第20話 最後の晩餐

 封印魔法を施した上で、魔石を盗むような真似はもうしないと言質も取ったものの、さすがにすぐに怪盗ピーターを自由にするわけにはいかなかった。トーマスに刃物を向けたことが特にカルロの勘に触ったようで、もういいとトーマスが言ってもカルロは頑として許さなかった。

 縄でぐるぐるにされた怪盗ピーターが男衆に引っ張られて時計台から出てくるのを、昼下がりの広場で野次馬たちが興味津々に待ち構えていた。幾人かは彼に心当たりがあったようで、


「おや、パン屋のピーターじゃないか」


 などと声をかけられるたび、ピーターは気まずそうに顔を逸らした。

 広場の脇のレストランの柱に、ピーターは縄で縛られたまま繋がれた。彼から足が届かないぎりぎりのところで、猫の姿のカルロが丸まって見張る。


 ピーターのことはカルロに任せて、ルカは女衆が虹色の魚を捌いているあたりに向かった。洗うべき鱗が大量に積み上げられていて、手の空いている人がバケツに入れては、水路まで持っていってじゃぶじゃぶと洗っている。ルカも一緒になって鱗を洗う作業をしようとしたところ、


「ルカ、待って、怪我してるじゃない」


 アニーが駆け寄ってきて、ルカの膝を気遣った。それで初めて、ルカは自分が怪我をしていたことを思い出した。


「こんなの大したことないわ」

「だめよ、あなたには大役があるんだから」


 アニーは適当な場所にルカを座らせ、綺麗な水と薬草と包帯をどこから持ってきて、てきぱきと手当てをした。手も少し擦りむいていたので水を使う作業もできず、ルカは所在なく、鱗を洗う人たちを眺めた。


 大量の鱗が全て乾かすための網の上に広げられたときには、すでに日が傾き始めていた。あとは鱗が乾いてしまうまでやることはない。広場に設けられたテラス席はだんだん規模が大きくなって、手が空いた妖精たちがどんどん加わって、まるでもうお祭りのような様相だ。


「最後の晩餐って感じだね」


 紅茶を飲みながらマーティンが呟いて、それから自分の言葉の不穏さに慌てて付け加えた。


「いや、無事に出られるとは思うけど!」

「いいえ、気持ちは分かるわ。どのみち、この箱庭では最後だし」


 なんだか緊張の糸が切れているルカが、同じように紅茶を飲みながら微笑んだ。隣に座ったアニーが、しかし、紅茶のカップを不安そうに両手で包む。


「本当に、無事に出られるのかな……ルカを疑っているわけじゃないんだけど、転移魔法に乗るのなんて初めてだし……」

「アニー、信じるしかないよ。……俺も、怖くないわけじゃないけど」


 マーティンは励ますようにそう言って、アニーの手に手を重ねた。なんとか笑みを浮かべ合う二人を、ルカは微笑ましく見守る。


「みんなびびりすぎだって、ルカなら絶対何とかしてくれるよ! それに結構楽しかったよ、転移魔法に乗るの」


 ジャックだけは変わらず気楽な様子で、頭の後ろで手を組みながら、組んだ足をテーブルに乗せている。アニーがむっと唇を尖らせ、


「誰も彼もあんたみたいにお気楽じゃないのよ!」

「でも怖がったって変わらないじゃん。あ、そうだ! 屋根の上走る遊びやる? 元気出るよ、どう?」

「そんな気分じゃない!」

「おやおや、こんな時まで喧嘩かい」


 ルカたちがくつろぐテーブルに、ぬっと顔を出したのはグレゴリーおじさんだ。本来の彼らしい穏やかな微笑みを浮かべているが、抱えているのは穏やかではない大きさの、どうやらワインの瓶だった。


「アンジェラおばさんのところに行ってごらん、君たちの好きなジュースを作っているみたいだよ」

「え、本当?!」


 アニーとジャックが大急ぎで立って、一目散にアンジェラおばさんのところに走っていった。空いた席に座ったグレゴリーおじさんが、安そうなワイングラス二つにワインをなみなみ注いだ。


「……おじさん、どこにそんなの隠し持ってたの?」


 呆れた顔をしながらも、マーティンは差し出されたグラスを受け取った。少年の姿をしていても、実際には飲酒できる年齢らしい(妖精の飲酒年齢の基準は分からないが)。二人が乾杯して飲み始めるのを、ルカは頬杖をついて見守った。


