第30話 温泉密着ゼロ距離射撃

 夜、闇の中でゆらゆらと揺らめくたき火の炎を一人ぼ~っと眺める。


「色々あったけど、まぁこの辺が落とし所だよな」


 ここ最近自分におこった出来事。あり得ない生活の総括。


 つまり、とあるクラスメートとその妹、彼女らと思いがけない切っ掛けで少しばかり親しくなった。……なったけど、それもこの辺りが潮時だろう。


「あいつら、ヒトにお節介だのお人好しだのよく言ってきやがるけど、こっちのセリフだってんだよなぁ」


 ホテルの部屋で寝ているであろう姉妹のことを思い浮かべる。

 彼女らのことを考えたくないから一人でここにいるのに、どうしても頭から離れない。




 風呂から出た後、長々と一人で語り終えた頃にはすっかり体も冷えていた。


『俺のガキの頃ってのは、まぁそんな感じだ。んで、何が言いたいのかっていうとさ。俺達は最近、変に近くなりすぎたと思うんだ。それは、きっといつか後悔の元になる』


 華恋もエリカも、俺の過去をずっと静かに聞いてくれていた。


『お前らが来てから色々助かってる。だから家でも変に気をつかうことは無い、自分の家と思って過ごしてくれていい。でもそこまでだ。今以上に砕けた……近い間柄っていうのは、俺には居心地が悪いんだ。ただの他人、それくらいの距離感が俺らには丁度いいんだよ、きっと』


 二人は俺の過去なのか言葉なのかにショックを受けたような表情をしている。


 エリカはショックどころかぽろぽろと悔しそうに涙をこぼしているし、華恋も赤く潤んだ瞳で必死に泣かないように堪えているように見えた。


 不思議な姉妹だと思う。

 何故他人の過去話なんぞにここまで感情移入できるのやら。


 まさか本当に、家族みたいに思ってくれているからだろうか?


