未来からきた男:3

「ただし、ご存じの通りブラックホールは巨大なものとなります。そこで質量を与える役割を持つヒッグス粒子というものをうまく使ってやることで、ブラックホールを安定稼働させることができ、かつ小型化することができます。この小型化、つまりマイクロ化したものが、マイクロブラックホールです。ちなみにブラックホールは粒子加速器と呼ばれるもので発生させることができます」

 マイクロブラックホール。杉本の持っている特許書類のタイトルにたしかそんな言葉が使われていた。

「小型化したマイクロブラックホールをタイムマシンの心臓部に組み込み、ワームホールを利用して時空を飛ぶことが出来るのです。この書類に書かれている大まかな内容は、こんな感じです。何かご質問はありますか」

 ご質問と言われても、ご質問だらけだ。とりあえず思いつく疑問を投げてみた。

「ブラックホールについてはよく分かった。いまいちよく分からないのが、ワームホールだ。光の速さより速いことは分かったが、どうして光の速さを越えると時空を越えるんだ? 例えば、今日本にいて、日本にワームホールがあったとして、それを使って、瞬時にテレポーテーションしてブラジルに行くなら分かるが」

「そうですね。少し難しい話になるのですが、よろしいですか?」

 俺はうなずいた。もうここまでで十分難しい話が続いている。

「先ほどのリンゴの例で話をしますと、リンゴの円周を時間軸と捉えて下さい。リンゴの頂点が現在としまして、リンゴの底面が、そうですね……十年後としましょう。私たちは時間をかけて、リンゴの円周を進んでいきます。進む速度は一定です。同じくリンゴの頂点から底辺に向けて穴が開いているとします、ワームホールですね。当然、ワームホールを通った方が、十年先に速く行くことができます。概念的にはこのようなことです」

「ワームホールの通過は距離ではなく時間で見た方が良いってことか」タバコの吸い殻を地面に落とした。

「いえ、ちょっと異なります。今まで――ワームホールの存在が確証していなかった時代では、遠くに行けば行くほど比例してそれなりに時間がかかっていました。しかし、ワームホールの存在とそれに付随する量子もつれの原理やヒッグス粒子、ブラックホール生成などが次々に発見、実証されたことで、「時間」と「距離」への概念がなくなりました。行きたい場所、過去でも未来でも、あるいは日本からブラジルといった場所の移動も時間をかけることなく可能になったのです」

「やっぱよく分からねぇな。まぁとにかく時間も場所も関係なく移動できるってことだな。すげぇな、そりゃ。タイムマシンじゃねぇか。それで、あんたは未来からここに来たってことか?」

「えぇ、その通りです。この書類の内容で作られたタイムマシン装置を使用して、過去へ、つまりこの時代へやってきました」

 杉本は書類をパラパラとめくり、記載内容を少しだけ見せた。中には何かの設計図や化学式のようなものが羅列してあり、一目では何が書いているのかとても理解できる内容ではなかった。

「その書類がタイムマシンの設計図だってことは分かった。だが、それがどう未来からきたということになるんだ?」

「そうでした、まだ本題をお話していませんでした。先ほどお話しましたように、この書類の内容でタイムマシン装置を作ることが出来ます。タイムマシンといっても、よくSFに出てくるような乗り物があるわけではありません。装置です。そうですね、この時代ですと、羽田空港のある人工島すべてぐらいの大きさの建物と、山手線の円周ほどのチューブ状の加速器を備えた装置ですね。建物のうち八割がマイクロブラックホールを納めている空間となります。宇宙空間にあるブラックホールからみると、かなり小型化、マイクロ化していますが、人間にとっては、それでも大きなブラックホールとなりますね。残りの二割にはワームホールを発生させるための装置と制御室、管理室、それからタイムトラベルするための空間があります。この空間は一畳ほどの大きさでかなり狭い空間です。この空間に人が入り、タイムトラベルする、そういった仕組みになります。この書類は2062年9月3日に特許出願されます。それから一年後に実用レベルのタイムマシンが完成し、翌年にはキュクロス――、あ、失礼しました。この時代にはまだありませんでしたね。キュクロスとは未来にある国立研究開発法人の施設名です。そのキュクロスによるタイムトラベル実証実験が始まります。私はキュクロスのタイムマシンで過去へ飛んできました。この書類とともに」