「ルカも飲むかい? いや、君はいくつなんだっけ」

「私は遠慮しておくわ。ふらふらになって、魔法が使えなくなったら困るもの」


 すでに夕日が差し始め、広場はいよいよ宴会めいた雰囲気になっている。よく見ればあちこちで、グレゴリーおじさんのように秘蔵の酒を取り出したようなおじさんおばさんが、楽しげな酒盛りを始めている。最後の晩餐という言葉のもつ静謐さには程遠いが、ある意味で最後の光景なのは間違いがない。


 青のような緑のような不思議な色の飲み物を持って、アニーとジャックが戻ってくる。近くの空いている席に座り、まるでワインかのように乾杯する。ルカも、と渡されたその不思議な色の美味しい飲み物を飲みながら、ルカはなぜだか、言いようのない幸せを感じた。


 すっかり日が暮れて、また小腹が空いてきたところに、干した魚を挟んだサンドイッチが配られる。あれだけ大量にあった魚も、住人のほぼ全員で食べれば、もうほとんどなくなったようだ。


 酔いが回ってきたらしいグレゴリーおじさんが、穏やかな顔のままで面倒くさそうな長話をマーティンに語っている。マーティンも少し顔を赤くして、何やら神妙に聞いている。酒飲みの相手に飽きたアニーとジャックは、結局、広場の周りをぐるぐると走り回るかけっこに興じ始めた。


 ルカはそっと席を立ち、暗い時計台にもう一度登ってみた。

 五月の夜風は涼しくて心地良い。最初の日に、南国らしくない、まるで王都の五月のようだ、と感じたことが思い出される。当たり前だ、これは王都の五月そのものだ。

 展望台から見下ろせば、明かりが灯っているのは市庁舎前の広場と、目抜き通りの周りなど、ごく限られたエリアだけだ。もしかすると、水路に明かりを点けて回るというルカの仕事は、この箱庭が実は閑散としていることを隠すための仕組みだったのかもしれない。


 足音に顔を向けると、展望台に上がってきたのはトーマスだった。ごきげんようと声をかけ、ルカの隣に並んで、一緒に街を見下ろした。


「さっきは大変だったわね。本当に怪我とか、痛いところとかないの?」


 ルカは遠慮がちに尋ね、トーマスが頷くのを見てほっとする。常識的に考えて、王子様が直接暴漢に組み敷かれて刃物を向けられるなんてことはありえないはずだが。


「カルロのこと信じてたし、俺だって護身くらいはできるよ。それよりも、ルカが無事でよかった。心臓が止まるかと思ったよ……」


 目を細めてため息をつくトーマスの横顔に、ルカは密かにどきっとする。しかし、彼がルカに特別な思いがあるわけではないことくらいは分かる。何せルカに何かあったら、ここの住人は全員運命を共にすることになるのだから。


「ルカは……」


 トーマスはそう言いかけて、ルカに顔を向けて言い直した。


「君は、ここから無事に出られたら、どうするの」


 自分を見つめる紫の目を、ルカはじっと見つめ返してみる。暗くて虹彩がよく見えないが、集中すればかすかに聞こえてくる。


 できれば、まだ一緒にいたいな、きみと。


「……まあ、たぶん、王都を出るでしょうね」


 ルカはついと目を逸らし、広場の宴会を見下ろしながら言った。トーマスはルカの横顔を覗き込み、


「どうして?」

「フェリシア・ラザフォードという娘の葬式はもう終わったみたいだし」

「…………!」


 トーマスが驚いて目を大きくした。知らなかったんだろうな、と思いながらルカはトーマスの目を見返して、どうして知っているんだろうと聞こえてきて顔をしかめる。まあいいや、説明が面倒くさい。


「そうじゃなくたって、王都じゃ私の夢は叶えられないわ。女は学校にすら行けない国だもの」

「……ねえ、昨日も言ったけど。俺の屋敷で……つまり、王宮か、離宮のどこかで、使用人でもしてもらって。そこでこっそり勉強するのは、どうだろう」


 ルカは怪訝に目を細め、まじまじと王子様の目を見た。彼は真剣な顔をして、どこか緊張した面持ちでルカの返事を待っている。


「あなた、私のこと知ってるのよね? そんなの無理よ、そもそも私は、王宮で危ない魔法を使った犯罪者よ」

「あんなのわざとじゃないだろ、悪いのは婚約者の男じゃないか。それにああいうことがあるならなおのこと、君は、自分の魔法の制御の仕方をちゃんと勉強した方がいい」

「王子様がこんな危険な女に肩入れなんかしない方がいいわよ。心配しなくても、今度暴れることがあっても、その頃には私は王都にはいないわ」


 彼のどんな考えが聞こえてくるのも怖くて、ルカはまた顔を背けた。展望台の手すりにもたれ、ため息をつく。楽しそうにワインの瓶を抱えているグレゴリーおじさんと、酒盛りに参加して良い飲みっぷりでグラスを傾けるアンジェラおばさんの姿を遠く眺めながら、話を変えたくて口を開く。