 こんな短い期間を一緒に過ごしただけの、俺のような相手に、もしそんなにも心を砕いてくれているのなら。

 彼女らはきっと、俺の想像もつかない程にお人好しでお節介焼きなのだろう。


 だからついついこんな面白くもない昔話を聞いて欲しくなってしまうほどに、二人のことを受け入れてしまったのかもしれない。


『あ~、長々と話して悪かったな。俺は今日はテントで寝るから、お前らはこっちで寝てくれ。んじゃ、また明日な』


 二人の表情をみていると、とても一晩一緒にいる気にはなれなくて。

 逃げるようにテントの方へと移動した。




 バチッと木が爆ぜる音で、ふと我に返る。


 二人のことを考えていると本当に際限なく考え続けてしまいそうだった。


 何しろ、俺の人生においてこれほど『誰か』と濃密に関わったことなどない。


 これまでも助けてくれた人はいた。

 それこそ東さんなんて、一時は俺を引き取るとまで言ってくれていたくらいだ。


 勿論、なんの繋がりもない人にそんな負担をさせるなんてできないし、あの頃の俺には今以上に他人といるのが苦痛だったから実現はしなかったけれど。


「……やっぱ人と関わりを持つってのは、しんどいよなぁ」


 人と一緒にいると、楽しいこともある。

 そんなことくらい俺だって分かっているのだ。


 だが同時に。

 人間はずっと楽しいままではいられないことも、よく知っている。


 普通の人は、それでもなんとかバランスを取りながら他人と関わって人生を過ごしていくのだろう。

 くっついたり離れたりしながら、自分の居場所を見つけていくのだろう。


 それが、俺にはできない。

 多分、根本的に向いていない。言ってしまえばただそれだけ。


 自分の欠陥のせいで、心優しい少女二人を泣かせてしまったのであろうというだけの話。


「星空なんて、何年ぶりに眺めたかな」


 天を仰ぐ――とは、嘆きを意味する言葉だったか。


 まさに今の俺にぴったりの行為に思える。

 嘆くついでにこれほど綺麗な星空が見られるのだから、なるほどアウトドアも悪くはないものだ。


 ただ、次にキャンプなんかにくる時ははじめから一人きりだろう。

 それでも今日のように星が美しく思えるものなのかは、分からなかった。







「さむッ」


 一晩経ってテントから出てみると、まだ薄暗い。かなり早朝だしな。


 寝袋で寝るのが初めてなのもあるし、何より色々と防寒装備を使っても寒かったこともあって、あまり寝ることは出来なかった。


 ……決して悩みすぎで寝れなかったわけではない。

 なのでいっそのことさっさと起きてしまったわけなのだが、早朝は寒すぎて死ねる。


「朝風呂、入っちまうか」


 きっと今温泉に入ったら最高に気持ちいいに違いない。


 華恋とエリカはまだ寝てるだろう。

 彼女らもホテルをチェックアウトする前にもう一度温泉に入りたがるかもしれないし、そうなったら俺が入る訳にもいかなくなる。


 なら、今がチャンスか――。 


 まだ暗い道を歩いてホテルまで戻り、部屋に入ると電気をつけずにこっそりと入浴に使う物を回収。

 貸し切りとなっている家族風呂へと向かった。




「ふぁ~……朝風呂って、いいもんなんだなぁ……」


 我ながらおっさん臭いとは思うものの、色々と慣れないことをして疲れ気味の体には朝っぱらからの温泉がえらく染み渡る。


 昨晩は随分と悩んでしまったが、家に戻れば問題ない。

 同居が始まった最初の頃と同じく、適切な距離感で神代姉妹とは接すればいいのだ。


 温泉の効能か、幾分すっきりとした頭でそう結論をだした。その、すぐ後のこと。


 ――ガラガラ。


 家族風呂の扉が開いた音が背後で響いた。


「ッ!?」


 昨日の今日だ。すぐに相手は思い当たる。

 華恋かエリカ、あるいは両方か。


 まさかもう起きてきたのか?


 とにかく、裸をみることなどがないよう背後を振り返ることなく喋る。


「すまん、早く起きたんで先に風呂使わせて貰ってた。もうちょっとしたら出るから、悪いが一旦部屋戻って待っててくれ」


 答えが返ってこない?


 ただ、ぺたりぺたりと足音だけが洗い場の方へと移動していく。


「…………?」


 ちらりと視線を向けると華恋が立っていた。


 タオルで体を隠してはいるが、全裸、で――。


「ッんな!? な、何してんだよっ。早く出てけってのに!」


 慌てて目を逸らした俺の声が聞こえていないかのように、かけ湯をする音が響く。


 なんだ? 一体どうなってる?


 まさか俺の姿が見えてなくて声も聞こえてないのか? ってんなわけがあるかッ。  或いは華恋が致命的なまでに寝ぼけているとか? いや夢遊病じゃあるまいし、それにしたってお湯をぶっかぶれば流石に起きるだろ普通。


 などと混乱の中にいる間に華恋はかけ湯を終えたらしく『あ、今のうちに俺が出てけばよかったじゃん』ということに気が付く頃には湯船に入ってきてしまった。


 こちらも裸、あちらも裸。

 完全にバックを取られて振り返ることもできない。


 え? なにこれ? どうして朝っぱらから温泉で『詰んだ!』みたいな状態に?


「も、もしもし、華恋さん?」


 訳が分からないまま、なんとか声が震えないようにしつつ、全裸でいるであろう背後の少女に声をかけた。


「なんですか? 誠一郎君」


 思った以上に至近距離から声が返ってきたことに戦慄する。


 ま、マジで何を考えてんのこの人。


「なんですかじゃねーよ。なんで入ってくるんだって言ってんだよっ」

「家族風呂です。一緒に入ることに何か問題ありますか?」


 ぐっ、と背中に重みがかかった。


 ――は?


 華恋が、背中合わせに寄りかかってきている?


「ッお、おま! 本当に一体何考えて」

「裸の付き合い、というのを試してみようかと思いまして。誠一郎君、昔のことは話してくれましたけど、まだ本音を言ってはくれてないようなので」


 はぁ!? 本音って何のことだよ!?


 意味が分からんっ。

 ほんとこの姉妹は行動が意味不明すぎる!


「誠一郎君は私たちに、これ以上近くに来てほしくないって言いました。それは何故です?」

「……昨日言ったままだよ。居心地が悪いからだ」

「私たちといると楽しくない、そういうことですか?」


 答えに詰まる。


 楽しかったから。

 俺にとって、彼女らが家に来てからの生活は、楽しかったから。

 でも、だからこそなんだ。だからこそ、居心地が悪いのも本当なんだ。


「私は、楽しいです。エリカのことだけを考えていた生活も好きでしたけれど、誠一郎君も一緒な三人での生活はとても……凄く、好き。この人のことをもっと知りたいと思ったし、もっと一緒にいたいと思うようになりました」

