第29話 <間話>幼き博徒

 自覚した切っ掛けはなんだっただろう?


 初めてがなんだったのかはもう覚えてないが、俺は幼い頃から勝負事に異常に強かった。

 別になんでもかんでも必勝できるとか、予測や予知ができるとかいうわけではない。

 だが、特に賭け事に関しては顕著に『ここぞ』という勝負時が分かったのだ。


 そういう時には目の前が立ちくらむみたいにチカチカして光って見える。

 感覚が異常に鋭敏になって耳がキーンとして。気が付けば『絶対にここだ』という確信を自分の中に持てていた。


 例えば友達とサイコロを転がして電車で全国を巡るスゴロクゲームをしていても、最終結果だけでいえば俺は負けたことがない。そのせいでよくインチキを疑われて乱闘になったものだ。


 そのうち『もう誠一郎とは運ゲーはしない!』というのが友達同士の共通事項になってしまったほどで、ギャンブル系のゲームに関して俺は負けなしだった。


 父親も俺の博才には気が付いていたようで。


「親父の才能を引き継いだのは、誠一郎だったわけか。なるほどなぁ、どうりで俺はギャンブルが弱いわけだぜ」


 そんな風に言ってよく笑っていた。

 笑い話で、いるうちはよかったのだ。




 いつの頃からか、父親は自分の趣味であるギャンブルに俺を付き合わせるようになった。

 祖父の頃からのツテやらで、海外も含め賭場なんかの知識や付き合いは豊富だったのがそれこそ運の尽きだ。


 無論、子供の頃だから俺自身がギャンブルをできるわけではない。

 だが、俺が口を出すと父は最後にはボロ勝ちすることが増えていった。


 いよいよ、父親は俺の博才を『こりゃ、ホンモノだ』と喜ぶようになって。今思えば頭のおかしい話なのだが――相当な大金を俺の一言に賭けるまでになった。


 俺も、両親が喜ぶのが嬉しくて、全力で勝負に勝とうとして。実際に勝てた。勝って、儲けられてしまったのだ。


 ウチの金回りは不自然によくなっていき、近所から『あそこの家は急に高級車やらなんやらを買って、何で儲けたのかしら?』と噂されるまでになっていく。


 俺は父親にも母親にも褒められ、甘やかされ、人生で最高とも思える時間を過ごして……。そこが、人生の最高潮だったことをすぐに思い知ることになる。




 いつの間にか、父は家に居る時間が随分と減っていた。


 浮気をしているのだと言って、母はいつも怒っているのが当り前のようになり。離婚だ離婚だと叫ぶことが増えて、母すらも家にあまり帰らなくなってしまった。


 家に一人でいるのが当り前になってから、気が付いたのだ。


 ――自分がお金を稼げば稼ぐほど、ナニカが壊れていく。


 死んだじぃちゃんの言葉の意味を何となく理解したのは、その頃だ。


『お前は賭け事をするな。人生を狂わせることになる』


 だが、明らかにもう手遅れだった。気が付けば取り返しのつかないところまで俺の人生は狂ってしまっていた。


 『勝負事』に助言するのはもうやめよう、そう考えて実行した時。

 父は、俺を初めて本気で殴った。


 鼻血が出て、抜けかけだった乳歯がぶっ飛んでいくほどに。

 痛みより恐怖より、何が起きたのか分からなくて、俺は父の方を黙って見つめていた。


「嘗めたことぬかすなっ。誰のお陰でお前が生きてると思ってんだっ!? なんで子供が親に逆らって生きていけると思ってる!? あぁっ!?」


 父が俺を見る目がいつの間にか変わっていた事に、その時初めて気が付いたのだ。

 俺の目にはむしろ、父の方が恐怖していたようにすら見えた。


 その当時は父親が何を恐れていたのか分からなかったが、今なら分かる。

