第3話 困惑混迷の美少女さん

「急に呼び出されてびっくりしたわよ~。まったく、なんなのこの状況は? 誠一郎せいいちろう君」

「すんません、あずまさん」


 少しして。アパート下の駐車場に『東法律事務所』と書かれた乗用車が停まり、二十代中盤に見える女性が降りてきた。

 実際の年齢は教えてくれたことがないけどな。


「このガキ、本当に……」

「黙ってろ」


 借金取りの男たちがピリピリとした雰囲気でこちらを見ている。

 まぁ、いきなりマジで弁護士が介入してきたらそりゃ多少は面倒に思うか。


 でも、こっちもこの事態を長引かせる気などない。ちゃんと金は払う。

 金で解決できる問題は金できっちりと解決してしまったほうが後腐れも無いのだから。


「じゃ、すぐに移動しましょうか。そちらも時間かけたくはないでしょうし」


 まずは銀行か。今日中に一応のカタはつくかな。

 神代の親にも話を通さないとだが。


「ほら、神代もぼーっとしてないで。行くぞ」

「えっ……? でも、わ、私、何がなんだか」

「いいから。今は取りあえず言うとおりにしてくれ」


 状況についてこれない神代には悪いが、俺は説明する気など毛頭ない。

 寧ろこの件があったことで、彼女との縁は完全に終わりにするつもりなのだ。


 金でできた縁など、信用してはならない。


 俺にとって人生の教訓である。だから神代と話すのもこの件が最初で最後だ。




 結論からいえば、一日で大体のカタはついた。


 神代は父親が亡くなっているらしく、母親も病気で入院中ということだったので、親に対する諸々はその日のうちに終わらせることができなかった。

 が、まぁその辺は東さんに任せてしまえばいい。もう彼女に今回分の依頼料も払ってある。


 借金取りの男も、金を払ったらそれでおとなしく引き下がった。

 取るモノさえ取れば、あちらも変に面倒を拗らせたくはないだろう。

 東さんがこの手の案件に色々と関わってきた弁護士だと途中で調べをつけていたみたいだったしな。


『はッ。まさか本当に払っちまうとはなぁ。本当に一体なんなんだ、お前さん?』

『別に、普通の高校生ですよ。ちょっとした事情で貯金額が多かっただけです』

『そうかい。だとしても随分気前のいいこった。よかったなぁお嬢ちゃん。頭のおかしい奴がクラスメートにいて。よくよく礼をしてやるこったな』

『……私、わたしは……』


 神代は最後まで混乱から覚めることなく終わった。

 当然だ。そうし向けたのだから。


 彼女の意思を無視して話を進めたし、なるべく早くカタをつける為に諸々の説明を東さんに押しつけて俺はすぐに帰ってしまった。

 神代からすればよく分からないうちに全てが終わっていた、というところだろう。


 我ながら無茶なことをした自覚はある。

 ゆえに、こうして電話口で東さんに愚痴を言われても仕方がないと思って甘んじて聞こうじゃないか。


『今日のことは本当にびっくりしたわよ、誠一郎君。突然だったしね。あんまりこういうことをあなたに言いたくはないけど、いくらなんでも今回の件は無茶苦茶が過ぎると思うわよ?』

「分かってます。でも、こんなのは最初で最後ですから」


 振り返ってみれば、今日一日の出来事は自分からみても本当に無茶が過ぎた。

 なんでただのクラスメートなんかにここまでしたのか、よく分からない。


『はぁ~。君の金融資産を考えれば、確かに払える金額でしょうけどねぇ。まぁいいわ。私もあなたとはそこそこ長い付き合いだし、泉堂先生からも頼まれているしね。また何かあったらすぐに連絡なさい』

「ありがとうございます」

『…………誰かの為に君が動いた。そのことだけは、純粋に嬉しいと思ってるわ』


 東さんの声に込められた感情が少しだけ、距離を縮めてきたのが分かった。

 俺という人間を個人的に心配している年上のお姉さん、ってところか?


