第21話 エリカの秘密

 適当なベンチに腰掛けて、なんとか落着いた俺とエリカ。


 因みに俺はジュースだけ買って、ストローを噛むようにして啜っていた。


 はむはむと嬉しそうにクレープを頬張っているエリカを横目で盗み見しながら、先ほどの会話を改めて脳内で整理してみることにする。


 冷静になって考えてみれば、ただの他人である俺が問いただすようなことだったのか? という気も正直してきた。


 さっきあんな風に勢いで問いただしてしまったのは『欠陥品』という、己への嘲りと同じワードを偶然にもエリカが口にしたから。

 それが意外すぎた。

 俺が勝手に持っていたエリカのイメージとあまりにもかけ離れ過ぎていたからか。


 整理し終えてみればなんのことはない。

 俺が勝手に驚いてつい踏み込みすぎてしまっただけ。

 プライベートに踏み込まれるのが嫌なのは俺も同じだ。彼女が怒るのは当り前のことだろう。


「――ごめんね。さっき、嫌な態度とって」


 なのに、エリカはばつが悪そうな態度で謝罪を口にした。


「こっちこそすまん。俺が無理に聞くような話じゃなかったかもな」

「ううんっ。違う。違うっていうか、え~っと」


 エリカは目を瞑ってうんうんと唸っている。

 なんか、言葉にしにくいようなことを言おうとしているのだろうか?


「その、おにーさんに嫌われたくなくてっていうか。うん。多分そんな感じ」


 嫌われる?


 つまり『欠陥』の部分を説明すると俺が嫌うような内容が出てくるということなのか?


「俺は別に」

「うん、嫌ったりしないよね。分かる。知ってる。おにーさんはそういう人だ。でもほら、突然聞かれたからちょっとパニクっちゃって」


 失敗失敗。などと、エリカは笑う。


 俺が彼女を嫌わない理由。

 それは、元から人間を好きにも嫌いにもならないから。他人に関心を持たないから。そういう風に生きていくと、決めているから。


「おにーさん、優しいもんね」


 違う。勘違いだよ。

 華恋もエリカも俺をずっと誤解している。

 金をくれる奴は善人に見えるもんだ、一時は。


「人を表面だけ見て信用するなって言っただろ。全然優しくねぇよ」

「あははっ。おにーさんはすぐそれ言うよねぇ」


 事実だからな。

 そもそもお前らがすぐに俺を信じたがるからだろうが。


「じゃー、優しくないけどお節介なおにーさんには、言っておくね」

「……おぅ」


 エリカは一気にクレープを食べきった後、話し出す。


「あたしさ、簡単に言っちゃうと男の人と遊んでお金貰ったりしてたんだよね」

「……なんだって?」


 それって、いわゆる。


「借金とかさ、お金いっぱい必要なのは知ってた。でもおねーちゃんは詳しく教えてくれなくて、いつも自分だけで悩んでてさ。あたしもなんかしなきゃ~って思ったけど、中学生じゃどこも雇ってくれなくて」


 いくら金に困っていても、年齢的な問題でまともには働けない。

 だがコイツの容姿は超高校生級のモデル並。そういう『非合法』な手段の方がいっそ稼げる、いやそうしなければ大金なぞ稼げない。


「んで、男の人と遊ぶだけでお金貰えるって知り合いに聞いてさ。あたしなら余裕で稼げるからって。おねーちゃんには内緒でだから、実際にはたいした金額にならなかったけどね。バレたら絶対心配させちゃうもん。マズいことだっていうのは、知ってたし」


 姉に反対されると分かっていたのなら、当然リスクも承知していたはず。

 それでもエリカは危ない橋を渡ることを選ばざるを得なかったということだ。

 大好きな姉のために。


「でも、本音じゃさ。今でも悪いことしたなんて思えないんだよねぇー、あたし」


 エリカは開き直った風でもなく、当然のことのように涼しい顔で口にする。


「だってさ、こういう道徳? 倫理? がどうとかいうけどさ。そんなの守ってても誰も助けてくれないし。だからなのか、普通の人が当り前に守ってるそういう常識みたいなのがどうでもよく思えちゃって。あははっ、やっぱあたしってどっか欠陥あるのかなぁって」


 ズキリと胸が痛む。


 道徳、倫理、常識。どれも社会が適切に運営されていく上で必要なものだ。

 俺は知識として知っているし、エリカも本当は知っているのだろう。


 同時に、それらが肝心な時には然程役に立たないことも、体験から思い知らされている。俺も、恐らくはエリカも。


「それでもね、分かってるんだよ? おねーちゃんみたいな人が本当は正しいんだってこと。優しくて、真面目で、可愛くて……あたしは、あんな風に正しくは生きられそうもないよ」

