第19話 時計台の戦い

 時計台の方に向かって歩くルカの手を、小走りで追いついたトーマスが掴んで止めた。


「俺も一緒に行く」

「やめてよ、王子様に怪我させたらたまらないわ」

「俺だって魔法使いだ、舐めてもらっちゃ困る」


 ルカは足を止め、むきになるトーマスの目をじっと覗いてみた。ルカを一人にしたくない、一人で危険な目に遭わせたくない。ルカはすいっと目を逸らし、何とも言えずにまた歩き出した。


 時計台の階段をどんどん登りながら、この箱庭に来た最初の日、トーマスに連れられて登ったのをふと思い出す。あの日よりは息が切れたりしないのは、あちこち歩き回って多少は体力がついたのかもしれない。


 螺旋階段を登りきって展望台に出る。改めてよく見ると、螺旋階段の直上に部屋がありそうな壁があって、その周りをぐるりと展望デッキが囲んでいるような構造だ。壁を調べて回っていると、ふと、押せそうなくぼみを見つけて押してみる。


 果たして、小さな扉くらいの大きさの壁がぎぎ、と動いた。トーマスと二人して押し開けると、中では大きな音を立てながら、壁際の格子の向こうで時計の巨大な振り子が動き、見上げると複雑な機械があり──そして正面に、見たこともないくらい巨大な魔石があった。


 頑丈そうな台座に載せられ、ロープに囲まれた巨大な魔石を、ルカは目を大きくして観察した。あちこち濁っていて傷もあり、美品とはとても言えないものの、直径1mはあろうかという紫色の球体は圧巻である。


「これが例の魔石なの?」

「そうだと思う。俺も初めて見たよ……」

「こんなに大きいの、どこで採れたのかしら」


 実家が魔石商である人間として、国内の、ひいては世界の魔石産出事情にはそれなりに詳しい自負がある。魔石の本質は、魔法の源になる『光』を蓄え、必要に応じて引き出せるようにする機能だ。魔石は特別な鉱石を用いて作る場合もあり、普通の宝石に加工を施して作る場合もあるが、機能的には前者がはるかに優れている。そして、いずれの場合でもこんなに巨大な鉱石が発掘されることはまずない。


「くず石を集めて合成する実験をしていて、その成果物のひとつだって聞いたよ」


 ルカの隣に並んで魔石を見つめながら、トーマスが言った。彼を振り返り、ルカはふと、なんと美しい紫色の瞳なのかと改めて密かに感心した。


「……意味があるのか分からないけど、できることはやっておこう」


 トーマスはそう言って、携帯していた小さな杖を取り出して、魔石を囲むロープに杖をかざした。ルカが知らない呪文を唱えると、薄汚れた白いロープが紫の光を放ち、次いで魔石を囲むように薄紫のガラスのような覆いが展開した。


「……トーマスも魔法が使えるのね」


 思わず本音を言ったルカに、トーマスはむっとして振り向いた。胸を張り、腰に手を当ててルカを睨む。


「当たり前だ、これでもリリアテラでほぼトップの成績なんだぞ」

「そんなにすごくても転移魔法は使えないの? ああ、使わせてもらえないんだっけ」

「馬鹿にするな! ……転移魔法は使える方が特殊だよ、人間を無事に飛ばせるのなんて普通は王宮付き魔法使いくらいだ。君が使える方がおかしい」


 トーマスはぷいと目を逸らし、戸口の方を見て目を見開いた。急いでルカも振り返り、この機械室の入口で一歩退く人影を見つける。


「あっ、こら! 待ちなさい!」


 そいつが慌てて走り出るのを、ルカは走って追いかけた。階段に先回りして逃げ場をなくし、展望デッキで右往左往するそいつを睨む。


 シャツにベストにスラックス、痩せぎすの顔にハンチングを被った彼は、下町ならどこにでもいるような青年だった。もちろん、ジャックではない。追い詰められたコソ泥そのものの動きをするそいつに、ルカは階段の前で仁王立ちして問いかけた。


「あなたが私に素敵な手紙をくれた人かしら?」

「違う、こんなはずじゃなかったんだ」

「まずは名乗りなさい! 見ての通り、私はルカよ」


 フェリシア・ラザフォードの葬式がもう済んでいるのであれ、ここではそう名乗れば問題がない。例の怪盗らしき青年は、ルカと、機械室の扉を器用に後ろ手に閉めるトーマスを見比べ、観念したように手を挙げた。


