ハヤカワくんのはやとちり:3
ハヤカワくん二十二歳
2001年(平成13年)、ハヤカワくんは大学四年生になった。
この頃になると、ハヤカワくんのオカルトブームはかなり下火になっていた。
理由はいくつかあった。まずひとつめは、ウエハラくんと疎遠になったことだ。ハヤカワくんもウエハラくんも大学進学を機に地元青森から上京したが、それぞれ別の大学に通っていた。中学高校と毎日のようにウエハラくんとオカルト話をしていたが、その話相手がいなくなったことがハヤカワくんには大きな影響を与えた。
もちろんウエハラくんとは連絡を取り合っていたし、たまに会ってはオカルト話で盛り上がっていた。
しかし大学二年生の7月、決定的な出来事が起きた。起きたというより起きなかった。
1999年7月、
空から恐怖の大王が来るだろう、
アンゴルモアの大王を蘇らせ、
マルスの前後に首尾よく支配するために。
人類滅亡の予言として、世間でも大きく話題になった「ノストラダムスの大予言」が外れたのだった。
1999年7月の最終日である31日土曜日にハヤカワくんはウエハラくんと渋谷で呑んでいた。
世間が予想していた、異星人の襲来、隕石の落下、大地震、大津波、火山噴火、ウイルス、世界恐慌、核爆弾、彗星による毒ガス放出、影の組織の台頭などの様々な滅亡論は、7月最終日になっても何一つ起こっていなかった。
この日の八日前に全日空61便がハイジャックされた事件が起きた。ハイジャック機は副操縦士と非番の別の機長によって、犯人の手から奪還、緊急着陸することが出来たが、機長は犯人によって殺害された。
犯行動機は「フライトシュミレーションゲームのように、レインボーブリッジの下をくぐってみたかった」と述べ、仮想と現実の区別がつかない状況での犯行だった。
事件の大きさから、これがノストラダムスの大予言かとハヤカワくんは思った。
しかし、非常に痛ましい事件ではあったものの、世界が滅亡することはなかった。
ハヤカワくんとウエハラくんは呑みながら、残された7月の時間で世界が滅亡することがあるか話をしていた。
「だって、あと数時間でしょ? あるとするなら核爆弾とかじゃないか?」
「地震もまだ可能性的にはあるな」
飲み屋の席から渋谷の通りを見下ろす。たくさんの人が行き交っている。とても今日で世界が終わるとは思えない光景だった。
「ホントに終わるのか?」
「これが最後の晩餐になるのか、それとも明日も食えるのか」
ウエハラくんは焼き鳥を口に入れた。
「最後なら何食べたい?」ハヤカワくんが訊く。
ウエハラくんは食べ終わった焼き鳥の串を4、5本使って「上川マーク」を作っていた。
「そうだなぁ、やっぱステーキとかかな? ハヤカワくんは?」
「母親のクリームシチューかなあ」
ハヤカワくんは高校生まで食べていたクリームシチューの味を思い出す。
「あ、あと五分切ったぜ。世界滅亡まで」
しかし何も起こらないまま八月がやってきたのだった。
そして、それから五ヶ月後、世界は平和に2000年を迎えた。
コンピューターが誤作動を起こし、電気や水道、ガスなどのライフラインは停止し、鉄道や飛行機などの交通機関も麻痺、インターネット通信も停止、金融は混乱し、核ミサイルも誤発射される、と騒がれた2000年問題、通称Y2K問題も何一つ起こらなかった。
別にそれを望んでいたわけではないが、『アトランティス』や『特殊リサーチ20XX』などで大きく取り上げられた内容がこうもことごとく外れていったことも、オカルトの類いへの興味が薄れていった理由のひとつだった。
さらにハヤカワくんが大学四年生だった2001年9月には、イスラム過激派組織アルカイダによって、ツインワワーのワールドトレードセンターやペンタゴンが攻撃された「アメリカ同時多発テロ事件」が発生した。この事件で約三千名もの死者を出した。
攻撃された瞬間の映像が度々ニュースで流され、それを見る度にハヤカワくんはショックを受けた。
事件発生直後から、「ノストラダムスの大予言はこのことを指していたのだ」とか「イルミナティカードには、ツインタワーへの攻撃を予言していた」などの予言や「テロが起きることを事前にアメリカ政府は知っていたが無視していた」とか「アメリカ政府とアメリカ軍がツインタワー内に爆弾を仕掛け、それを飛行機が追突したのと同時に爆破させ、タワーを倒壊させた」などの陰謀論を耳にした。
さすがに多数の死者を出した事件に対し、予言や陰謀などと面白がることは、ハヤカワくんには出来なかった。
これらの理由に加え、ハヤカワくんに彼女が出来たことがオカルトブームを決定的に下火にした。
