近代広告概論:2
先週はある二枚のポスターが大型モニタに映し出された。その時も教授は「さて、何が炎上したか分かるかな?」とシンキングタイムを設けた。
そのポスターは国際的なスポーツ大会の名前が大きく書かれており、その下に開催年と思われる年が書かれていた。
今日の問題と同じ、今から二十年前のものだった。二十年前といったら、幸樹は生まれてもない。
そのうち一枚のポスターには、「動物たちの運動会」として、虎や豹、ライオン、馬、キリン、豚、ゴリラ、カバなどが描かれていた。
短距離走を横から捉えたような構図になっていて、ブタやカバが明らかに遅れをとっている内容だった。ブタに関しては躓いて転んでいる。
そしてもう一枚のポスターには、動物たちのポスターと全く同じ構図で人間がそれぞれ走っている写真だった。
二枚のポスターを見比べてみると、虎や豹の場所には、容姿の整ったスレンダーな女性が配置されており、ライオンの場所には堅いのいい筋肉質な男性が配置されていた。そして遅れをとっているブタやカバの場所には、大型でかなりふくよかな男女が描かれていた。
「今日の問いは簡単すぎたかな」
シンキングタイムが終わると、教授はそういい、大型モニタの画像を切り替えた。
「見た目至上主義『ルッキズム』による外見差別」と大写しになった。
教授の説明によると、ルッキズムとは、主に人物に対して、見た目の良し悪しといった視覚情報だけで、その価値を決めつける行為のことだそうだ。
例えばある女性において、目鼻立ちがくっきりとしていて、きめ細かい肌に艶のある髪、長身で、適度なボリュームと形の整った胸、引き締まった腰、スラリと長い足、という容姿のみ身体的特徴から価値を決定し「美人OL」とか「美女」とか「ミス○○大学」と言うことがそれに値する。
これは女性だけに限らず、男性の場合もそうだ。
角刈りでも丸刈りでもない、爽やかな短髪にシャープなラインの顔立ち、笑顔が似合い、こちらも長身、二の腕には適度に筋肉がついていて、腹は凹んでいる。そんな一個人あるいは社会集団に当てはめた価値観での容姿のみの特徴だけで、「イケメン」だとか「○○王子」だとか「ハンサム」とか言うことがそれだ。
またその反対に身体的特徴をこれまた個人や社会集団の価値観で劣ってると判断して、それを揶揄するような酷い名称で呼ぶことが外見差別と言われている。
教授の出した例はあからさまに差別とわかるものだが、微妙なラインなどは判断が難しく、SNSでも議論の対象になるようだった。
「つい二十年前まではこんなものが平気で広告として街中に貼られていたのだよ」
教授はポスターが街中に貼られている写真を写した。
幸樹はそれを見て、よくこのようなデザインが企画として通ったな、と素直に驚いたのだった。
と、先週はこのようなクイズが出されたのだ。
幸樹は改めて今日のお題が出された大型モニタを見る。
モニタにはいくつかの職業名が並べられており、その隣には金額らしき数字が書かれていた。
職業名の左隣にはそれぞれナンバリングされており、全部で三十種の職業がリストとなって並べられていた。職業名の右隣にある数字はおそらくこの職業の年収だ。金額は相当低いが、二十年前の賃金水準なのだろう。それが一番低いものが上位に、一番高いものが三十位になるように、つまり昇順で並べられている。
年収の低い職業ランキングといったところだろうか。
これをSNS上にアップしたのだとしたら、それは当然炎上するだろうことはすぐに分かった。現在の価値観とは全く異なる。
「さて、それでは正解を発表しよう。今週も簡単だったかな」
教授は画像をスライドさせ、タイトルを表示させた。
「個人や社会集団の偏見による『職業差別』」
「この画像は『底辺の職業ランキング』として、ある就活情報サイトの広報がSNSに公開しました」
企業側が勝手な価値観で、年収の低さが底辺の職業だと決めつけて、それをランキングという容易に確認できるリストとして公開することは、職業差別につながるとして炎上したのだという。
教授の話によると、日本での職業差別は近代以前からもあり、例えば江戸時代の「士農工商」制度や「
近代に入ると所得格差による差別や宗教や道徳による差別が広がり、その差別意識がSNSによって社会集団化してしまうらしい。
職業差別の例として、性風俗業やそこで働くセックスワーカーへの差別も教授は挙げた。