「あなたは? 学校ももうすぐ卒業なんでしょう。サイラスの町の環境改善にご尽力なさったりしたらいかがかしら」


 言ってから、もうすぐ卒業するなんてのも直接聞いてはいなかったなと思い直すが、王子様は自分の事情は知られ慣れているものらしい。美しい眉を寄せ、彼はうつむいた。


「正直言って、俺にできることは少ないよ……」


 弱気な口調に、ルカは横目で、トーマスの伏した金色の睫毛を伺った。


「王子といっても、俺は三番目で……兄二人が優秀だから、王位を継ぐなんて望みもないし。政治に参加するモチベーションすらなかったから、こういうことを誰に進言して、どう進めたらいいのかなんて、全然分からないんだ……」


 初めて会ったとき、トーマスはとても自信に満ちていた。見られ方を知っている人間の振舞いだった。彼が不在の間にイメージはかなり悪くなったが、昨日再び会ってからの彼は、弱さがあちこちに見えてむしろ人間的である。


「でも」


 トーマスは顔を上げた。哀れむような気持ちで見ていたルカは、紫の目に宿る意外な意思の強さにたじろいだ。


「このままじゃ駄目だって、君のおかげで分かったよ」


 君みたいに強い人は初めてだ、権力や腕力や魔力じゃなくて、心が。


 君のそばにいたら、俺だってもっと強くなれそうな気がするんだ。婚約者に振られた哀れな女だなんて、そんなことは全然なかった。君を振り回してやろうと思ったのに、気がついたら、俺の方が君に惹かれてばっかりだ。


「……それは、けっこう。でも大丈夫でしょ、あなたなら……ちゃんと周りの人に協力してもらったら。ほら、あのアランって魔法使いも、なかなかちゃんとしていそうだし」


 頭に流れ込んでくるトーマスの声に耐えかねて、しかし視線は逸らせずに、話だけは逸らそうとルカは言った。そうだ、とトーマスが思い出し、


「アランに会ったって言ってたけど、何を話したの?」

「……大したことじゃなかったわよ。フェリシア・ラザフォードの葬式があったって、それだけ」


 ルカは答えて、乾いた笑みを浮かべた。辻褄を合わせるために、ちょうどいい嘘になった。それにしても、自分で自分の葬式について話すのなんて、滑稽だ。悲しそうな顔をするトーマスに、ルカは肩をすくめてみせた。


「そんな顔しないで、私にとってはチャンスなの。もう死んだなら、何をしたっていいじゃない。どこにだって行けるし、何にだってなれるわ」


 トーマスはしばし、ルカの顔を真剣に見つめた。それからため息をつくようにして、微笑んだ。


「君は、本当にすごい」

「それはどうも」

「転移魔法もさ……怖くないの? 俺だったら、使えたとしてもとても怖くて」


 自分の胸に手を当てて、ルカは改めて考えてみる。


「怖くないってことはないけど。でもやるしかないし、私ならできる気がするの」

「はは……一体どうしたらそんなに自信を持てるの」

「自信っていうか、私にしかできないかもなんて言われたら、最高にぞくぞくするじゃない」


 広場を見下ろす。あの賑やかな宴会の場が、明日の朝、巨大な魔法陣を描く舞台だ。あそこで最後の夜を楽しく過ごしているみんなが、自分が守るべき人々だ。


 ルカは思いっきり両手を上げて伸びをした。我ながら、全く貴族女性らしくない振舞いだ。階段の方に歩きながら、トーマスにひらりと手を振った。


「私はさっさと寝ることにするわ。あなたもほどほどにね、おやすみなさい」

「待って」


 ルカの手をトーマスが取った。恐る恐る振り返るルカを、トーマスはまっすぐ見て言った。


「無事に戻れたら、また話そう。君が王都の外に出るのでも……その、サイラスのことも、一緒に考えてくれたら嬉しいし」


 君とまだ一緒にいたい。王都の外になんか行かせたくない。どうしたら、引き留められるだろう。


「まあ……機会があればね」


 愛想笑いを返して、ルカはトーマスの手をほどいた。痛む胸を押さえながら、ひとり時計台の階段を下りていった。

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