 あれは、ただただ『金』を恐れる目。得てしまった金づるを、失いたくなかったのだ。


 母も同じだった。離婚だ離婚だと叫びながら、堂々と男を家に連れ込むようにまでなりながら、それでも本当に父と別れなかったのは。


 ――ウチにはまだ金があったから。


 だから、無くなれば母はすぐに家から出ていって、二度と帰ってはこなかった。


 その頃から俺の勝負勘はドンドン外れるようになって。ウチの金回りはただの逆回転ではすまない程に悪化していった。


 家に借金取りが押しかけてきたことだって、何度もある。


「なぁ、ほら、また当ててくれよ、なっ? お前なら簡単だろう?」


 父は俺に懇願までするようになり。


「いい加減にしやがれ!! このクズがっ!! なんの為にお前なんかを……!!」


 それでも俺が勝つことができなければ、容赦なく俺を殴った。


 叩いて、蹴って、閉じ込めて、禄にモノも食わせてもらえなくなって。背中を丸めて耐えることしかできない毎日。


 俺は、何を考えていいのかも分からないままに、一つのことだけを理解した。

 人というのは、自分の為ならいくらでも他の誰かを踏み台にできる生物なのだ。


 理解したら勝負勘はすぐに戻った。

 父に関係のない勝負をこっそりした時には、勝てる。


 簡単なことだったのだ。

 父が何かに勝つことなど、もう本気では望んでいない。望めない。だから勝てなかった。


 当り前のことだ。どんなジャンルであろうと、勝負事なんてものは本気で挑まない奴は最後には負ける世界。

 俺は俺の為に、俺の為だけに勝負するなら勝てる。

 自分以外の人間の為に何かするなんてこと自体が馬鹿げていたのだ。


 人間関係なんてちょいと金が絡めばすぐに壊れる。

 それが例え、家族の縁であっても――。




 ある日、父の暴力があまりにも酷くなりリアルな死というものを意識した俺は、限界を迎えて家出同然に外へ飛び出した。


 とはいっても、子供の行ける範囲なんてのは狭いものだ。

 遠くまで歩いたと思っていたのだが、実際にはそう大した距離でもなかっただろう。


 歩き疲れて路地で座り込んでいた俺を見つけてくれた人がいた。


「ねぇ君、どうしたの?」


 それは自分より数歳年上の少女だったのだが、当時の俺から見ればとても年上のお姉さんに見えていた気がする。


「……迷子? お父さんやお母さんは?」


 黙って首を横に降り続ける俺に困り果てた彼女は、俺の手を握ると自分の家へと歩き出した。


 少女の母親は娘の連れ帰った子供を見て絶句したが、追い返そうとはしない。

 それどころか家に上げられて夕飯をごちそうしてくれた。


 途中、名前を聞かれ、次いで服をめくられてから質問をされたのを覚えている。


「ねぇ、誠一郎君。もしかして、お父さんかお母さんに、痛いこととかされたりしてるの?」


 俺は何も答えられなかった。

 どう言葉にしていいのかも、分からなかったのだ。


「……今日は、ウチに泊まっていこうか?」


 何も答えられない。

 それでも、家に帰りたくなかった自分が小さく頷いたのは確かだ。


 それからほんの少しの間、俺は見ず知らずの他人の家で生活した。


 今考えれば、父はすぐに俺の捜索願をださなかったのだろう。虐待が明るみに出ることを恐れたのかもしれない。その間に、彼女の両親は俺の今後をどうするのかを本気で考えてくれていたのだと思う。


 虐待を受けている子供を簡単に親の元に返してしまえば、その後どうなるのかは分からない。殺されてしまうケースだってあるし、児童相談所に相談しても結局どうにもならなかった事件だってある。それを知っていたのだろう。