「だから、自分が欠陥人間だって?」

「そ。しかもさ、結局あたしはおねーちゃんに何もできなかったし。借金返してくれたのは他人のおにーさんだもんね。あたしは、やっぱりダメダメなんだなぁ~って」


 頭が痛くなってくる。

 こいつはいくつも思い違いをしていて、それに気が付いていない。

 一体どれから伝えてやればいいのやらだ。口で言って、果たして伝わるのかは分からないが……。


「なぁ、エリカは料理っていつからやってるんだ?」

「へ? あー、えっと、八歳くらいかなぁ? あたしの周りって忙しい人ばっかりだったから、料理を作るのってなかなか難しくて。自然と自分でやってた感じ?」

「そうか。なら、何もできてないなんてこたないだろ」

「……あははっ。何ソレ、慰め?」


 そう聞こえたのか。なら、俺の言い方が悪い。


「違う。俺はお前の料理を食べて美味いと思ったし、給料払うだけの価値を感じた。実際、今でも勝手に帳簿はつけてるぞ。お前らが受け取らないだけでな」


 何度か食べれば分かることだ。あれは、きちんとレシピを調べて練習を重ねたから達成できる味だった。


 コイツは家族のために料理に打ち込んできたはずで、それが無意味なわけがない。


「ふっ、あはははっ。おにーさんやっぱお金持ちなんだねぇ。でもおねーちゃんが貰ってないなら、あたしもいらないかな」

「金持ちではないけど、確かにそこそこはある。真っ当に稼いだもんじゃないけどな」

「え?」

「お前と同じで道徳的な手段ではないって話だ。俺の場合は、ちょいと悪い大人が助けてくれたからできたことだけどな」


 世話になっていた弁護士――東さんの元上司――の先生が色々と立ち回ってくれたお陰である。

 表向き、ギャンブルで稼いでいたのは先生ってことになっていた。


「だからってわけじゃないが、俺はお前を嫌いになんかならない。正しいとは言わないが、軽蔑もしない。家族の為に頑張って稼いだ、それは純粋に良いことだろうし、差し引きでいえば釣りで姉想いの妹ってくらいの評価になるだろうよ」


 エリカがぽかんとした表情でこちらを見てくる。


 正直、己でもよく分からんことを言っている自覚はあった。だから彼女の顔を見ないようにして、一気に喋りきることにする。


「その姉に黙っていたのは悪いことに入るかもだけど、姉も借金のことを詳しく教えなかったんだからおあいこだろ」


 華恋もあの日、借金取りと対峙しながら必死に妹を守ろうとしていた。

 この姉妹は今までずっと、全霊を尽くして互いを守り合おうとしてきたのだろう。


 正しさ、というのが結局何なのか? 俺は知らないし、興味もない。

 だが、この姉妹がただ間違っていた、などということはないはずだ。

 もしそうであると世間の道徳とやらが言うのなら、きっと世間の方が狂っている。


「ま、結論を言えば、エリカは欠陥品なんかじゃねーよ。ただ危なっかしいってだけだ。俺から言わせれば姉の方も十分危なっかしいけどな」


 ホンモノの欠陥品というのは、俺のような人間のことだ。


 社会に馴染めず、人を信じられず、生産的なこともできず、一人で日々を怠惰に消耗していくだけの存在。

 いてもいなくても……最後には誰にも気が付かれずに消えていく程度の。


 華恋やエリカは違う。

 二人は互いに欠けた部分はあれどそれを補い合う力を持っている。


「あ、でも無駄にリスクの高い賭けに出たのは反省しとけよ? もっとやり方だって色々あっただろうし。お前らなら大人になればいくらでも勝ち組になれるんだから――!?」


 喋っている途中で横から『とんっ』と軽い衝撃が加わり思わず口を閉じる。


 ――エリカが、抱きついてきた?