 杉本は、膝の上で書類を整え、茶封筒の中に戻した。


 俺たちの座っているベンチの前の広場では、「球技禁止」と書かれた看板の前で、中学生三人組が堂々とサッカーボールを蹴って遊んでいる。

 杉本の話から考えると、彼は少なくとも2064年以後の未来から来ていることになる。2064年。近いような遠いような未来である。もっともワームホールの存在が発見されれば、過去や未来に近いも遠いもそんな概念がなくなるようであるが。

 「未来から来た人」と考えると、俺の中ではメタリックな服装で身をまとい、手にはレーザー銃を持っているイメージを思い浮かぶが、杉本はそうではない。ダークスーツで身をまとい、中肉中背。どこにでもいるごく普通のサラリーマンの姿だ。ここまでの話を聞いて、杉本が未来から来たというのはどうも信じ難いが、まだ「お礼」の話が出ていないので、話の続きを聞くことにしよう。

 杉本が未来から来たとなれば、未来に連れて行ってくれることがお礼として考えられる。もしくは、この先で行われる競馬の万馬券を教えてくれる、といったことだろうか。お礼が楽しみだ。俺は二本目のタバコに火をつけた。


「実は私、とても重大な罪を犯して、過去へやってきたのです。この書類を過去に持ってくることの意味が分かりますか?」

「あ? 過去に持ってくる理由?」

「えぇ、そうです。この書類はどんな役割があると思いますか?」

 杉本の言う書類はタイムマシンを作ることができる、未来で出されるはずの特許書類だ。もし本当に未来で出される書類ならば、特許出願される前の過去へ持ってきて、先に特許を出願してしまえば、特許権の持ち主が変わるということだろう。

「特許の権利者が書き換えられるってことだな」

「その通りです。私はそのためにこの書類を持って過去へ来ました」

「おいおい、待ってくれよ。そんなことが通用するなら……もし仮にだな、あんたが未来から来たとして、本当に特許の申請者を書き換えられるなら、今まで出願された様々な特許の権利だって未来人に書き換えられてしまうんじゃないのか?」

「えぇ、その通りです。その危険性は十分にあります。ただ、未来ではそのようなことが起きないようタイムトラベルに関する法律が国際的に定められていて、未来を変えるようなことをすると罰せられるようになっています。それからキュクロスにおいてもタイムトラベルをする人物に犯罪歴がないか調査をします。さらに出発直前には、衣類を含めすべての持ち物をキュクロスに預けることになっていて、代わりにキュクロスが用意した衣服に着替える必要があります。衣服は行き先の時代・国・季節によって異なります。私の服は、ご覧の通りこの時代でよく使用されているサラリーマンスタイルとなります」

 なるほど。服は、その時代に合わせチョイスされるというわけか。サラリーマンというどこにでもいる服のチョイスは、周りに同化しやすく未来人とはとても想像ができない。では、やはり未来ではメタリックな服装で身をまとい、手にはレーザー銃を持っているのだろうか。

「服を着替えたら、今度は金属探知機とボディスキャンがあります。たとえ体内にネジ一本でも隠していたら、この二つのセキュリティチェックですぐに分かります。とにかく厳重なセキュリティです」

「俺は銀歯があるからそこで引っかかりそうだな。しかしよくそんな中、そんな大きな封筒を持ってこれたな」

「通常の出発フローは厳重でも、キュクロスの施設研究員に顔が利けば、実はそんな厳重ではありません。研究員にちょっと賄賂を渡すとすぐに協力してくれます。実はそうやって過去へ行った者によって過去が書き換えられているケースが何度かあるのです。ご存じですか? 三億円事件の真相」

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