第12話 <間話>姉妹会議その一

 そこそこ広さのある和室。

 二組の布団が並べられていて、中には二人の少女が横たわっていた。

 先ほどまではおかゆを持って来た少年も一人いたのだが、今は少女達だけだ。


「おねーちゃん、何度あったの?」

「三十八度八分です」

「あたしと一緒じゃん。さっすが姉妹」

「そんなこと言ってる場合じゃないですよ。……情けない限りです」


 赤い顔のままぼやく。

 元々が居候という弱い立場である上に、体まで弱っているとなると精神的にはかなりくるものがあるようだった。


「しょーがないよ。ここんところ色々あったもん、あたしら」

「それは、そうですけど」


 実際、姉妹にここ最近降りかかった事態の数々が、歳若き彼女らにとって負担の大きいものであったことは間違いない。


 生活環境の変化も大きく、体の不調もやむなしといったところであった。が、神代華恋はそのような言い訳で自分を簡単に納得させられる性格をしていない。


「誠一郎君に申し訳ない状況なのは確かです」


 ただでさえ恩がある相手に看病までさせてしまったのだ。

 華恋の頭の中には『本末転倒』という文字が浮かんでは消えていく。


 だが、妹のエリカは全く情けなさなど感じていない様子である。


「そっかなぁ? 最初こそあたしらとの生活を嫌そうにしてたけどさ。案外、今はあっちも悪い気してないんじゃないかなぁって。だから気にしなくていいって言われたら本当に気にしなくていいんだと思うけどなぁ」


 エリカからすれば、家主の態度が軟化してきているのは手に取るように分かることだった。

 他人の内面を見抜くことに関しては、姉よりもずっと秀でている妹なのだ。


「そう、でしょうか」

「だと思うよ。それにしてもさぁ。今だから言うけど、おにーさんがどんな人なのか会う前はすごく気になってたんだよね、割と悪い意味で。けど会ってみたらかなり印象違ったんだよなぁ~」

「どんな印象でした?」

「ふつー。良くも悪くも普通でさ、なんか期待はずれっていうか、拍子抜けだった。場合によってはおねーちゃんのこと狙ってるヤバイ奴なんじゃないかな? とかも思ってたくらいだったのに」


