第5話 かくして美少女は押しかけた

「ですから、住み込みを」

「………………は?」


 ちょっと待て。なんか、話が。


「あ、あれ? 東さんから話聞いてます、よね?」


 神代のキョトンとした表情を見た瞬間。頭のシナプスがぴしりと繋がった気がした。


 ガタンと立ち上がって速攻で電話をかける。

 相手は、数コールで応じた。


『はいはい。かけてくる頃だと思ってたわ』

「おぃこらいったいどういうことだこれは?」

『口が悪いわねぇ。多分思ってる通りよ。神代さんからね、どーしても、なんとかして、どんなことをしてでも、加々美君に恩を返したいんです! って泣きつかれちゃってねぇ』


 そういえば連絡先、名刺を渡したとか言っていやがったな。


『だから住み込みの仕事を紹介したわけ。家事も禄にしないでダラダラ無為に過ごしてる孤独な少年の面倒を見るだけの簡単なお仕事よ、って』

「正気っすか!?」

『うん。だって君、このままだと本当に誰とも関わらずに生きていきかねないしね。いい機会だからそろそろなんとかした方がいいわよ、マジで』

「だからっ俺は」


 他人を信用することなど――。


『神代さんを心から信用しろ、なんて言ってないわ。あなたの受けた仕打ちを考えれば、人を簡単に信じられなくなっても仕方ないと私だって思うもの。でも例え気まぐれだろうと、助けたからには責任くらい取ってあげてもバチはあたらないんじゃない?』

「せ、責任?」

『どんな理由だろうと、手を差し伸べたからには相応の感謝を受ける覚悟もいるものよ。それにほら、犬とかだって拾ったら最後まで面倒みるのが筋ってもんでしょ?』


 む、無茶苦茶いいやがる。

 それに犬扱いは普通にひでぇ。いやでも犬可愛いしなぁ。じゃなくて。


『彼女にもプライドって物があるのよ。金だけだしてやったから後は好きにしろ、じゃあ納得できないことだってあるわ。どうしても不快なら途中でたたき出しても別にいいんだし、チャンスくらいあげたらいいじゃない』

「簡単に言ってくれますねぇ」

『だって簡単なことなんだもの。それに彼女にとってもいいことだわ。もし完全に長期住み込みってことになればアパート代だって浮くし。部屋は余ってるでしょ?』


 そりゃ確かに部屋は沢山余ってるけどさ。


 元々、事故物件だかなんだかで格安になってた一軒家を買い取ったから値段の割にデカイ家だしな。

 因みに、心霊現象の類いが起きたことは一度もない。

 一人暮らしは暇なので幽霊の一人くらいなら出てもいいなと思ってはいたのだが。


『彼女のお母様、結構入院が長引きそうなの。妹さんもいるみたいだし、生活は結構困窮してて』

「あ~っ、もうっ。はぁ~……。分かりました、分かりましたよ。降参です」

『分かってくれてお姉さん嬉しいわ! じゃ、困ったことがあったらいつでも連絡してきなさい。あと、ないとは思うけど可愛い子相手だからって無理矢理エッチなこととかしないように』

「誰がするかっ」


 電話を切る。

 ついでに色々とキレた気分だちくしょう。もうどうなっても知らんからな。


「あの~」


 おずおずといった様子で神代がこちらに話しかけてくる。

 今の話を聞いた限りじゃこいつ、俺に断れたら住処にも困るって可能性あるのか……?