「お、おぃ?」


 肩口あたりに顔を埋めるエリカに対して声をかけるが、反応がない。


 思わず反対の手で彼女の頭に触ろうとして、瞬間、ガバッと顔が上がった。


「おにーさん。おねーちゃんのこと好きになってよ」


 至近距離で覗き見るエリカの瞳は少し潤んでいて、綺麗で、吸い込まれそうで。


「…………はぁ?」


 それはそれとして、言ってることの意味はさっぱり頭に入ってこねぇ。


「あたし、おねーちゃんを守らないとって思ってた。でも、あたし一人じゃ無理だってことも知ってた。おにーさんなら、きっと」

「ま、まてまて。何言ってんだ急にっ。だから簡単に俺を信じるなって言って」

「おねーちゃんとおにーさんなら、くっついてもあたしを側にいさせてくれるでしょ? そうしたらずっと二人と一緒にいられる! 皆んな幸せ状態。ねッ?」

「ほんと何言ってんの!? あと近いよッ」


 下手をすればキスでもしそうなほどの距離感。

 やんわりと腕を体の間に挟んで、無理矢理に距離をとる。


「お前、全然懲りてないだろっ。倫理観とかがぶっ壊れてるのは今更突っ込まねーが、危なっかしいから暴走はするなって言ってんだろうが!」

「だからおにーさんなんじゃん。誰でもいいわけじゃない、おにーさんだから安心してあたしはあたしの暴走ができる。そういうことでしょ!?」


 キラキラした瞳がこちらを見つめてくる。

 その光から逃げるように目を逸らした。


「どういう理屈かしらんが、俺には無理だよ。好きもクソも、お前らとずっと一緒に暮し続けるつもりなんて、そもそもないんだから」

「え~? なんでぇ!? おにーさんだって最近は結構楽しそうにしてるのにぃ」


 たのしそう? 俺が?

 

 そう、なのだろうか? 

 もし仮にそうなのだとしても。


「俺には俺の人生プランがあるんだよ。無茶苦茶言ってないで、普通に生きてきゃいいだろ。それで十分幸せにでもなんでもなれるよ、お前らならな」


 知らんけど、多分、おそらく。

 それっくらいのスペックを持っているだろう、二人とも。


「……ふ~ん。おにーさんはそういうこと言うんだぁ」


 ジト目、というのだろうか? 妙な目つきになったエリカが、そのままにんまりと笑う。


「そかそか。なら、あたしもこれまで以上に頑張らないとだね。おにーさんの方から、一緒に居てください! って頼んでくるまで、ね?」

「あのなぁ……」

「えへへ~。なんだかホントに楽しくなってきちゃったよ。あ、そういえばもうすぐ時間じゃん。待ち合わせ場所いこー?」


 エリカが手を差し出してくる。

 どうにも、先の言葉から続きで出されると悪魔の手招きみたいに見えてくるが。


「はぁ。ほんとにわけの分からん奴だなぁ、お前」

「エリカ」

「あ?」

「さっき、久しぶりに呼んでくれたでしょ? エリカって呼んでよ、せいお兄さん」

「……ほんっと、意味不明だよ。エリカは」

「うんっ。あたしもそう思う! けど可愛いからいいでしょ?」


 なんかもう、こいつある種のサイコパスなんじゃないのか?


 呆れつつ立ち上がって歩き出す。――ただ、手を引くエリカの満面の笑みは、今まで以上に魅力的に俺の瞳に映っているような気がした。







 待ち合わせの場所に行くと、既に華恋が待っていた。


 どうも下着選びにかなり迷っていたらしく、俺を探している時間はそこまで長時間でもなかったようだが。


 その後は三人で回ることになり、概ねエリカが華恋の服を嬉々として選んでいた。まぁ、姉の方は割と疲れ果てていたけど。着せ替え人形も楽じゃないのだろう。


「さて、最後は誠お兄さんかな」

「ですね。気合いを入れ直します」


 ……はぃ?


「ここは、私が貯めておいたへそくりを出しましょう」

「うんうん、あたしも! ちょっとだけ貯めておいたの使うっ。高いのは無理だけど、頑張って格好いいの選んであげるね」

「それじゃこっちで予算を出した意味ないだろが! つか、服くらい持ってるよ」

「誠お兄さんいつも似たような格好じゃん。それにあたしらの服選んでくれなかったし」

「はぁ? そりゃ、俺が選んだらセンスの問題が」

「だから、代わりにあたしらが選んであげるの!」


 意味分からん。なんだその理屈。


「なぁ、華恋ももう疲れたろ? 早く帰って」

「いえ、誠一郎君の服を選ぶのなら全然平気です。私もできる限りを尽くしますので」


 さっきまでぐったりしてたじゃんか!


 結局、買い物が終わって帰る頃には真っ暗である。女子と買い物に行く時は、覚悟が必要なのだと思い知ったのだった。


 因みに、選んでもらった服は……まぁいつかどっかのタイミングで着ようと思う。

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