 姉の窮地、ひいては神代家の窮状を突然現れて救ってくれた人。

 しかも姉の同級生。そんな相手との同居生活。


 エリカは当初、かなり複雑な感情を持った状態で加々美家にやってきていた。

 何しろ、どう考えても相手はまともではない。

 クラスメートの借金を突然肩代わりするなど、常識的に考えてあり得ないという事くらいエリカにも理解できていた。


「でも、一緒に暮してみたらすぐに分かったけどね。つまりあの人はさ、底抜けのお人好し! ある意味おねーちゃんと良い勝負だよ、あれ」

「私は別にお人好しってわけでは……誠一郎君は、確かにその通りですけど」


 華恋は自分のことを割と現実主義者だと思っているが、エリカからすれば姉も家主の少年も相当なお人好しにしか見えなかった。


 ただ、少年の方は姉以上に素直じゃないというか、露悪的に振る舞おうとしている節がある。

 エリカにはそれが、まるで本性がバレないよう必死に周りから隠し通そうとしているようにすら感じられていた。


「ふふっ。馬鹿なおにーさん。ちょっと内側に入られただけで簡単に気を許しちゃう。全然、隠せてなーい」


 クスクスと笑う妹に、眉をひそめる華恋。


「エリカ、馬鹿だなんて言い方」

「あ、うそうそ。じょーだん。言葉のあや? みたいなやつ。それに、あたしはそういうの好きだしね」

「そういうの?」

「ん。馬鹿みたいにあま~いお菓子とか、大好き」


 額の解熱シートをスリスリと撫ぜつつ、エリカは舌で唇を軽くなぞる様にして微笑んだ。


「エリカ……あなた、随分誠一郎君のこと気に入ったんですね」

「うん。掘り出し物見つけちゃった、みたいな感じ? だからさ、おねーちゃんもガンガン踏み込んだほうがいいよ。きっと、二人はすごく仲良くなれると思うからさ」

「仲良く、ですか?」


 華恋は意外そうな表情をした後、自分自身を見つめるような遠い目をした。


 彼女からすれば、加々美誠一郎という少年は大恩ある相手、恩を返すべき存在という印象が強すぎるのである。

 仲良く、と言われてもなかなかイメージが湧かなかった。


「おにーさんも言ってたじゃん、気を遣いすぎるなって。あれってさ、言葉を変えたらもっとあたしらと仲良くなりたいって意味だと思うなぁ」

「そう思いますか?」

「そうそう絶対そう」


 姉が自分の言葉をあまり疑わないことをエリカはよく分かっていた。


 本当は誠一郎の言う『気を遣うな』が色々と複雑な意味を含んでいることは分かっていつつも、あえて『仲良くしたい』という単純な解釈のみを華恋に強調したのだ。


「私も、もっと仲良くなれるなら、なりたいですけど」


 姉からポロリと零れた本音を聞いて、妹がにんまりと口を歪める。


「なら、なっちゃおうよ。まずは丸裸にするところからってね」

「はだか?」

「いやいや、なんでもなーい。えっとね、まずはおにーさんの生活にもっと踏み込むことから始めるといいんじゃないかなって」


 エリカから見ても姉の行動は極端というか、恩返しに気を取られすぎている様に感じられていた。


 『借金分の仕事をしている』という大義名分が全てにおいて優先されるあまり、加々美誠一郎という男の子本人との関わりが薄くなってしまっているように感じられるのだ。


「ですが、居候があまり私生活に介入しすぎるのはどうかとも思うんですよ」

「う~ん。でもさでもさ、あんな大ピンチ救ってくれたおにーさんに対して、ただ借金分の仕事してれば恩返しになる、ってちょっと違くない?」

「それは、私もちょっと思ってましたけど」

「でしょ? もっとおにーさんに楽しい生活を送ってほしい、そーゆーのが一番大切なんじゃない?」

「なるほど、一理ありますね」


 布団の中で納得したように頷く華恋。


「おにーさんは口じゃ色々言うと思うけど、全部照れ隠しだよ。本心じゃきっと喜んじゃうと思うなぁ。おねーちゃんにがっつりお世話されて嬉しくない人間なんていないもん」

「……誠一郎君が、喜ぶ」

「本人は絶対に違う! って言うだろうけどね~」


 華恋には妹の言う『お世話』の内容はイマイチ想像できなかったが。

 誠一郎が喜ぶこと自体は己の目標と合致している。それは確かなことだった。


「誠一郎君が喜ぶような楽しい生活は、是非提供したいですね」

「うんうん。なら特に重要なのは、女の子の存在だと思うわけですよ」

「女の子?」

「そ、男の子にとっての楽しい生活っていったら、可愛い女の子が傍にいてチヤホヤしてくれることっぽいよ? あたしらだったらばっちりでしょ!」


 エリカは自身、そして姉の容姿が優れていることをよく理解している。

 男子がそれに惹きつけられることも、家主の少年が例外でないことも、重々承知していた。


「……具体的にはよく分かりませんが。分かりました、挑戦してみましょう」

「んっ、あたしも協力するからだいじょーぶ!」


 満足そうにするエリカ。

 それから、薬が効いてきたのか二人は間もなく眠りに落ちた。







「……んん?」


 華恋が目を覚ますと、エリカがドアの前に立っていた。

 どうやらドアが開いて漏れた光で目が覚めたらしい。時計を見るともう深夜だ。


「あ、ごめんね、おねーちゃん。起こしちゃった?」

「大丈夫です」


 華恋も布団から立ち上がる。

 トイレに行ったりリビングに水を飲みに行ったりするつもりだった。

 誠一郎が置いていったペットボトル飲料はもう空なのだ。


「おねーちゃんも行く?」

「はい。喉カラカラですし」


 交代でトイレに行った後、リビングに行く。

 すると電気がつけっぱなしになっていた。


「あ、あれれ?」

「誠一郎君?」


 中に入ると、誠一郎が机に突っ伏して寝ていた。

 夕方に華恋がしていたのと同じ状態だ。


 机の上にはおかゆのレトルトパックやペットボトル飲料が積まれていて、手書きのメモ帳なども散らばっている。


「これは……」


 華恋がメモを手に取ると、内容はいくつかの病院の情報が纏められた走り書きだった。


 どうやら夜間病棟や緊急対応可能な病院など、姉妹の容体が急変、悪化した時に備えて近場の医院を調べていたらしい。

 恐らくずっとリビングにいたのも、何かあった時にすぐ二人が声をかけやすいようにとのことだったのだろう。


「くふふっ。おにーさん、本当に隠せてないなぁ」


 エリカは堪えきれないようにお腹を抱えてクツクツと笑い、目尻に涙を浮かべている。


「……そうですね」


 華恋はメモを机に置くと、特に意識しないまま誠一郎の頭にそっと手を置いた。


「結構お馬鹿さんなのかも、ですね」


 エリカが一変して驚いた表情で姉を見る。意外な言動だったからだ。


「まったく、誠一郎君まで風邪引いちゃいます」


 頭を一撫ですると、誠一郎が身じろぎをした。

 パッと華恋が体を離す。


「……ん……んぁ? あ、れ?」

「おはようございます」


 誠一郎が目を覚ました。

 目を軽くこすりつつ、あくびを一つしてから姉妹に声をかける。


「起きたのか。熱は?」

「薬のお陰か、楽になりました。このあと計りますけど、結構下がっているかと」

「飴のお陰で喉も痛くないよ~」

「そっか。ならいい。冷蔵庫に冷えたペットボトルとか、ゼリーとか果物もある。好きなタイミングで取れよ」


 ゼリーや果物など、冷蔵庫には無かったものだ。もう一度出かけて買足してきたらしい。


 誠一郎はそれだけ言うとリビングをのそのそと出ていった。

 姉妹が回復に向かっているのを見て安心したようである。


「ねぇ、エリカ」

「ん?」

「私……本気で、頑張りますから」


 妹は、姉の横顔を見てはっきりと察知した。


(おねーちゃん、スイッチ入っちゃったぁ……)


 エリカは、姉が一度『決意』したらどれだけ行動力がある人物なのかを誰よりもよく知っている。

 事実、こうして恩返しの為に押しかけて住み込みまでしているのだから。


 その上『本気で頑張る』つまり、誠一郎の私生活に介入することを決意したと言っているのだ。


(こりゃ、おにーさんこれから大変かもね~。でも、これできっと楽しい生活になるなぁ)


 エリカは華恋に見えないように一人でクスクスと笑う。


 その後二人は机でゼリーを食べて、メモに誠一郎へのお礼を書いてからリビングを出ていったのだった。

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