ハヤカワくんのはやとちり:4
ハヤカワくん三十一歳。
2010年(平成22年)、ハヤカワくんは社会人九年目となり、公私ともに充実した生活を送っていた。
大学卒業後、新卒で入った自動車メーカーでは、営業部門に配属され、企業向けに営業していった。
入社五年目の時に大口案件を受注することができ、その年のトップセールスを記録し、課長へと昇格した。
その時ちょうど仲の良かった同僚の
ちなみにスドウさんとは大学卒業後、しばらくしてから別れてしまった。原因はハヤカワくんの仕事がいつも残業ばかりで、一緒にいられる時間が以前と比べて少なくなってしまったからだった。
その点、マツムラさんとは同じ職場で、悩みも共有できることから、仕事に対する理解度があった。
それで、意気投合し付き合い始め、一年後には同棲、さらにその一年後、つまり二十九歳の時にマツムラさんと結婚した。
そしてその二年後。ハヤカワくんは埼玉に家を買った。
「トッシー、家買うんだってな」
同期のヨシダくんが話してきた。
「あぁ。ローンのこと考えるとそろそろ買っておこうと思って」
「おうおう。美人な奥さんゲットして、昇進して、家買って。お前勝ち組じゃん」
「いや、別にそんなことないし」
「子どもは作らんの?」
「実は今三ヶ月なんだ」
「マジかよ。絵に描いたような人生だな」
「子どもが生まれたら、今住んでるところだと手狭になっちゃうから、この際に買おうと思って」
「羨ましいぞ。トッシー」
「何言ってんだよ。お前だって、聞いたぞ」
「何だよ?」
「自動運転技術の開発してるんだってな。ヨシダは未来の開発部長なんだろ」
「まあな。人工知能を搭載することで人間は運転しなくて済むようになるんだ。これが出来たら世界が変わるぞ」
「そんなSFみたいな話が現実になるのか?」
「あぁ。アメリカではDARPAグランドチャレンジっていう自動運転の技術を競うレースが毎年開催されてるんだ。そう遠くない未来では、ハンドルを握らなくてもロボットが勝手に運転してくれるようになってるよ」
「ロボットが暴走して、人を轢き殺すようなことがないように開発してくれよ」
ハヤカワくんはそんな冗談を話した。
この年、世界一の高さのビル、ブルジュ・ハリファがドバイに完成し、日本では建設中の東京スカイツリーが東京タワーを抜き日本一の高さの建設物となり、カナダではバンクーバーオリンピックが開催され、南アフリカではアフリカ大陸初のワールドカップが開催、そして小惑星探査機の「はやぶさ」が小惑星イトカワからサンプルが採取し、世の中を魅了した。
そして2023年(令和5年)、ハヤカワくんは四十四歳になった。
2019年の暮れから世界中に広がった新型コロナウイルスは、一時期ほど騒がれることはなくなったが、それでも終息することなく、マスク生活やワクチン接種、感染者の自宅待機など、今でも少なからず日常生活や経済活動に影響を及ぼしていた。
さらにロシアによるウクライナ侵攻の長期化、円安や増税による生活の圧迫なども相まって、社会全体がネガティブな雰囲気になっていた。
そんな中、埼玉県所沢市に新しい施設がオープンした。昭和や平成の時代をたっぷりと堪能できる「昭和レトロ&平成ノスタルジーアミューズメントパーク」だ。
暗い世相を反映したのか、人々はこぞって懐かしさを求めてそのテーマパークへと足を運んだ。
ハヤカワくん一家が住む地域からも近いこともあり、一度行ってみることにしたのだ。
ハヤカワくんと、妻のシホリ、そして十三歳の娘、
「すごい人だな。浦安のテーマパーク並じゃないか」
「ユナ、そっちに行きたかったー。今、四十周年イベントやってるんだよ!」ユナがマスク越しでも分かるほど頬を膨らました。
ユナは開園するまでの間、駄々をこねていたが、いざ施設の中に入ると、見たことのない世界に物珍しく目を輝かせていた。
完全屋内施設で、昭和ゾーンでは1980年前後を再現した大小三十の建物が建てられており、その全てが中に入れるようになっている。