性的なものというだけで、いやらしい、汚らしい、不健全と、蔑視され、その偏見から社会に必要な職業でもあるにかかわらず不当に差別を受けるのだ。しかも国による制度が差別を助長してしまうことが問題を難しくしているらしい。
例えばこの時代、疫病が流行し、国が外出自粛を要請し、事業者は一時倒産の危機に陥った。それを回避するために国は「持続化給付金」というのを各事業者に給付したのだ。
しかしながら性風俗業に属するラブホテル運営会社は給付金対象外となり、それが職業差別として話題になった。
ラブホテル、というだけで、まとな業種ではないとされ、反社会勢力とのつながりを懸念され、社会に背を向けた生活を強いられる。
それが無意識の偏見となってより差別を生み出すのだ。
運営会社は「職業差別であり、法の下の平等を定めた憲法に違反する」として国を相手取り裁判をしたが、結果は敗訴。「性風俗というのは、大多数の国民の道徳意識に反するものなので、差別ではなく区別したのであって、給付対象外にするのは差別に当たらず、憲法に違反しない」というのが裁判所の回答だった。
幸樹自身、ラブホテルは使ったことがないが、性的なコンテンツにはよくお世話になっているので、それらの職業が差別されることに疑問に思った。
その一方で、犯罪へ巻き込まれるケースや青少年の教育、そして何よりも圧倒的に多い女性の性的消費に対する問題といったことが複雑化していることもよく分かる。今の時代でもそれらの職業差別がなくなったわけでもないのだ。
「さて。少し長くなってしまったので、話を戻そうか」
幸樹もそろそろ講義が終わらないかなと思い始めていた時だった。
「このようにね、ランキングという形も差別の助長になると考える傾向がこの時代を機に強くなり、今ではランキング差別として、してはいけない手法となっていることは皆知っているだろう。では今日はここまで」
そういうと教授は講堂から出て行った。講堂内が賑やかになり、眠っていた学生も目を覚ます。
今では職業差別につながることから、人気・不人気の職業を公表するような企業や団体はいない。
ただ個人レベルでは、差別と知っていながらも職業ランキングを公表したり、コメントをつけて紹介している人もいる。
それによると幸樹のしているサッカーも人気の職業ランキング上位に入ってるのだ。
職業ランキングの善し悪しは置いておいたとしても、サッカーはとても好きなスポーツである。
昼夜問わず練習があったり、仲間とのコミュニケーション不足でうまくいかないこともあるが、相手チームのボールをカットできた時は嬉しいし、自分が一点取れた時はなお嬉しいし、何よりチームが勝った時の喜びはサッカーをやっててよかったと思える。
今は趣味でやっているが、このまま職業にできたらいいな、と思うこともある。
ただ、本当にそこで生計を立てられるようになるのはほんの一部の人間だけで、大抵の人は挫折して終わってしまう。
それでもなんらかの形でサッカーに関わりたい人は、例えば試合の運営チームに所属したり、例えばプロモーション企業に所属して、リーグ全体の活性化になるような広告を打ったりすることで繋がりを持つ。
幸樹もサッカーやるならプレイヤーでありたいし、チームを引っ張る存在でいたいと思っているが、プロ選手になるには実力が全然足りないのも分かっているし、もっと練習して強くならなければと思う。
もちろんその夢を諦めたわけではなく、日々強くなれるよう努力しているつもりだ。
その一方で、プレイヤー以外で関わるためにも何か勉強をしないといけないとも思って、それで広告やマーケティングに興味があったので、それらを学べる大学に進学したのだ。
現に今はプレイヤーとしても運営としてもチームに所属している。
プレイヤーとしては、サテライトチームのディフェンダーとして邁進しているし、運営面では、対戦相手の調整やポスターなどの広告物の作成、備品購入、クラブへのスカウトなど業務が多岐に渡っている。
幸樹自体、広告物を制作することもあるので、「炎上しない広告」を作るという意味では、「近代広告概論」の知識は役に立っている。
ただ、運用は単純に人数が足りないから兼任しているだけであって、できれば専属プレイヤーとして活躍していきたい。
講堂には次の講義を受ける学生が入り始めた。
幸樹は講堂を出て廊下を歩いた。廊下には学生や大学職員、教授などたくさんの人がいた。大学は人が多く、一見すると誰が職員で誰が学生か分からない。
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