第18話 魚釣り大会
月曜の朝、ルカはぽんぽんと明るい大きな音で目を覚ました。思わず飛び起き、窓を開けて空を見回す。見える範囲の空にひびが増えているようなことはないが、代わりに、市庁舎前の広場のほうで白い煙の塊がいくつか見えた。
寝間着のまま自室のドアを開けると、ちょうど階段をばたばた駆け下りているのはアニーだった。あ、と笑顔でルカを振り返り、
「ルカ、今起きたの? 早くしなよ、先に行ってるよ!」
「そんなに急いでどうしたの……?」
「今日は魚釣り大会だよ! 昨日言ってたじゃん」
じゃあ、と駆け去っていくアニーを見送り、ルカはきょとんとした。そういえば、夜中にアニーやマーティンやジャックが盛り上がっていた気はするが。
着替えて食堂に降り、魚が大量に使われた朝食を食べる。一応釣り道具を持って外に出て、習慣的にいつもの小舟の船着き場に行きかけて、思い直して向きを変える。脱出までは念のため、無駄な魔法は極力やめようという話になり、明かりを点けて回るというルカの仕事もここにきてお役御免になったのだった。
市庁舎前の広場への道すがら、早くも何人もの釣り人とすれ違う。老若男女様々な人が、ルカに明るく挨拶しながら、三々五々あちこちの水路に散っていく。広場までたどり着いて、ようやくルカは事態をなんとなく把握した。
「さあさ、まだまだエントリーは受け付けてるよ! フォシュトケリを一番多く釣った人が優勝だ! 優勝者は、村でいっとう高い木に新しい家を建てられるよ!」
市庁舎側に設けられた本部テントのような場所で、お手製の拡声器で元気よく宣言しているのはジャックだ。隣にはマーティンとグレゴリーおじさんがいて、エントリーする人々に順に釣り道具を渡している。ルカの姿に気づいて、ジャックが大きく手を振った。
「ルカおはよう! ルカもエントリーするよね!」
「おはよう、みんな。私が優勝したらどうするの?」
「それはそのとき考えるよ! ほら、早く持ち場について、人気の釣り場はもう埋まってるよ」
箱庭が破裂しそうだという極限状態においてなお、妖精たちのお祭り好きな性格は健在のようだ。ルカがくすくす笑いながら本部テントを覗き込むと、隅の方で灰色猫の姿のカルロが一生懸命魚を食べている。ルカの姿に気づき、顔に魚をつけたままで顔を上げる。
「おはよう、カルロ。カルロは釣らないのね」
「僕は審査員なんだ。特別美味しいやつを釣ったら、特別賞をあげるからね」
それだけ言って、カルロはまた夢中で魚を食べ始めた。一体何匹食べるつもりなんだろうと内心恐れ入りながら、ルカは広場を後にした。
まだ朝の8時なのに、良さそうな釣り場は確かにもうほぼ埋まっている。結局いつもの船着き場に行き、自分の小舟に乗り込んで、沖に出てみようと小舟を漕ぐ。水路に釣り糸を垂らす人々は、ルカを見ると、
「あ、ルカずるい!」
と指差して笑ったが、特に禁止されていないようなのでずるではない。
ウォルターに出会ったあたりの桟橋に出る。桟橋にはたくさんの人(妖精)がすでにいて、小舟に乗るルカに手を振っている。少しだけ沖に出た場所で、ルカは釣りを始めた。揺れる小舟の上からだと、岸でやるようにはうまくいかないが、それでも十数分おきにはフォシュトケリが釣れる。
「ルカ! ルカ! ご主人様からでんごん!」
ちょうど引きがあったところにオウムのマイクがばたばた寄ってきて、ルカは思わずマイクを睨んだ。マイクはひょえっと声を上げて空中を何周かやかましく飛び回り、ルカが釣り上げた魚を籠に放り込んで蓋をしてから、改めて小舟にとまった。
「ウォルターが飛んでったのと同じところに、飛ばす先のちゃんとしたやつができたって!」
「分かったわ、ありがとう。……マイクはどうやって、あの魔法使いとやり取りしているの?」
「気合いだよ! ご主人様だからね!」
マイクはもちもちした胸を誇らしげに張るが、何を言っているかはよく分からない。
「ねえ、マイクはカルロみたいに、人間の姿にはならないの?」
小鳥の小さな目では、虹彩を観察するのが難しい。興味本位で尋ねると、マイクは小さい頭をぷるぷる振った。
「なれるけど、カルロみたいに可愛くないから……」
「そんなことないと思うわよ。ちょっと見せてよ、お願い」
「ええ~しょうがないなあ、ルカにだけだよ……」
ルカが小舟の端に寄ると、マイクは小さい目をぱちっと閉じた。次の瞬間、小舟がぎしっと傾いて、ルカの目の前には金色の髪の、そばかすの散った、目も鼻も口も小さな憎めない顔立ちの少年が座っていた。思わず笑うルカに、少年はぷくっと頬を膨らせた。
「ほら、笑った!」
「いいえ、ごめんなさい、あまりに想像通りだったから……ねえマイク、ちょっとアランとやり取りしてみてよ。その間、あなたの目を見ていてもいい?」
「ええ~いいよ、でも何を言おうかな」
「魚釣り大会が盛況だとでも言ってみて」
マイクは小さい目を瞬いて、それからおとなしく口を閉じた。ルカは集中して彼の目をじっと見た。ご主人様! ご主人様! 魚釣り大会が盛況だよ! といういつもの調子のマイクの声に続いて、疲れたような焦ったような男の声が聞こえてきた。
何? 何のこと? 今こっちは死ぬほど忙しいんだけど!