「分かってるよ。住み込みってことなんだな?」

「は、はい! 今の私にできるのはそれくらいしか……。家事とかは、その、一応最低限はできると思うのでっ」


 何故かわざわざ立ち上がって、やたらと丁寧に頭を下げる神代。


 家事ねぇ。確かに俺は禄に料理もしないし、ずぼらを極めた生活をしているとは思うが。金を払って他人にやってもらうという発想はなかった。


 しかし、やってもらうと決定してしまったからには色々決めないといけないだろう。


「部屋は俺が一階で寝てるから、二階全部を好きに使ってくれていい。キッチンとか風呂も自由に使ってくれ。え~っと後の細かいルールは追々で、だ」


 諦めた勢いで一気に喋った言葉を、律儀にメモを取り出してチクチク書き込んでいる神代華恋かみしろかれん


 改めて、まぎれもなく美少女だ。

 顔が良いのは勿論、こうして正面から見ると思ってた以上に胸もでけぇ。


 今日からこいつと一緒に住むという事実に眩暈のようなものを覚えつつ、一番大切なことを決めるべく口を開いた。


「あ~、後は金の話、給料だな。住み込みの家事手伝いって相場どれくらいなんかね? ネットで調べて、いや東さんに聞いちゃった方が確実か?」

「日給にして一から五万円くらいが多いそうです。けど、勿論お金をいただくつもりはありませんよ? 現金で払えない分、恩を体で返すためにきたわけですし」

「……なんだって?」


 一体何を言ってるのこの人?

 金ないからウチきて住み込むんじゃねーのかよ。つか、体で返すって言い方なんか卑猥だからやめてくんない!?


「私が勝手に押しかけてきただけですから、給料はなくて当然です。……こんなことくらいしか……こんな押し売りみたいなことくらいでしか、私はあなたの恩に報えない。だから、どうか、私に時間と機会をくださいっ」


 再度深々と頭を下げる神代を見て、唖然としてしまった。


 彼女は、本当に恩を返す為だけに押しかけてきたらしい。

 正気の沙汰とは思えん。


「あ、あのなぁ。時間と機会って、一体どんだけ住み込む気なんだ? 単純に借金分を労働で返すっていうんなら、給料一日十万、いや二十万でも三十万でもいい。それですぐ返し終わるだろ」


 それでも大雑把な計算で数十日はかかる。夏休み中ずっと、みたいな日数だ。


 神代くらい可愛ければいくらでもバラ色スクールライフ的なものを謳歌できるはず。

 可能な限り早く終わりにして、借金のことから解き放たれた自由で気ままな学生生活を送ったらいい。

 普通の青春、ってのは多分そんなものなんだろうし。


「いいえ、加々美君の望む間はお手伝いをさせていただきます。勿論、将来的にお金が稼げるようになったら、少しずつ現金もお返しします」


 はぃい? なんじゃそりゃ!?


「まてまてっ、借金を返す為に住み込むって話じゃなかったのかよ?」

「え? いえ、今回は助けていただいた恩を返しにきたわけですので、現金の返済はまた別かなと思いまして。だから、今は無給で何でもしますっ」


 律儀すぎる! というか、クソ真面目過ぎる!


 なんて社会生活を生きてくのに向いてなさそうな奴なんだ。

 こんだけの容姿があればいくらでも世の中上手く渡っていけそうなのに、性格がこんなんじゃ逆に苦労する未来しか見えない。


「アホかっ。大体、男に向かって期限もつけずに何でもするとか言うもんじゃねぇよ」

「え? あぁ。その、加々美君を信じたいとは思っていますが、えっと、凄く過激っていうか、そういうナニかするとかは、しないですよね?」

「しないけどもな!?」


 でも、それを信用して住み込もうとするのは死ぬほど甘いとも思う。

 こっちだって一応健康健全な男子なのだ。いや、生活は不健全だけれども。

 あぁ俺の方がちょっと混乱してきてる。


「と、とにかく、給料も出さずに住み込みの仕事なんて認められるか。借金の返済と考えるかどうかはそっちが好きに決めたらいいが、どちらにせよ最低限相場通りの金は払うからな」


