第103話 敗戦の傷跡
曹丕の口から袁紹との戦のあらましから始まり、捕虜としての扱いが明らかとなっていく。
話を聞き終えた曹操はその場にいた夏侯惇を殴る。
「夏侯惇!息子のした事の責任をはたせ、袁紹攻めで功績をあげろ!」
「仰せのままに・・・
曹操申し訳無い。」
夏侯惇も粛々と殴られる事を受け入れ、下された命令すら受け入れる。
その目には恥さらしな息子への怒りが宿っていた。
一方、息子が降ったと聞いた郭嘉は膝から崩れ落ちる。
「あのバカ息子め、生兵法しか覚えていなかったのか・・・」
郭嘉とすれば家督争いに首を突っ込んだだけでも軍師にあるまじき行為である。
その上、敵の奇襲に気づかないなど、何のために従軍しているかすらわからない。
「これが親の欲目というやつか・・・」
郭嘉は天を仰ぐ。
兵法書をそらんじ、自分と対等に軍略を語れるようになってきた矢先であった。
今回の戦では戦場の機微を知ればよい、ただそれだけだったのだ。
それを欲をかいて黎陽を落とそうなど何を考えているのか呆れるばかりだ。
郭嘉自身は曹操に責められる事は無かった、勝敗は兵家の常、その事を責める気は無いのだろうが、郭嘉の心には大きな傷が残る。
敵に降り、主君の息子に生涯ものの傷を残すなど合ってはならない大失態である。
たとえ、生きて戻って来ることが出来ても許す気にはならない。
それどころか自身の手で処罰する覚悟すら固めていた。
一方、曹丕は人前に出ることを嫌うようになっていた。額に大きな焼きあとが残り、信じていた部下の夏侯楙に裏切られ、かなりの人間不信に陥っていた。
「姉上!!」
見舞いに来た曹清抱きつき離れようとしない。
「曹丕・・・」
曹清は優しく頭を撫でる。
色々あったとは言え、弟である。
心の優しい曹清が見捨てられる訳も無く、陳宮との部屋ではなく宮殿での生活が暫く続いていた。
その間も俺達は慌ただしく動く事になる。
袁紹との戦に敗戦したことで国内の豪族達の動きにも怪しい物が出ていた、それを鎮圧する為に軍部は各地で色々動いているのだが。
「陳宮、一度徐州に行き周辺を慰撫してくれんか?」
曹操は申し訳無さそうに伝える。
曹清との挙式を控え、屋敷を建てている最中である。
本来なら許昌にて二人の生活をしてもらうつもりだったのだが・・・
「それはかまわない、軍の編成も行いたいし、徐州の統治もしなければならないだろう。」
「すまんな、陳宮。」
曹操の表情は暗い物があった。
「任せておけ。」
俺は命令を受け取り、出立の支度を整える中、曹清に会いに宮殿に出向くのだが・・・
「陳宮様、曹清様は曹丕様の心の傷を癒やすのに忙しいのです。
くだらぬ要件なら後日になさってください。」
キツイ目をした侍女に無下にあしらわれる。
たしかに曹丕の姿は悲惨なものがあった、家族思いの曹清は曹丕の相手で精一杯なのだろう。
「ならば伝言を頼む、私はこれより任務で徐州に赴く事になった、と伝えて欲しい。」
「わかりました。要件はそれだけでしょうか?」
「ああ、それだけだ。」
「わかりました、お伝えしてきます。」
侍女は俺を門前で待たせ、奥に入って行き、すぐに戻ってくる。
隣には曹真を連れてきていた。
「曹清様に伝言はお伝え致しました。
それではお帰りください。」
「曹清様はなんと?」
「陳宮殿、不敬だぞ、何故お返事がいただけるなどという勘違いをしている。」
「たしかにその通りかもしれぬな。
だが・・・」
俺は少し違和感を感じる、今までの曹清なら少なくとも返事ぐらいはしてくれるだろう。
「陳宮殿、世の中には分不相応というものがある、たしかに曹清様の優しさに勘違いをしたのかも知れぬが、そもそも陳宮殿と曹清様には隔たりがある、身の程をわきまえた方がよろしいですぞ。」
「・・・全く、曹清様に釣り合うか考えればわかるじゃない。」
ボソリと言う侍女の言葉が耳に入る。
たしかにその通りかも知れない、曹真や侍女の言う通り、曹清と俺とでは釣り合いは取れていないだろう、徐州に向かえと言う命令自体が距離を取れとの意味だったのかも知れない、そう考えると曹操の申し訳無い表情も納得ができる。
曹清と身体を重ねたとはいえ、薬の影響や功績を立てたあとである。
褒美の意味合いが強かったのかも知れない。
曹丕が深く傷付く原因になった俺とは距離をおきたい、そう思っても仕方ないだろう。
俺は返事をすることなく宮殿を後にする。
「男女の機微とは如何に難しいものなのか・・・
これなら軍略の方が簡単やも知れん。」
俺は一人納得しつつ、そういう事ならなるべく早くいなくなった方が良いだろうと翌日には許昌を離れるのであった。
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