 ありがたいことではあるし、同時に申し訳ないことだとも思う。

 何しろ、俺は彼女が思っているであろう親切心やら優しさやらで神代を助けたつもりはないのだから。


「別に。元々が真っ当な金ってわけでもない。今回のは本当に偶々ですから。神代とも今後は一切関わりあいになる気はないですし」

『それは、極端すぎない? 他人をもっと信用しろなんて君に言うつもりはないけれど、学生同士の付き合いくらいはいいと思うわよ?』

「挨拶くらいはします」


 電話の向こうで東さんがため息をついたのが聞こえた。

 心配と諦めが混じったような、深めのため息。


『いっそ借金立て替えた代わりに恋人にでもなって貰えば? すんごい可愛い子だったし』

「アホなこと言わないでください。それじゃ寧ろ俺が極悪人みたいじゃないっすか」

『冗談よ。でもまぁ、あなたの過去を考えるとそれくらい変な理由じゃないと恋人とか作れなさそうだなって思っただけです~』


 恋人ね、そりゃ確かにできないだろうよ。

 そんなもの、人間を信用できない人間が結べる関係なわけがない。


『何にしても、せめて一度くらいちゃんと話はしてあげなさいね。彼女だって困惑しているでしょうから』

「分かってます」


 面倒ではあるけどな。

 人と関わり合いになってしまうのは、本当に面倒なことなのだ。







「おはようございます。加々美かがみ君」

「……おはよう、神代さん」

「昨日のことでお話しがあります」


 やっぱ、こうなるよな。


 諸々が終わって次の日の朝。

 神代は登校してきた俺に対して脇目も振らずに歩み寄ってきた。

 無論、借金立て替えの件についての説明を求めてのことだろう。


「あー、後ででいいか? こんな所でする話でもないだろう」


 すでに俺と神代はクラスの中で注目を集めている。


 正確には、神代が俺のような目立たない陰キャに話しかけているという事実が注目されているんだろうけど。


「分かりました。では、また後ほど」


 後ほど、ねぇ。いいんだけどなぁ、これっきりで。

 



 しかし、神代は放課後になったらやっぱりきっちり速攻で俺の元へとやってきた。


 席を立ち、神代を伴って歩き出す。

 俺は黙って歩き、彼女も黙って着いてくる。


 クラスを出て、学校を出て、近所の喫茶店に入るまでお互いに一度も口を開かなかった。


「さて、と。なんか頼むか?」

「いいえ、私は何も」


 席につき、向かい合った神代の顔はえらく怖い。


 多分緊張してるとかなんだろうけど、こんだけ整った顔をした人間――更にいえば普段は穏やかな表情ばかりの奴がお堅い面をしていると妙に迫力があるな。


「で、話っていうのは?」


 注文したコーヒーがくるまでたっぷりと沈黙を味わった後、やっと口を開いた。


「分かっているでしょう? 昨日のことです」

「借金か? なら解決しただろ。詳しいことは東さんに説明も含めて頼んでおいたはずだ」

「はい、教えていただきました。あなたが借金の肩代わりをしてくれたって。ただの親切だから受け取っておけ、と。また困ったことがあったら連絡しなさいって、名刺までもらいました」


 流石、アフターサービスまで丁寧だな東さんは。説明自体はえらく雑な気もするけど。


「話としてはそれで終わりだろ? 借金が消えてめでたしめでたしだ」

「終わっても消えてもいません。借金を返す先が加々美君へと移動しただけです」

「いらねーよ。東さんに聞いたんじゃないのか?」


 金を貸したわけじゃない。俺は貸すのも借りるのもごめんだ。

 東さんが伝え忘れたのか?


「聞きました。返さなくていいから、お礼だけしてあげて、と」

「なんだ、聞いてたんじゃないか。ならそういうことでいいだろ。じゃぁもう帰」

「――そういうこと、で納得できるわけないでしょう!?」


 神代が突然に大きな怒声、というか寧ろ悲痛にも聞こえる声を上げた。


 氷にヒビが入ったかのように、表情からも感情が漏れ出てしまっている。

 戸惑い、混乱、そういう類いのものが。


「なんで私なんかの為にあんな金額を……どうして、話したことも殆どないただのクラスメートにっ。私、何がなんだか……こんなの、どうやってお礼をすればいいのか分からないですっ! ありがとうなんて言葉だけじゃ、全然……!!」


 ――あぁ、本当に面倒くさい状況だ。


 神代がこんな風になっているのは、恐らくは恐怖からだろう。

 ただの他人が突然に大金を出してきたら俺だって怖い。


 でも、それでいいのだ。警戒するのは当り前で正しいこと。

 だからこそ、俺が何を言ったって無駄なのだ。

 どんな言葉も信用してもらえないだろうし、してもらうべきではない。


 つまり最後まで何も言わない、お互い関わらないことこそが正解。


「礼っていうなら、頼みが二つほどある」

「……え?」


 神代の顔に少しだけ希望の光が宿ったように見える。が、それは完膚なきまでに打ち砕かなくてはならない。


「この話はここで終わりにすること。二度と俺に話しかけないこと。この二つだ」

「ッ――!」

「あと、別に神代だったから助けた、とかじゃない。偶々目に付いただけ。で、俺には偶々簡単に解決できる問題だった。だから暇つぶしに首を突っ込んだ。それだけだよ。悪いが、神代の考えるような複雑なことは、この件には何もない」


 席を立つ。

 黙り込んで動けない彼女を尻目に、伝票を持って歩き出した。


「じゃあな」

「…………」


 神代は、応えなかった。

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