彼女との出会いは、2000年を迎えた大学三年生の時だった。
ハヤカワくんの一目惚れだった。
初めてのゼミで、学生たちが集まったときに、ひとりだけとても目を引く女性がいた。
容姿に関しては一般的に言うと、美人というわけではなかったが、仕草がかわいらしい人だった。
ハヤカワくんはゼミで会う度に彼女の魅力に惹かれていった。
知的でいて、かつアグレッシブな彼女の名はスドウさんと言った。
ランチに誘ったり、映画に行ったり、ディナーに誘ったり、水族館やボウリング、カラオケに行ったり、ハヤカワくんの家に誘ったりして、やがてふたりは結ばれた。
「好きだよ」
「ありがとう」
愛を確かめ合い、尽き果てたハヤカワくんは、スドウさんの隣に寝転がった。お互い裸のまま、ハヤカワくんがスドウさんを後ろから抱きしめる。
スドウさんはハヤカワくんに抱かれながら部屋を見ると、ある一角が気になった。
「トシくんって、オカルトオタクなの?」
「あ、あれ?」
ハヤカワくんは本棚を指さした。そこには大学生になってから購入した『アトランティス』や『OMR』、そのほかのオカルト系の書籍が並べられていた。
ちなみに実家には今までの『アトランティス』が保管されていた。
「オタクってほどじゃないけど、好きだよね」
「そうなんだ。なんか意外。トシくんって論理的な人だと思ってたから。そういうの好きなんだね」
「あ、いや。昔ね。今はそこまで」
ハヤカワくんはスドウさんの反応から咄嗟にそう答えた。
「私、幽霊とか超常現象とか、ホラー苦手なんだよね」
「そうなんだ」
「うん。一昨年だっけ? 『リング』がブームになったの。見た?」
「あぁ、見たよ」
ハヤカワくんは心霊系のオカルトはあまり得意としていなかったが、当時のホラーブームに乗っかり、『リング』や『シックスセンス』は映画館に見に行った。
「よく見れるね。見たら本当に呪われそうじゃん。松嶋菜々子好きなのに、見れないよ。そういう本は置いてないよね……?」
ハヤカワくんはスドウさんが身をすくめたのが分かった。
本棚の背表紙には「ノストラダムスの大予言まであと半年!」、「秘密結社は存在した!」、「ミステリーサークルの複雑化が示すモノは!?」、「神秘! カッパのミイラが複数発見!」、「未来では、仮想空間にサイバー大学が開校される!」、「ナノテクノロジーによって人間は政府に監視される!」といったサブタイトルが見える。
「心霊っぽいのは持ってないから大丈夫だよ」
「幽霊の他にも、宇宙人とか世界滅亡とか陰謀論とか、そういう得体の知れないモノ全般、苦手なのよね」
「そ、そうなんだ」
ハヤカワくんの本棚に並んでいる書籍はまさにそういった類いで回答に困った。
「幽霊もだけど、何だか第三者に見られてる気がして不気味なのよね」
「どういうこと?」
「あんまり考えないようにしてるけど、幽霊からは私たちが見えるわけでしょ? それから宇宙人もUFOに乗って地球を調査してたり、もしかしたら高性能な望遠鏡で地球を観察しているかもしれない。この世界が私たちの見える世界だけじゃないかもしれないって思うと、何だか怖いのよね」
スドウさんの考えは、ハヤカワくんにはなかったので新鮮だと思った。
「『マトリックス』とか?」
映画が上映されるちょっと前にハヤカワくんは、『アトランティス』の記事で、「この世界はサイバー空間で、見えざる存在によって支配されており、人間など存在しない」という内容のものを読んでいた。
それによると、人間が人間として存在していると思っているが、その知覚は電気信号によるもので自分を証明するものは何もない。故にこの世界の存在自体も証明できない、と記されていた。
すでにこの頃、ハヤカワくんのオカルトブームは冷めていたため、あまり気に留めなかった。
「うん。あれも苦手。見てないけど。この世界が仮想現実なんだよね。嫌だなぁ。そういうのだったら」
「じゃあ、今ももしかしたら、幽霊とか宇宙人とか、もしくはこの世界を制御しているコンピューター室にいる人間とかに見られているかもしれないってこと?」
「もぅ! トシくんやめてよ、そういうの。怖いし、もしそうだったら恥ずかしいじゃん」
先ほどまでふたりは愛を確かめ合っていて、今もお互い裸であることを思い出した。
スドウさんは恥ずかしそうに布団にくるまり、自分たちの知らない監視の目から身を守ろうとした。
このようにオカルト全般が苦手だったスドウさんと出会い、彼女と本格的に付き合うようになったことから、ハヤカワくんのオカルトブームは下火になったのだった。
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