第31話 因みに浴衣のみでした

 ふと意識が戻って、ゆっくりと目を開ける。


 眩しい照明光の中に人影が見えた。

 あと、なんか後頭部が柔らかい。


「お、目ぇ覚めた?」


 覗き込んでくる人影。


「…………え、りか?」

「エリカでーす。そして今お兄さんはエリカちゃんの膝の上でーす」


 あ、やっぱり。そうだよね、これ膝枕ってやつだよね~。


 あ~もうっ――。


「お前ら姉妹は本当なんなの!?」

「どうどう、興奮しな~い。おねーちゃんの裸に続いてエリカちゃんの太ももってのは確かに刺激強いかもだけど、落ち着いて? まだ起きたばっかだし、鼻血でちゃうよ?」


 誰のせいだと思っているのかっ。


 膝枕もそうだけど服装もやばいんだよ! 旅館の浴衣は薄いんだぞっ? そんなんで膝枕したらこう、色々やばいんだって!


「と、とりあえず枕は礼を言うけどこういうのは」

「あ、まだダメ」

「ちょ!?」


 起き上がろうとしたら両手で頭を押さえ込まれた。

 エリカの太ももに後頭部を押しつけられているわけで、いい加減本当に鼻血がでそうだ。


「一体俺をどうしたいのお前らは?」

「え~? 寝かしときたい、かな? すぐ立ち上がるとまだ危ないかもだし」

「そうじゃなくてっ。全体的に! 姉は風呂場に突撃してくるし、妹は薄着で膝枕するし、なんなのよ? なんのつもりなわけ?」

「なんか喋り方ちょっと女子みたいになってるよ誠お兄さん」


 一旦男を忘れた方向性にテンションを転換しないと理性があぶないの!


「んー。なんのって言われてもなぁ。そりゃ、好きだからじゃない?」

「ッ――す」

「好きでもない男子相手に膝枕とか裸で突撃とかしないでしょ。常識的に考えて」


 常識的な奴は多分、薄着膝枕も全裸突撃もしないけどな!


 ただ、今はそんなことはどうでもいい。


「す、好きって、お前、それは……」

「あれ? もしかしておねーちゃんは言わなかったの? あたしらは誠お兄さんといるのが好き。大好きだって」

「それは、言ってたけど」

「今のところはそれだけだよ。別に恋人になれとか、責任とれとか、そーゆう意味じゃないから大丈夫。安心安心」


 何が大丈夫でナニが安心なのか一切理解できねぇ。


 でも、エリカも華恋も今の生活をとても気に入ってくれているということだけは、かろうじて理解できた。


「確かに、俺には恋人も結婚もできるわけないし、とれる責任なんて何も無いけどな」

「そうなの?」

「そうだよ。人を信じるのが怖いような人間が、ずっと一緒にいる約束や契約なんてできるはずないだろ」

「誠お兄さんは、今もあたしらのことを信じられない? 全然?」


 エリカの質問は悲壮感や怒りが籠もっている風ではなかった。

 ちらりと見れば、彼女は薄く微笑んですらいる。


「……いいや。信じてるよ、現時点ではな。でも、来年は分からない。例えば五年後、十年後。時間が経って変わらない人間なんていないんだ。俺も含めてな」


 まして、俺の親は『あんな』だったのだ。

 自分がこの先どんな人間になるのか? 期待などできるはずもない。


 エリカや華恋に裏切られるのが怖いだけじゃないんだ。

 何より、俺自身が彼女たちを裏切ってしまうことが……恐ろしい。


 だから、きっとこれ以上距離を詰めるべきじゃないんだよ。俺とお前らは。


「ふ~ん。心変わりってのはそりゃあるかもね、人間だし。でもさ、あたしは頑張るよ? 誠お兄さんに信じてもらい続ける為に、頑張る。おねーちゃんだってきっとそうする」

「……俺にそこまでする価値はねぇよ」

「ううん、あるよ。例えなくても、頑張ってそこまで来てよ。だって、あたしらはお兄さんがいいんだもん」


 抽象的なエリカの言葉。

 その分ストレートに心に侵入しようとしてくる、彼女の願望と欲望。


「他にいくらでも男なんているだろ。俺よりいい男なんてごまんとな」


 俺には勿体ない、というのは綺麗に取り繕いすぎか。

 俺なんぞの為に彼女達の人生が浪費されることにこちらが耐えられない、が正しいかもしれない。


 我ながら後ろ向き過ぎる考えなのは承知しているけれど、そう思ってしまう自分を変える術を俺は知らない。


「他のいい男? 他人の借金を突然全部肩代わりしてくれるような人がいるって?」

「そんなのは偶々その場で金があったからだ。金持ちのイケメンでも探せばいい。お前なら楽勝でゲットできるよ」


 エリカはクスクスと笑う。

 一体、何がおかしい?