 僅かな期間とはいえ父親から逃れた生活のなかで精神が少しは安定したせいか、俺はふと思い出していた。

 じぃちゃんの口癖である『賭け事はやるな』には一度だけ続きがあったことを。


『誠。それでもお前が将来賭け事に手を染めちまって、困った時。そういう時はな、ここを頼りにしてみろ。俺も世話になった相手だ』


 そう言って、じぃちゃんが俺に手渡した物。茶色い封筒に入っていて『二人だけの秘密だぜ』と言われた。

 当時の俺は中身を見ても意味がさっぱり分からなかったので、机の奥底にしまいっぱなしになっていたのだ。


 俺は、置き手紙を残して少女の家をこっそり抜け出した。自分の家に戻るために。

 何故黙って出たのかはよく覚えていない。もしかしたら、自宅に帰ることは『怒られることだ』と認識していたのかもしれないが。


 とにかく家に行き、父が居ないのを確認して窓ガラスを石で割って中に入った。

 自分の机の引き出しに入っていた封筒を持って、すぐに外にでる。


 封筒の中には紙きれが入っていた。


『泉堂法律事務所』


 それは、名刺。

 電話番号入りの名刺で、ここに電話しろと書かれていた。


 わけも分からないまま電話をかけ、聞かれるままに名前を名乗る。

 最初は若い女の人の声だったのだが、途中から相手が変わったのか、受話器の向こうの声はおじいさんみたいな声になった。


『おぃおぃ、本当に加々美の孫かよ。ってことは本当に……あいつの言うとおりになったってーのか?』


 それこそが東さんの大先輩、泉堂先生の声だった。


 泉堂さんは弁護士で、じぃちゃんの友達だったらしい。

 昔、じぃちゃんが色々とやんちゃをしてトラブルを抱え込んでいた時に出会い、助けた――というか、一緒になって界隈を荒らし回った相棒のような存在だったそうな。


 ある意味では悪徳弁護士とかの類いなのかもしれない。

 じぃちゃんが足を洗って以来はまともな弁護士事務所をやっていたそうだが。


 電話で待ち合わせて実際に会った泉堂さんは、一見人の良さそうなおじいさんだった。


「あいつになぁ、言われてたんだよ。俺の孫はやべぇ、俺以上の博才がある。あれは天賦の才で……一種のバケモンだってな」


 化け物。

 その言葉は、俺の腹の中にズンと響いた。


「賭け事に関しちゃ天才だと言われてたあいつがそこまで言う。孫可愛さに目が狂ったんだと思ったが、どうやら本当に当たっちまったんだなぁ」


 じぃちゃんは言っていたらしい。


 孫は才能がある。あまりに鋭い、身を滅ぼす程の博才が。

 だから、もしそういう時が来たら助けになってやってくれ、と。


 じぃちゃんの勘は、やはりよく当たるものだったようだ。


「あいつには色々と借りもあったし、そのまんま死にやがったからなぁ。そうだな、力にはなってやろう。ま、もう私も歳だし、死ぬまでの間だけどな」


 そう言って、泉堂さんは少しくたびれた笑いを見せる。

 どことなく、じぃちゃんを思い出す笑顔だった。




 中学生の頃には、泉堂さんの力を借りて地元から離れた地方で一人暮しをしていた。


 父が逮捕されたり母が失踪扱いになったりと色々あったが、こちらからすればとっくに絶縁した相手だ。もう知ったことじゃない。


 法律的にいえば親子関係の解消などできないが、泉堂さんが色々と手助けしてくれたお陰で俺は静かに暮らせるようになっていたのだ。


 そこら辺りの時期に俺は『自分の為だけの勝負』をしてみたいと泉堂さんに持ちかけた。

 賭け事なんて子供一人でできるわけもない、泉堂さんが一枚噛んでくれなければ不可能だ。


 最初は反対をされたものだが。


「俺は、自分の博才ってやつに散々苦しみました。一度も自分の為の勝負をしないままで、損したまんまで終わるのは――ごめんだ」

「…………はっ。お前さん、目つきまであいつに似てきたなぁ」


 最後には、泉堂さんも悪ガキのような顔つきになって、頷いた。


「分かったよ。ちょっとの間だけだ。ちょっとの間だけ、あの頃を思い出して付き合ってやる。ただし、私が許可した時以外、金のかかったギャンブルは禁止する」


 そうして俺は生まれて初めてただ純粋に、自分自身の為に本気の勝負をした。


 泉堂さんの力を借り、海外にまで行ってギャンブルをして。

 勝って、稼いで。気が付けば、一生食うに困らない程の金額を稼いでいた。


 実際に表で稼いでいるのは泉堂さんということになっているのだが、泉堂さんは金は一円もいらないと言った。


「私もいい歳だ、どうせすぐに死ぬ。だから使う当てもねーしなぁ。昔を懐かしむことができて、楽しかったよ」


 泉堂さんに払うべき金は、ならば他の誰かに渡そうと思った。

 その相手はあの時に助けてくれた、俺を匿ってくれた恩人とその家族がいい。


 恩人――。泉堂さんとその部下の東さん。最早名前もうろ覚えなあの家族。


 この人達に出会っていなければ、俺は死んでいたか、例え生きていても致命的な人間不信になっていただろうから。


 俺は泉堂さんに頼んでその家族を探してもらい、匿名で金を贈与した。

 黙って出ていった手前、自分から会うのは気まずくて無理だったが、礼にそれくらいはしたかったのだ。


 そうして、俺が高校生になる少し前。本当にあっさりと泉堂さんは死んでしまって。


 ――また、俺は一人になった。

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