「俺はピーター、ピーター・ダウエルだ。でもそんなこと、どうだっていいだろ」

「ごきげんようピーター。ひとつ確認したいのだけど、あなたが手紙を出したとき、まだ空にひびなんて入ってなかったわよね」

「入ってなかったよ! 一体これはどういう事態なんだ? あんたたちが、何か企んでいるっていうのか?」

「魔石を盗むなんて馬鹿なことはしないと約束してくれるなら、何が起きているかをすっかり話してあげてもいいわよ」


 ルカは目を細め、怪盗ピーターの茶色の目を集中してじっと睨んだ。


 なんだか知らんが、妙なルカだ。貴族のお嬢様の遊びにしては好戦的だな。でもどう見ても素人だ、紫の目のお坊ちゃまといい、隙はいくらでもある──


 そこでルカは観察をやめた。走るぞ、と考えると同時に弾かれたように駆け寄ってきたピーターが、ルカの小柄な体をひょいと抱えて、展望台から外に向かって放り投げたからだ。


「ルカ!!」


 悲鳴のようなトーマスの声が聞こえる。咄嗟に伸ばした自分の手の先が空を掴む。展望台が遠ざかっていくのが、いやにゆっくり見える。


 ああ、本当に死ぬときにはこんな感じなのだな、と妙に落ち着いてルカは思った。


 心を読む魔法はうまくできたのに、何をされるか分かっていたのに、対処ができなければ意味がない!


 展望台の上から、ピーターがさらにこちらに向かって両手を突き出し、炎を生む呪文を唱えた。トーマスが後ろからピーターを羽交い絞めにするより先に、放たれた炎が、落ちるルカに追い打ちをかけるように迫る。もう駄目だ、と目を閉じかけたとき、


「ルカ!!」


 急に誰かに抱き留められ、ぐいっと急激な加速を感じ、落ちるのとは違う方向に風を切る感触に目を開ける。


 銀髪の少年に抱えられ、巨大な黄色い鳥の背に乗って、ルカは空を飛んでいた。


 ピーターが放った炎を華麗にかわし、巨大な鳥はぴいと高らかに鳴いて、元居た展望台まであっという間に二人を運んだ。


 展望台ではピーターとトーマスが取っ組み合いになっていて、ピーターの手には刃物の銀色が光っている。ルカの肝が冷える間もなく、巨大な鳥の背から飛び降りた銀髪の少年がルカを放り出し、一瞬の後には、美しい灰色のヒョウのような生き物がピーターのシャツの背を咥えて捕らえていた。


「ひい! な、なんだ、魔物?!」

「僕の主人に刃物を向けたな」


 灰色のヒョウが首を振り、展望台の床にピーターを投げて転がして、その背をむんずと踏みつけた。げほげほと咳き込んで苦しむピーターに、牙を剥いたヒョウがずいと顔を寄せ、金色の目で睨みつける。

 ピーターは青い顔でがたがた震え、もう何も言わなくなった。


 放り出されて擦りむいた手や膝もそのままに、ルカはトーマスに駆け寄った。汚れを払いながら体を起こすトーマスに、


「トーマス、怪我はない?」

「大丈夫だよ、ルカは?」

「私は大丈夫よ」

「良かった! カルロ、マイク、ありがとう」


 いつの間にか小鳥の姿に戻っていたマイクが、展望台の手すりにとまって、得意げに黄色い羽を広げてみせた。カルロはピーターを踏みつけたままで、にゃあおと勇ましく鳴いた。


 数人が階段を駆け上がる音がする。グレゴリーおじさんをはじめ、男衆が何人も展望台に上がってきて、カルロの姿にびっくりしつつも、ピーターの身柄を取り押さえる。


 縄でぐるぐる巻きにされたピーターに、トーマスがつかつか寄っていく。ハンチングの下の額に手をかざして呪文を唱えると、額に魔法陣が浮かび上がった。魔法を使えなくする封印魔法だ、とルカにも分かった。


「さて、もう逃げられないわよ。どうして魔石を盗もうなんてしたの?」


 ピーターから少し離れた場所で仁王立ちし、ルカが改めてピーターに尋ねた。ピーターはけっと唾を吐きかけるが、ルカのそばで、猫の姿に戻ったカルロが金色の目でじっと睨むのを見てもう一度震えた。