「お金もってるだけじゃヤダね。他人のあたしらが風邪引いたら看病してくれて、悩みとかも聞いてくれて、優しくしてくれる人じゃないとねー?」

「金持ちで優しいイケメンなんていくらでもいるよ、きっと」

「それだけでも嫌。あたしはね、ちょっと捻くれてる人がいいの。可愛いもんね? でも根はバカ真面目じゃないとダメ。それでいて痛みに敏感で、心が繊細な人がいい。んで、一緒にゲームして遊んでくれて、毎日あたしの料理を食べて、偶に褒めてくれて。そういう人を紹介してくれるなら、そん時は考えてあげてもいーけど?」


 逆光の中、エリカが余裕の笑みを浮かべてこちらを見てくる。


 ――どう? まいった?


 などと、そんなことを言外で言ってきているような顔だった。


「……お前、男を手玉に取る才能あるぞ。絶対」

「だったら誠お兄さんが犠牲者第一号かな? でも、二号はいらないなぁ」

「どうだかな」

「あ~、お兄さんあたしが悪女っぽいとか思ってる? そもそもさっきは男がどうのこうのっていうから答えただけで、別にあたしは男好きとかじゃないからねっ」


 そりゃ、中学生から『男好きです』って言われる方が嫌だが。


「あたしね、おねーちゃんっ子だったからさ。別に女が好きってわけじゃないけど、男子にも大して興味はなかったんだ。誠お兄さんも男だから一緒にいたいんじゃないよ? あなたが、あなただから」


 …………あぁ、本当に、この姉妹ときたら。


「家族、とはちょっと違うかもしれない。けどね、あたしは一緒にいて、楽しいことがしたいだけ。そんで、辛い時はこうしていたいだけ」


 エリカは膝枕をしたままに、屈んで俺の頭を抱え込んだ。


 光が消えて、エリカの香りと体温に包まれてしまう。


「勿論、もしあたしが辛い時は誠お兄さんとおねーちゃんがあたしにこうする番。ね?」


 なるほど、辛い時は姉にこうやって抱きしめられてきたのかもしれない。

 確かに、妙に安心してしまう感覚があった。


 同時に、心臓はやたらバクバクと早鐘を打っているのだけれども。


「エリカ、熱い」

「え? あっ、ごめんっ。なんか抱き心地よかったから、つい」


 抱き心地って。ぬいぐるみかなんかじゃねーんだから。


 ……はぁ~ぁ。


 慌てて離れたエリカの隙をついて、上体を起こす。


「あ~、起きちゃった。もう大丈夫なの、お兄さん?」

「あぁ、お陰様でな」


 もうのぼせた感覚はない。

 他の理由で頭が多少クラクラしてはいるけれども。


「なぁ、エリカ」

「ん? なーに?」


 首を傾げる仕草すら小悪魔的に見える。が、多分これは素でやっているんだろう。

 そういうところも恐ろしい奴なのだ、こいつは。


「華恋にも言ったけどさ。俺もエリカたちと住むのは楽しいよ。今の生活が好き、って言ってもいいかもな」

「――ほんとに!?」


 ほら、こうやってパッと変わった表情はまるでガキみたいだ。

 蠱惑的なんだか素直なんだか。


「あぁ、本当だ。でも、やっぱり俺にも色々と考えることはあるんだよ。お前らの気持ちは嬉しいけど、簡単にハイそうですかって心から納得はできねぇ」


 これ以上関係が深くなるのは怖い。

 世の中いくらでもいい奴はいるんだから他を探すべきだ。

 俺は、お前らの期待に最後まで応えられるような人間じゃない。


 どれも間違いなく本音で、簡単に変わる事はないし、変えることもできそうになかった。


「む~。だからって今より距離取るような真似したら、泣くよ? あたし」

「……泣かれちゃ敵わんなぁ」


 敵わない、けれど。

 今の俺には何も応えることができない。


「むぅう~~。ま、今はそれでいっか。あたしも、頑張るし」


 真剣な表情でエリカは頷く。

 何を頑張る、とはその時彼女は言わなかったし、俺も聞かなかった。




 ――因みに、俺が起きた時には既に浴衣を雑に羽織っていたのだが、どうやらエリカが頑張って着せてくれたらしい。


 それってつまりそういうことなのだが、なんだかもう、ちょっと死にたい気分になった。


「大丈夫だよ誠お兄さん! あたしも別に詳しくないけど、お兄さんのは多分ダメな感じじゃないと思うよ!?」

「うっせぇ! 忘れろ! 可能な限り早急に忘れてくださいっ」

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