「それはただ、借金から」

「借金から解放されたから、ですか? そして誠一郎君の家に居候させてもらって経済的にも楽になったから? 違いますよ。借金もお金も、全部ただの切っ掛けです」


 俺の言葉を遮った華恋の言葉には、強い意志の力を感じた。

 言い逃れや誤魔化しを許さない、多分そんな意志。


「私は誠一郎君と――君と一緒にいるのが好きだって言ったんです。他のことなんて関係ない」


 普段、穏やかに喋る華恋の言葉が、今は刃の様にすら感じる。


「だから、君が本当はどう思ってるのか、教えて」


 避けることも防ぐことも敵わない。


 それをしてしまえば、きっと彼女のことを決定的に傷つけることになる。

 何しろ華恋が今一糸も纏わず背を預けてきているのは、捨て身だからだろうから。


 今の俺には、できない。

 神代華恋という存在を拒絶しきることが、いつの間にかできなくなってしまっている。


「……楽しかった。お前――華恋と、エリカが家に来てから」


 まだ長いとは言えないであろう人生の中で、それでもこれから先こんなに幸福な時間は訪れないだろうと予想できてしまうくらいに、俺は楽しかったのだ。


「一人で家にいることを苦痛に思ったことはなかった。でも、誰かと一緒にいることが楽しいって感覚を思い出させてくれたのは、華恋たちだ。それは本音だよ。でもな」


 だからこそ、恐ろしいんだ。

 人は変わってしまうものだから。俺も、他の誰も彼も。


「お前らが悪いとかじゃない。俺が臆病なだけなんだ。別に何か複雑な事情とかもない。ただ本当に、変わってしまう時が来るのが、怖くて――ッ!?」


 いつの間にか背中を預けてしまっていた華恋の重みが、不意に消えた。

 危なく後ろに倒れそうになる。


 けれど、倒れる前に抱きとめられた。ってぇ!?


「ちょっ、これはマジでマズイって華恋さん!?」

「あんまり動かれるともっとマズイことになりますからっ……!」


 お互い裸なんだけど!?

 そんな状態で背中から抱きつかれたら、色々当たってこう、感触がさぁ!?


「一応、私も年頃の女子なので。今、死ぬほど恥ずかしいんですよ」

「だったら離れろや!?」

「いやです。だって、少しでも距離があったら誠一郎君は物理的にも精神的にも私から逃げるでしょう?」


 だからってゼロ距離すぎるわ!! 

 いくら逃がさない為だからって装甲車に直接アンチマテリアルライフル突きつけるようなことするか普通!?


「ギリギリまでさらけ出した今なら伝わると信じて言います。家族とか。或いはその、こ、恋人とか。そういうのじゃなくていい……どんな形でもいいから、私は誠一郎君と一緒にいたい。それだけなんです」


 強く抱きついてくる華恋の柔らかな感触やら、強く響いてくる華恋の必死な言葉やら、色々な物が俺の何かしらをぶっ壊していく感覚がする。


 砕くといっても、やり過ぎだろ……。


 脳に強烈な刺激が加わったからなのか、目の前がぐにゃりと――って違う、これは。


「か、華恋。あの、離してくれ」

「ダメです。私は誠一郎君の答えを」

「ち、違う。のぼせてクラクラしてきた。やばいから離れてくださいマジで」

「へ? あっ!?」


 俺の本気の危機感が籠もった言葉に、華恋が飛び退くように離れる。


「ご、ごめんなさいっ。つい、気合いが入りすぎて……す、すぐ出ますから!」


 今ので一気に色々と冷静になったのか、華恋の声はえらく震えていた。


 恐らく、相当な覚悟と勢いをもってこの場に臨んだのだろう。

 そりゃそうだ、クソ真面目な彼女が裸で突撃なんてどう考えてもおかしい。


 それだけ、昨日の俺は華恋から見て絶望的な人間に見えたのか?

『ここで逃がしてはいけない』と、そう思わせるほどの。


 …………うん。

 ダメだ。考えまとまらない。限界。


「ぐっ――やべぇ」


 華恋が立ち去ったのを見計らって自分も風呂から出るが、目の前がチカチカする。完全に頭まで茹ってしまった。


 なんとか脱衣所まで這い出ていく。

 脱衣所にはもう華恋の姿はないが、俺にはもう立ち上がって着替える余力もない。


「はぁ~~……ぁあ」


 寝不足もあってか、泥沼にぶち込まれたように体が重い。


 脱衣所にある火照りを取るまで一時的に横になれるよう設置された、簡易畳のような場所に仰向けに倒れ込む。


 そこで、俺の意識は途絶えた。

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