人で生きて行こうなどと決意することもなかったかもしれないのだから。
「私たちなりにオリジナルな関係を目指して日々努力するという他ないのかもです」
「よく分かんないけど、あたし達らしい関係ってこと?」
「平たくいえば、そうです。どの道、誠一郎君が社会に背を向けて生きていくと決断している以上、普通の人生は望むべくもありません。共に歩むのならば、私たちにも覚悟が必要ということでしょうね」
「覚悟……かぁ」
エリカは自然と天井に目をやりつつ考える。
まともで、一般的で、普通の、常識的な大人になる未来。
学校を卒業し、どこかに就職し、誰かと恋仲になって、いずれ結婚して子供を産む。家庭を持ったら、死ぬまでソコで頑張って。孫に囲まれて老衰で死ぬ?
「う~ん。あたしは覚悟いらないかなぁ」
「え?」
「だって、あたしも普通で常識的な人生って無理そうだし。あんま興味もないしね。だから、誠お兄さんと一緒におかしな人生過ごすことに覚悟はいらないかなぁって」
「なるほど。なら、比較的普通な私が二人を社会の色々なものから守る役目ですかね」
「いや、おねーちゃんも全然まともじゃないからね? そんな覚悟いらないと思うよ?」
妹に笑顔でまともじゃない宣言されて、少しだけ怯む姉。
だが、すぐに気を取り直して湯船に浸かり直す。
「分かりました。ならまともじゃないなりに、誠一郎君をきっと幸せにしてみせます」
「お、おおぅ……おねーちゃんは偶に男前っていうか、ストレートだなぁ。あ、でもさぁ」
「はい?」
「そもそも結婚とか色々勝手に言ってたけどさ。誠お兄さんが、あたしらとそこまでして一緒にいたいのか? って問題があるよね、普通に」
「………………それは、確かに」
姉妹が根本的な問題にぶち当たっていた頃。
誠一郎の自室では、滅多に鳴ることのない電話のコールが鳴り響いていた。
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