 人間関係は金で簡単に壊れる。

 逆にいえば、金の関わりで済ませられる人間関係までが俺の許容できる関係性なのだ。


 給料を払う雇用者、受け取る従業員。その程度が許容範囲。

 純粋な善意だけで結ばれる関係など、いつかあっさり崩れ去る時がくるだろう。

 その時には雇用関係なんかよりよっぽど大ダメージを受けることになる。


「いただけません。私は、私自身の意地と感情の為だけにここに押しかけた人間です。私の身勝手に、お金まで受け取るのは道理が合いません」


 神代は優し気な瞳を精一杯キリリとさせて俺を睨みつけてくる。

 まぁいくら目線をきつくしても正直ただただ可愛いだけなのだが。


 しかし、彼女は突然その目線を俺から外し、スッと床へと下げた。


「……もし、もしもあの時、加賀美君が来てくれなかったら。今頃私はどうなっていたか分かりません。妹だって、どうなっていたか。これはお金から発生した問題ですけど、お金だけで終わらせていいことではなくて、だから」


 神代は微かな震えを押しとどめるかのように、片腕で自分の体を押さえつけている。


 多分、彼女の中にはまだ生々しく残留しているのだ――あの時の恐怖が。


「だから私の我儘を聞いてほしいんです。どうか、お願いしますっ」


 今までで一番深く頭を下げる、神代華恋。


 彼女は本気で恩を返すためだけにここに立っている。

 自分からこうして押しかけて、それは我儘だと半ば自嘲気味に認識しているのだ。


 それでも俺が、本気で『迷惑だ』と言えば神代は納得してくれるだろうか?


「………………」


 ダメだ。


 こんな真っ直ぐな目で見てくる人間を口先だけの一言で納得させることなどできない。

 俺にそんな度胸はないし、説得に足るような言葉も思いつかなかった。


「はぁ~。あ~、保留」

「へ?」

「保留だ。住み込みについては勝手にしろ。給料のことはとりあえず保留にする。まぁ確かに働きぶりとかまだ見てないしな。その辺確認してから歩合制で金額決めてもいいだろ」


 あとで東さんにも相談して、給料方面はこっちで勝手に決めてしまおう。


「加々美君って、思ってた以上に頑固なんですねぇ」


 なんか妙に感心したような表情でため息をつきやがった。


「こっちのセリフだよ。神代さんがこんなに押しが強いとは思わんかった。学校ではもうちょっと穏やかだったような気がするが?」

「学校では、表面上の関わりも多いですし?」


 ……ただのお人好しな天然優等生、ってだけでもないのか?


 表面上の関わりが多い、ということは、プライベートでの彼女には別の一面もあるということなんだろうからな。


「でもよかったです。頑固とか以上に、加々美君がやっぱり凄く優しい人で」

「――――はぃ?」

「これなら私も全力で、心の底から恩を返すことができます」


 拳をぐっと握って気合いを入れている美少女の姿に、本格的な目眩を覚えた。


 ほんっとに人間社会生きるのに向いてねぇなこいつ!

 ちょっと金だしてもらったくらいで人の内面を判断するなんて、愚の骨頂だっ。


「いや、だから俺はっ」

「不束者ですが、どうぞよろしくお願いいたします」


 神代は学校でよく見かける、本人曰く表面上の笑顔――よりもほんの少し深い、何かしらの決意が籠もった微笑みを浮かべながらそう言った。


 生まれて初めて見たと思えるほどの綺麗な笑顔に、何も言えなくなってしまう。


 まったく、これだから女と関わりができるのは嫌だったんだ。

 こっちだって健康な男子だぞ? どうしたって美人にゃ弱いんだっつの。


 男女関係なんて人生を破滅させる要因の一つだと両親を見て学んだからこそ、今まで女子との関わりもなるべく避けてきたというのに。


「……くそっ。わーったよ。取り合えず、しばらくの間よろしくってことで」

「はい!」


 こうして、金が縁で同居することになった女子、という俺にとってはある意味最も厄介な手合い。神代華恋との生活が、始まってしまった。

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