だってルカが、ご主人様に言ってみてって言うんだよ!
もしかしてルカと一緒にいる? 彼女は君の目を見てる?
うん、めっちゃ見られてる! もしかしてルカっておいらのこと好きなのかな!
少しの沈黙があって、男の口調が変わる。
ルカ、聞こえているってことかな? 明日転移魔法を決行するなら、できるだけ、10時ちょうどとか時間を決めてやってほしい。転移魔法が成功したら、箱庭はすぐさま消す予定だ。できるだけ、こちら側も万全の態勢で対処できるとありがたい。
知っているかは分からないけど、君たちのいる箱庭の本体は王宮にある。王宮は今、王族方含め全員を避難させている途中だ。君の転移魔法が失敗するとか、箱庭を始末するタイミングが遅れるとかしたら、俺ら対処する魔法使いと王宮が丸ごと吹き飛ぶことになる。
時間の見通しは立ちそう? 目途が立ったら早めに教えてほしいんだけど。
「10時でいけると思うわ。でも確定したらまた連絡する。……って、マイク、アランに伝えてくれるかしら」
マイクがそわそわ瞬きした時にはもう、分かったありがとう、じゃあまた、とアランからの返事がマイクの目を通してルカに聞こえた。ルカは満足げに微笑んで、ふうと息を吐いて目線を落とした。
「ルカすごい! 便利!」
「マイクがいてくれるおかげだわ。今の話、カルロやトーマスにも伝えてきて」
がってんしょうち、と元気よく言いながら、マイクはオウムの姿に戻ってばたばた飛んで行った。釣りに戻りながら、ルカはぼんやり考える。
王族方含め全員を王宮から避難させるなんて、前代未聞の大事だ。戦争でだって、王宮近くまで攻め込まれるなんて事態はほとんど考えられない。一方で、渦中のこの箱庭の中では、妖精たちが和気あいあいと魚釣り大会を催している。
そういえば、トーマスもどこかで釣りをしているんだろうか。それとも不得手なことで比べられるのは癪だと、お屋敷で紅茶でも飲んでいるのだろうか。
ふと桟橋の方で歓声が上がって、ルカの疑問はすぐ解決した。他の住人たちに囲まれて、水を被りながら小さな魚を釣り上げたトーマスが、嬉しそうに笑っている。なんだ、王子様だってそんなことをしてそんな顔をするんだなと、なんだかルカまで嬉しくなった。
広場の方で再び花火の音が鳴って、人々が三々五々戻っていくのを見て、ルカも小舟を操って戻る。魚の入った籠を持って市庁舎前の広場に戻ると、大きな筵が広げられた場所で、参加者が釣った魚を少年の姿のカルロとマーティンが数えている。別の場所では即席の作業台が設けられ、アンジェラおばさんを始めとした女衆が、計数の終わった魚を次から次へと捌いている。
「お、トーマスはたった2匹か」
「うるさいな、2匹も釣れたと言ってくれ」
ルカの前の方で、意地悪な物言いをするカルロにトーマスが顔を赤くして反論している。ルカの姿に気づいて恥ずかしそうにするトーマスの前で、ルカは数匹入った籠を開ける。
「ルカは7匹だ、さすがだね!」
「小舟の上じゃなきゃもっと釣れたわ。今、全部でどのくらいなの?」
「聞いて驚け、もう200匹以上だよ。まだ数えてない分もあるから、昨日のと合わせたら300匹を超えるはずだよ!」
「ええ、すごい!」
「妖精たちはやればできるんだ」
誇らしげなマーティンと嬉しそうなカルロが、握った拳を突き合せて笑い合った。あれほど猫は嫌いだと言っていたマーティンだが、いつの間にかカルロと打ち解けたらしい。
「それにしても、とんでもない量だな……」
呟くマーティンの目線の先、作業台の近くには即席の調理場も設けられていて、早速、参加者のランチになる魚のソテーが作られていた。近くのレストランから集められたテーブルと椅子で大規模なテラス席ができていて、いい仕事をした人々(妖精たち)が早速ランチにありついて、すでにパーティーのような様相を呈している。つくづく、妖精というのは愉快な生き物だ。
「えー、皆さんご参加ありがとうございました! 全ての参加者の結果が出揃いました! 優勝は……大工のアンドリューです! なんと、一人で15匹も釣りました!!」
ジャックが宣言すると、広場は大盛り上がりだ。トーマスと一緒にテーブルにつき、楽しそうな皆の様子を微笑ましく眺めていたルカは、ふと、時計台の展望台の方に人影を見たような気がした。黙って立ち上がるルカに、トーマスが声をかける。
「ルカ、どこに行くの?」
「……王子様は待っていて。ちょっと下調べに行ってくるわ」
まだ真昼であり、犯行予告されていたのは夜である。しかし犯人が尻尾を出したなら、さっさととっ捕まえても問題はあるまい。
絶対に邪魔はさせない。箱庭の中でも、外でも、山ほどの人(妖精)が動いているのだ。人影が消えた展望台をちらりと見上げ、ルカは、ずんずんと時計台に近づいていった。
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