「……故郷の町のためさ。あんたら貴族がめちゃくちゃにしたものを、あんたらのおもちゃを使って助けようとして、何が悪い!」


 震える声でピーターが話す内容に、ルカは怪訝に目を細め、トーマスもきょとんとして首を傾げる。


「俺の故郷はサイラスだ、あんたらは工場をどんどん建てるくせに、工場の汚水は垂れ流しだ。ようやく上下水道の整備が始まったと思えば、蓋を開けりゃ悪質な工事業者が、形ばっかり変な工事をしただけだ。空気もずっと淀んだままで……俺の友人も親戚も、一体何人が、工場の汚染のせいで死んだと思う?」


 捕り物に活気だっていた展望台が、しんと静まった。


 ルカは胸に手を当てた。心当たりは非常にあった。魔石商の父に連れられて幼い頃に訪れたあちこちの下町で、工場が次々と建つ地域で、嫌というほど見た光景が頭によみがえる。


「俺は魔法の先生について、空気や水を浄化する魔法を身につけた、でも大きな魔石でもなけりゃサイラスの町全部を綺麗にするなんてとてもできない。それが、こんな! こんな大きな魔石があるのに、王都の貴族がすることと言ったら、妖精の村を滅ぼしながらまやかしのテーマパークを作ることだけだ。俺の故郷のために使った方が、よほど、この魔石だって報われる!」


 ピーターは茶色の目を爛々とさせながら叫んだ。涙を浮かべ、肩を上下させるその姿に、ルカが静かに問いかけた。


「魔石を盗んだら、どうやって外に出るつもりだったの」

「……そんなのどうとでも……あんたらの通行証を頂いて、それで」

「通行証はもう使えないわ。だいたい、この魔石でこの箱庭が成り立ってるなら、持ち出した時点であなたもみんなもこの箱庭と一緒に爆発しておしまいよ」


 黙るピーターに、冷静にルカが続ける。


「あなたの意見にはおおむね賛成よ。こんな箱庭、くだらないわ。貴族の娯楽のために妖精のみんなをさらって閉じ込めて……壊れそうになって慌ててるけど、自業自得にも程があるわ。いい? あなたは一緒にここを出るの。みんなと一緒にここを出て、あなたの故郷の町のことは、そこの王子様に何とかしてもらいなさいよ」


 ルカは顎でトーマスを示した。トーマスはむっと顔をしかめるが、


「だってそうでしょう、世界樹の麓で人の子を統べる王たる王都で、困っている人のために動かないで、それじゃあ王族の意味がないでしょう?」


 地方の工場町の惨状なんてこれまでは知る由もなかったのだろうし、王族の理念をないがしろにしているわけでもないようで、トーマスはゆっくり確かに頷いた。


「約束する。時間はかかるかもしれないけど……」

「……あんたは王子様だっていうのかい、本当に?」

「俺はサミュエル。サミュエル・ダン・サクリノス──三番目だけど、確かに王の息子だよ」


 紫の目を瞬いて名乗ったトーマスの、その美しい立ち姿から──ルカはぐいっと顔を逸らした。


「そうと決まれば、あなたも一緒に働いて!」


 ピーターにそう宣言すると、ピーターはおろおろしながらルカに振り返った。まさか本物の王族にお目見えすることになるとは思ってもいなかったようで、ちらちらとトーマスを二度見しながら、


「働くって、何するんだよ」

「この街のみんなが入るくらい大きな魔法陣を作るのに、材料を作らないといけないのよ。300匹分くらいの魚の鱗を粉々にする重労働があるんだから」

「げ、そんな大きな魔法陣を? 一体何をする気なんだ?」

「転移魔法を使うのよ」


 転移魔法と聞いて、ピーターはこれまた目を丸くする。


「……嘘だろ、誰がそんな魔法を使うんだよ」

「私よ」

「お嬢ちゃんが? 冗談はよせ」

「冗談じゃないわ、本気よ。練習だってしたんだから」


 両手を腰に当て、ルカは胸を張って答えた。いやいやそんなはずがない、あんたこそ一体誰なんだ、とピーターの目が問いかけるので、


「言ったでしょ、私はルカよ。未来の偉大な魔法使いよ」


 決意を込めて、ルカは言った。あまりの気迫に、わけもわからず、ピーターは頷いた。

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