近代広告概論
近代広告概論:1
宇宙人のような顔をした教授が今日も単調な授業を行なっている。
「近代広告概論」。必須単位だから仕方なく受けているが全くもってつまらない。
教授の話もつまらなければ、カリキュラムの内容自体もつまらない。
周りを見渡すと、他の学生もつまらなそうにしている。と言ってもたいして表情が読み取れる訳ではないのだか。
受講しているのは大体八十名くらいだろうか。広い講堂の半分くらいの席が埋まっている。
小林幸樹はこの大学の経済学部一年生だ。
幸樹の受けている「近代広告概論」とは、経済やマーケティングにおいてこの半世紀の歴史と今を学ぶカリキュラムになっている。
「概論」とついているだけあって、広告に関する基本的な部分を学ぶもので、あまり詳細まで触れない。
現に講義内で出てくる単語は高校時代に習った日本史や世界史と被っているところもあり、また実生活上で知っていることも多く、このカリキュラムでは対して新しいことを学べないのだ。
「……であるからに、フリップ・コトラー氏によると、この時代のマーケティングはマーケティング5・0と呼ばれていたのです」
フィリップ・コトラー。近代マーケティングの父と呼ばれる経営学者である。
日本史で言えば徳川家康、世界史で言えば、ナポレオン、科学でいえばエジソン並みに有名な人物で、この学部の学生であれば誰でも知っていて名前をしっかり言えるだろう。
だけど教授は舌足らずなのか、入れ歯接着剤が取れかけているのか、いつも〝フリップ〟・コトラーという。
そんなに歳をとった教授だとも思えないのだけれど、見た目からでは分からない。
早く終わらないかな。教授の話を聞き流しながら幸樹は物思いに耽っていると、次第に眠気が襲ってきた。
一限目に、しかも週末の金曜日に、必須単位を持ってくるこの大学のシラバスはなんとも鬼の所業だ。
おかげでわざわざ九時半からつまらない講義を聞かなければならない。さらに幸樹の場合、この後の講義が夕方十六時までないのだ。
周りを見るとやはりこっくりこっくりと船を漕いでいる学生も数人いる。
週の半ばになると夜通し酒を飲んでいたり、そうでなくとも遅くまでバイトしている人もいるだろう。眠くなるのもわかる気がする。
しかも居眠りしていたとしても教授に咎められることもないので、受講する側も気が緩むのだろう。
実際問題、幸樹もこの「近代広告概論」は出席しさえすれば単位が取れるラッキー科目だと思っている。期末のテストもテキスト持ち込み可と聞いているので気が楽なのだ。
だからというわけではないが、昨日も夜更かししてしまったので眠い。
「消防士と言って思い描くのはどのような人物像か。筋肉質な男性を思い浮かべたとすると、それは無意識による偏りが発生しているといえよう。このように自分自身では気づいていない無意識の歪みや偏りをアンコンシャス・バイアスという。また、あるいはジェンダー・バイアスによる広告炎上事例では、古くは七十年代から起こっています」
教授の単調な説明が余計に眠気を誘う。
眠気と戦わずに潔くいっそ寝てしまおうか。咎める人もいないし、寝ている学生もいるのだし。
むしろその方が時間を有効的に活用できるのではないか、と幸樹は思う。
今夜、サッカーの試合があるのだ。幸樹はその選手かつ運用チームメンバーだ。この夏にジャパンリーグでの大会があるのだが、その出場権獲得の予選リーグが今、開催されている。
予選は残り二試合あるが、幸樹の所属するチームはすでに勝ち点の関係から本戦の出場権を獲得している。
幸樹は小学生の頃からサッカーをしていて、ポジションはディフェンダー。敵チームのロングパスはとにかくカットする信念で、パス先に先回りする能力が長けていた。
その能力が買われ、高校三年の時に界隈ではそこそこ有名なプロチームに声をかけられ、そこの二軍であるサテライトチームとして日々練習に励んでいる。
ちなみにチーム名は「ユナイテッドES東京」だ。
幸樹はスタメンではないので、今日の試合に出られるかは分からないが、いつ出てもいいように万全の体制を整えるのだ。
昨日も遅くまで練習していたこともあり、眠い。
もともと夜型である幸樹にとって、朝のこの講義は苦痛以外何物でもない。
夜の試合のことを考えると、コンディションを整えるためにも休息が必要だ。
机の上に置いたテキストを熟読しているかのように、手に片頬を乗せ、こっくりと船を漕がないように体勢を整える。その姿勢のまま、下を見ながらしばらく寝ることにした。おやすみ。
「えー。それでは今日も最後に、最近、SNSで炎上した広告事例をひとつ紹介して終わりにしよう」
耳が慣れてしまったのか、教授のいつもの言葉で目が覚めた。この講義の最後に決まって紹介するコーナーだ。もうすぐ講義が終わる合図でもあり、この講義で唯一楽しい内容だ。
楽しいというのは、もちろんこれで講義が終わるという段階だから楽しいというのもあるが、この内容自体も面白い。
ここ二十~三十年ぐらいのSNSの歴史の中で、炎上した広告を紹介してくれるのだが、その内容は幸樹自身が知っているものもあれば初めて聞くものもある。
ただどちらにせよ、今の価値観から考えると、そりゃあ、炎上するよな、と思うような、今となっては至極当たり前の広告御法度を使っているのだ。
逆に言えば、そのような今となってはNGである広告手法を当時使い炎上したからこそ、今があるわけで、歴史に学ぶ、という意味でも意義がある内容なのかもしれない。
「この画像は今から二十年前にSNSで炎上した広告です。さて何が原因が分かるかな?」
教授は正面の大型モニタに画像を映した。
そこには、いくつかの職業名が並べられており、その隣には金額らしき数字が書かれていた。
「さて、何が炎上したかわかるかな?」
教授はいつも一定のシンギングタイムを設けてくれる。かと言って、シンキングタイムが終わった後に、誰かを指名して回答を求めることもしないので、気軽に考えることができるのだ。
この「近代広告概論」唯一の楽しみだ。
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