第22話 生まれ変わったら、きっと

 思いがけないシモンズ先生との再会の後、フェリシアはそのままずるずると床にへたりこんでしまった。怪我はないが全身がだるく、どこにも力が入らない。おろおろと見守るウォルターに、シモンズ先生が落ち着いて指示を出した。


「奥のクローゼットから、緩い服をどれか持ってきなさい。それから水と、その後で温かい紅茶をお願いできるかな」


 頷いたウォルターが急いで奥に引っ込んだ。シモンズ先生はフェリシアを椅子に座らせ、杖をかざして呪文を唱えた。回復魔法を施され、ようやくルカは顔を上げた。

 ウォルターが持ってきた水を飲み、それから、どぎまぎするウォルターと落ち着いたシモンズ先生に手伝われてドレスを脱ぐ。コルセットを外すと随分息が楽になる。貸してもらった緩いローブをすっぽりと着て、再び椅子に座る頃には、落ち着いて話ができるほどの人心地を得ていた。


「あんた、本当に、やったんだな」


 ウォルターは心底感心した様子で呟いた。あどけない少女だったルカの姿を見慣れてしまったようで、初めて見るフェリシアの、ルカとは違う女性らしい姿にそわそわしながら。紅茶を一口飲んでから、まだ少し青い顔で、フェリシアはにやりと笑った。


「言ったでしょう、私は未来の偉大な魔法使いなのよ」


 フェリシアはそう言って、誇らしげにシモンズ先生を見た。先生が優しく頷くので、フェリシアは思わず泣きそうに微笑んだ。少女の頃に戻ったかのような笑みだった。


「でも先生のおかげなの……まるっきり、先生のおかげなのよ」

「フェリシア、君の助けになることができて、私は本当に嬉しいよ」


 シモンズ先生は感慨深く微笑んだ。目尻の皴に、言葉にならない感動がいくらでも埋まっているようだった。


「ウォルターから聞いて、あの箱庭の中で頑張っているのがフェリシアだということを知ったんだ。……本当に、大変な大冒険だったね」


 そうなの、とため息をつきかけて、フェリシアははっと顔を上げた。ふらふらしながらも急いで玄関の扉を開け、きょろきょろとあたりを見回しながら、


「王宮は? あの箱庭は、爆発してないのかしら!」

「心配しなくても、箱庭はきちんと処理したよ」


 近くから聞こえてきた、聞き覚えのある声に驚いて振り向いた。


 森の中に立っていたのは、くすんだ金髪の男、王宮付き魔法使いのアランだった。紺色の軍服に魔法使いのローブを羽織って、まっすぐにフェリシアを見ていた。ウォルターとシモンズ先生も慌てて小屋から出てきて、ごく最近見知った青年の突然の来訪に驚いた。


「フェリシア。君に話があって来た」


 ゆっくりと歩み寄ってきて数歩先で立ち止まるアランを、フェリシアはぎゅっと拳を握って見上げた。考えを読んでやろうと目を細めるが、どうにも集中力が足りない。どういうつもりか分からず、拳を握ったまま震える。


 箱庭の外に出てしまえば、自分はフェリシア・ラザフォードだ。王宮で攻撃魔法を放ち、罪をかぶって死んだ、葬式も済んでしまったはずの犯罪者だ。

 辻褄を合わせるために、ここで消されたっておかしくはないのだ。


「分かっていると思うけど、フェリシア・ラザフォードは死んだ。そういうことになっている。君の居場所は、少なくともラザフォードの家にはない」


 魔法使いのアランは淡々と言った。声まで震えそうになるのを堪えながら、フェリシアは必死に口の端を上げた。


「分かっているわ。……ねえ、見逃してくれないかしら。元々、箱庭の外に出られたら、王都から遠いところに行こうと思っていたのよ」


 後ろでウォルターがえっと声を上げ、シモンズ先生が小さな声でフェリシアの名を呼ぶ。──せっかく再会できた先生とまた離れるのは自分だって名残惜しい、しかし、いま自分にできる最善の選択はそれである。よもや、先生にまで危害が及ぶようなことがあってはならない。


