明日綺麗に死ぬために。

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明日綺麗に死ぬために。




 セブンイレブンでモンスターエナジーとお徳用ドーナツパッケージを買ってきました。午後二時のことです。死にたくなると、いつも私はモンスターエナジーを買ってきては飲むのですが、今日は特に死との境界線が曖昧で、生を繋ぎ止めるために身体が甘いものを欲したのでしょうか、とにかく今日は血糖値が異常値を出すだけのものを買ってきて、食べていました。本物の薬よりもの薬らしさと、作り手の味がしない下手クソな甘みが私の脳を刺激して、やがてついに死の願望と本当の死の結びつきがほぐれていきました。しかし、残ったのは生存という虚無であり、私はそれさえも紛らわすために、口の中にあるドーナツの残りを舐め回しながら、これを書いています。

 死とは何でしょうか。いえ、根源的に生きるとは何でしょうか。これを問うことがあります。

 人は生まれてから苦しみを三度経験するといいます。生まれる苦しみ、生きる苦しみ、死ぬ苦しみ。そのうち生まれる苦しみは母が代替してくれて、生きる苦しみも誰かと共有できるものです。しかし死ぬ苦しみはたった一人です。生と死は万人の始まりであり終わりで、それらは誰も彼も変わることのできない理です。人はやがて、一人で死んでいくのです。

 人は死ぬために生きるのでしょうか。生きるために死にいくのでしょうか。分かりません。分かりませんが、飲みかけのモンスターエナジーの炭酸が缶の中ではじける音と、キーボードの打鍵が部屋の中に置いてけぼりになっていることだけは分かっていました。

 世の中には私よりもの上位互換が出回っていて、とうに私の居場所はないように思えました。もし今日死んでも、家族はそれは悲しむでしょうが、社会はほんの少しの混乱を経た後に正常に戻っていく。それはなんとなく、悲しげであり、でも仕方のないように思えました。

 生きるって、実はそれほど意味のない行為なのではないでしょうか。簡単に代替ができてしまう。中々に代替ができないのはイーロンマスク位でしょう。

 一方で、そう考えた私の脳には、死が素晴らしいものに見えてきたのです。ああいえ。今すぐに死にたいという気持ちはとうに過ぎていますのでご安心ください。これはそういうネガティブなワードではなく、もっと哲学的な会話です。死が素晴らしいのは、誰に対しても平等であり、一人で苦しむものであり、物事の最後であり、先程の通り誰も代替出来ません。そう。イーロンマスクがツイッター上に永遠の命BOTを制作でもしない限りは、死は万物に訪れるものです。あの宇宙でさえも、死が存在すると言われています。

 皆が平等に暮らせない生きることよりも、万物に平等である死の方が十二分に価値のあるものだとは思いませんか。宗教でいうところの「生きているうちに不平等な生活を評価して死後の世界を判別する神」よりも「死神」の方がまったくもってして立派な役割を担っていると、私は感じます。

 いつの間にか、モンスターエナジーの中身が消えていました。一体誰が飲んでしまったのでしょうか。

 話を戻して。死を全うするための要件とは何でしょうか。より良く生きる? 間違いない一つの答えでしょう。良い人生を送れば良い死に方もできるというものです。ですが正直、面白くない。ですので私はここで「明日綺麗に死ぬために、今日を死ぬほど生きてみる」というのを推してみようかと思います。

 これは自分に向けてのメッセージでもあります。

 人は疲れれば弱音がでます。人によってはしんどい、死にたいともなるでしょう。私なんかそうです。心が疲れていると死にたくなります。そして事実、年によっても上下しますがおおよそ三万人がこの日本で自死を選んでいます。

 私はそういう当事者になりかけの人間として、批判もなにもできません。事実、死にたがっている。今日は首をつるところまで頭をよぎりました。それどころかこういう話題になると必ず「自殺は短絡的だが効果的な最終解決手段だ」とも考えています。何も言えません。ただ、彼らはよく生きたのだと思います。綺麗な花が摘まれるのと同じように、懸命に生きたからこそ、死神が微笑んだのではないかと。

 しかし思えば、私は懸命に生きた記憶がありません。いや、実際の所毎日懸命に生きているのですが、自分でもこの生き様にせいせいしたと思うほど、懸命には生きていません。だから死にきれないのでしょう。本当に死にたいラインまで酷使していないから。でも「明日綺麗に死ぬために、今日を死ぬほど生きてみた」ならば? 本当にしんどくて明日にでも死のうと決意するだけの生き方をしたならば? それは誰も文句のいわない、素晴らしい生き方であり、その結果が死だとしても真っ当な死を送ったと言えるでしょう。

 死ぬほど生きた人間を、死にたがりの私は知りません。なればこそ、自分自身が真っ当な死を送るために必死に生きてみよう。素晴らしい死に方をするために。そう思えたのでした。


 午前三時。ドーナツが一つ余っていたので、これを投稿後に食べるでしょう。

 あなたに甘い死が来ますように。私に素晴らしい死が来ますように。

 そして私が死ぬほど生きてみますように。


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