天井は非常に高く、プロジェクションマッピングで再現された空が一時間かけて朝から昼、夕方になりそして夜へと変わっていく。
昭和ゾーンの入り口付近には、昭和の衣装を着たスタッフが呼び込みをしていた。
「昭和の魅力をたっぷり堪能できる音声ガイド、五〇圓で販売しています。ナビゲーションは人気声優の甲斐節夫さんです」
入り口からは通りが奥に向かって一本延びていた。「夕焼け商店街」という名のアーチ状の看板が建てられており、1980年代の昭和の商店街を再現した建物が道の両端にいくつか建っていた。「木村ミート店」、「ミツマル商店」、「加藤青果」、「おもちゃのレオン」、「イトー電気」、などの看板が見える。突き当たりには「県営住宅」と書かれた三階建ての建物が建っていた。
「よし、行ってみようか」
商店街ではユナが楽しそうに店を巡っていた。「木村ミート店」では特製コロッケを食し、「おもちゃのレオン」では毛虫型のモールのおもちゃが、店員の実演によって自在に動いているのを見て驚いていた。わんぱく広場では、「けんけんぱ」をテーマパークに来た他の子どもたちと一緒に遊んでいた。
ハヤカワくんとシホリも、懐かしさを感じることができ、十分に楽しめた。
しかし、商店街を満喫し、「県営住宅」の前に来るとその状況が変わったのだ。
「この住宅、父さんの住んでいた住宅にそっくりだ」
「どこもこんな感じでしょう?」シホリが住宅を見上げる。
「いや、なんていうか佇まいがそのまんまなんだよ」
灰色のコンクリート壁の県営住宅は建物の中央に階段があり、各階両端にそれぞれ一部屋用意されている。三階建てなので合計六部屋ある。
階段の前には「見学列」と立て看板が立てられており、そこに十数人の人が並んでいた。
「はやく、入ってみよう!」ユナが、住宅前の列に並んだ。
住宅内は当時の住居を再現した展示スペースとなっているようで、2LDKの狭い空間は新型コロナウイルスの感染症対策で入室制限がされていた。
係の人が部屋番号を告げると、その部屋を見学できるようになっていた。六部屋のうち、ランダムでひとつだけが見られるようになっている。
列に並んでいたハヤカワくん一家もやがて係員に呼ばれた。
「次のお客様、302号室へどうぞ」
「父さんが住んでいた部屋番号だ……」ハヤカワくんは呟いた。
シホリとユナと一緒に階段を上がり、緑色に塗られた玄関ドアの前まで来た。
「このドアも、父さんが住んでいた団地と一緒だよ」
「よくあるデザインだもの。入りましょう」
シホリもユナも特段不思議に思っていなかったが、ハヤカワくんだけは違った。明らかにハヤカワくんの記憶の中にある、昔自分が住んでいた団地と一緒だったのだ。ハヤカワくんは嫌な予感がした。
ユナが緑のドアに手をかけ、扉を開けた。
そこに広がっていた光景にハヤカワくんは言葉が出なかった。
そこはハヤカワくんが過ごした家そのものだったのだ。
キッチンの前にある四人用のダイニングテーブル、ダイニングテーブルの上に置いてある花柄の魔法瓶、コンロの上にある花柄のホーロー鍋、リビングに備え付けられている木製のサイドボード。
そのどれもが、ハヤカワくんの幼少期の記憶とそっくりそのままだったのだ。
そして何よりもサイドボードの上にはオカルト雑誌の『アトランティス』が置かれていた。
「……父さんの住んでいた家だ」
ハヤカワくんは鳥肌を立たせ身震いした。
「この当時に流行ったもの並べたらこうなるのよ」シホリは笑う。
「いや、そっくりなんだよ……」
ここまでそっくりなことあるだろうか。
「ねぇねぇ、そろそろ平成ゾーンに行こうよ」
展示だけのこの場所はユナにはつまらないようで、シホリの手を引っ張り平成ゾーンへと急かした。
「お父さん、行きましょう」シホリがハヤカワくんに声をかけた。
ハヤカワくんは煮え切らない思いのまま平成ゾーンへと向かった。
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