 アランは眉をひそめた。その薄い唇からいつ致命的な呪文が飛び出すのかと、フェリシアはまだ力の入らない体で身構える。


「王都から離れる? なぜ?」

「言ったでしょ、今あるものを全部なくすことになっても、夢を叶えるためになら何だってするわ。私は魔法使いになりたいの。王都でなれる道がないなら、別のところで探すだけ」


 啖呵を切って、フェリシアは肩で息をした。アランがゆっくり瞬いて、意外なほど慎重に、口を開いた。


「フェリシア。王都でだって、君の夢を叶えることはできるだろう。君が、男として生きる覚悟さえできるなら」

「!」


 フェリシアは目を大きくした。アランの目を通して見た、男として生んでさえあげられれば、と嘆く実父の姿が目に浮かんだ。


「王宮付き魔法使いになるためには、まず陸軍の魔法師団に入って、そこで実力を認められる必要がある。知っての通り、軍隊には男でないと入れない。……君に覚悟があるのなら、俺が斡旋して、君が男として魔法師団の入隊試験を受けらえるようにする」


 アランが話す内容を、フェリシアは信じられない思いで聞いた。ごくりと唾を飲んで、アランの空色の目の虹彩をなぞるように見る。読めない心を覗き込むように目を細める。


「どうして? そこまでしてもらう義理がないわ」

「……あれだけ大規模な転移魔法はなかなか使えるものじゃない。君が王都を離れると言うなら、王都の王宮付き魔法使いとしてはむしろ、今ここで君を始末しないといけないくらいだ」


 後ろでシモンズ先生が殺気をまとうのを、フェリシアは片手を向けて制した。

 なるほど、話は分かる。転移魔法が本当に役に立つのは、残念ながら戦争においてだ。転移魔法はうまく使えば、敵兵をまとめて生き埋めにすることも、天空に放り出して墜落死させることもできるだろう。もちろんフェリシアにそんなつもりはなかったが、そういう用途に使いうる魔法の使い手が、他国に渡るのを阻止したいというのは分かる。


 深呼吸して、フェリシアは微笑んだ。


 面白い。面白いことになってきた。


 向こうから求められるなら、そんなに良いチャンスはない!


「入隊試験っていつなの? 何をするの」

「試験は8月、三か月後だ。それを逃したらまた来年。筆記と実技の試験があって……君が学校に行っていないのは知っているから、教科書をくすねてきて渡すくらいはもちろんするよ。実技試験の対策も教えられる」


 フェリシアが微笑んでいるのを見て、アランもわずかに口の端を上げた。フェリシアの後ろでは、ウォルターがはらはらし、シモンズ先生が固唾を飲んで見守っている。


「君にとっても悪い話じゃないと思うんだけど、どうかな」


 フェリシアは一度目を閉じた。


 思い出したのは実父の姿だった。シモンズ先生に教わったことを嬉々として話すフェリシアを、嬉しそうに見守る目。フェリシアの夢のためならと、ラザフォードの家に必死に頭を下げて頼み込む姿。養子に出るの日の悲しそうな目、アランの記憶を通して見た、フェリシアの葬式の日の嗚咽。


 フェリシアは目を開けた。大きく頷いて、微笑んだ。


「その話、受けましょう」


 魔法使いのアランは、果たして、ほっとしたように笑った。差し出される手を、フェリシアは固く握り返した。


「良かった。……具体的なことは、また近いうちに話しに来るよ。念のため言っておくけど、このことは俺たちだけの秘密だ。だから安心して、まずはとにかくゆっくり休んで……それじゃあ、また」

「待って」


 あっさりローブを翻して去ろうとするアランに、フェリシアは慌てて声をかけた。


「彼は……無事よね? あの王子様は」


 フェリシアが森の中の空き地を去るとき、まだ倒れたままだった金髪の青年の姿を思い出す。アランはフェリシアの不安そうな顔を見て、困ったように微笑んだ。


「もちろん無事だよ、あの大馬鹿者は」


 そうしてひらりと手を挙げて今度こそ去るアランの背を、フェリシアは小さくを手を振って見送った。


 しばし胸に手を当てて黙る。これから起こるかもしれないことに、どうしようもなくわくわくしている。


 フェリシアはくるりと振り向いた。優しく微笑んでいるシモンズ先生に、思い切り抱きついた。

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