第17話 犯行予告

 勧められるままに小屋に入り、木でできた小さなダイニングに案内され、ウォルターはシモンズ先生が淹れてくれた紅茶を飲んだ。少し変わった味がするのは、疲労回復のための薬草か何かがブレンドされているのかもしれない。


 ダイニングにはあちこちに、薬草やきのこや、トカゲのようなものが吊り下げられている。キッチンの脇に作られた薬草を煮るためのかまどといい、いかにも、隠居の魔法使いの小屋という風情だった。


「マクマスさんは、あの箱庭から出てきたんだったね」


 ウォルターの向かいに腰かけながら、シモンズ先生が優しい声で問いかけた。本当に出たんだ、と改めて胸がじんとするのを感じながら、ウォルターは頷いた。


「シモンズさん、俺のことはどうぞ、ウォルターと呼んでください。世を捨てた男です」

「……きっと何か、大変なことがあったんだろうね。あの箱庭のことは、私もずっと気になっていたんだ」


 シモンズ先生はそう言って、細い目を悲しげに伏せた。ウォルターはふと、自分が転送されてきたあの小人の廃墟のような空き地を思い出す。


「もしかして、この近くにあったのが、例の妖精の村なんですか」

「そうだよ。私はずっとここに住んでいて……妖精たちはみな、古くからの隣人のようなものだったんだ。彼らは寿命が短いから、何代も見守ってきたのだけれど。まさかあんなひどいことに巻き込まれるなんて」


 紅茶のカップを置いて、ウォルターも眉尻を下げた。気のいい隣人たちが丸ごと連れ去られてしまったなんて、どんなに悲しかっただろう。


「でも、ウォルターは出てきたんだね」


 シモンズ先生は顔を上げた。年老いたその目に一瞬、とても鋭い何かを感じ、ウォルターは瞬きした。


「ええ、俺は貴族連中とは違って、通行証を持っていたわけじゃないんですけど。ルカが……ああ、あの、小説だったら主人公の役回りの体に、今回入ってきた子が、実はすごい魔法使いで」

「それはそれは……ルカ役に来るのは、女性ばかりだと聞いているけれど」

「今回も女性ですよ、でも……なんていうか、とんでもないんです。やたらと魚釣りするし、転移魔法も、心を読む魔法か何かも使えるし」

「…………」


 シモンズ先生が細い目を大きく開くので、驚いてウォルターも目を大きくした。それからすぐに、シモンズ先生はたいそう嬉しそうに微笑んだ。


「それはすごい。きっと、彼女は素晴らしい魔法使いになるんだろうね」

「ええ、俺もそう思います。でも」


 紅茶の水面に目線を落とし、ウォルターはため息をついた。


「でも今……あの箱庭は、寿命が近いらしくて。迷い込んだ王子様を逃がしたら、きっと、王宮の魔法使いたちはさっさとあの箱庭を消すでしょう。そしたらあの子もおしまいです。俺は彼女の転移魔法の練習のために外に出されたんです。ああ、今になって後悔しています。あの子だけでも助け出すのに、もっと、うまいやり方があっただろうになあ」


 膝の上で拳を握るウォルターを、シモンズ先生が真剣な表情で黙って見つめる。ふとノックの音がして、シモンズ先生が玄関のドアを開けに行くと、そこにいたのは例のくすんだ金髪の魔法使いだった。


「シモンズさん、先程は急に失礼しました。ウォルターの調子はどうですか」

「ひとまず、お怪我などはなさそうですが」

「それは良かった。差し支えなければ、お邪魔しても?」


 黙って頷くシモンズ先生の横を抜けて、魔法使いのアランはウォルターにつかつかと歩み寄った。何となく肝を縮めながら立ち上がるウォルターに、アランはにっこりと微笑みかけた。落ち着いて見れば案外整った顔立ちだ、とどうでもいいことをウォルターは思った。


「ウォルター・マクマス、朗報だ。君の友達のルカは、どうやら、次の魔法であそこの住人全員を飛ばそうとしているらしい」

「!」


 ウォルターは目をぎょろぎょろさせ、思わず両手を挙げかけて、行き場なく胸の前で手を組んだ。──元々全員を飛ばそうとしていたのは知っているが、本当にやろうとするとは、どこまでも肝の据わった娘である。


「ついては、君にも手伝ってほしい。君が飛んできたあの空き地、あそこを地ならししないといけない。水の都の市庁舎前の広場くらいに平坦に!」


 アランはどこかやけっぱちに言った。ウォルターはなんとなく宙を見上げ、市庁舎前の広場を思い浮かべた。それから、自分が飛んできたあの空き地の、柔らかい下草に覆われた地面、美しい水路や川や畑やそういうもの、つまりはとてもでこぼこな地面を思い浮かべた。


「タイムリミットは明後日の朝だ。本当に全員が飛んでくるなら、それまでにできるだけ広く、安全な場所に仕立てないといけない。王子殿下が変なくぼみに挟まりでもしたら……分かるよね?」


 今度こそ肝を縮めながら、ウォルターは慌てて、こくこくと小刻みに頷いた。飲みかけの紅茶をそのままにアランに続いて出ようとするウォルターを、


「お待ちなさい」


 シモンズ先生が呼び止めた。振り返る二人に、彼はゆっくり瞬いて、優しいような、隙がないような微笑みを浮かべた。


「私にも手伝わせておくれ。たぶん、その魔法使いの魔法には、私が一番詳しいからね」


 *


 ウォルターを箱庭の外に飛ばし、二個目のひびを確認した時点で、すでに日が傾きかける時間だった。つまりあまり時間がなかったのだが、そこらじゅうの人(妖精)が手分けして魚釣りをすると、何十匹かのフォシュトケリが釣れたのだった。


「悪くない進捗だけど、明日もたくさん釣らないとね」


 すっかり日が落ちた夕べ、アンジェラおばさんの食堂で、網に広げた山ほどの虹色の鱗を前にしてルカが言った。


 マイクがたどたどしい言葉で主人のアランとやり取りした内容によれば、この箱庭は寿命が近いと言っても、恐らく数日の猶予はあるらしい。全員を一度に飛ばす巨大な魔法陣の材料を集めるには、まず、虹色の魚を釣って、捌いて、鱗を乾燥させなければならない。乾燥には丸一日ほどかかるが、その後の工程はそんなに時間がかからない。みんなで相談して転移魔法の決行日を明後日と決めたので、明日の午前中には鱗を集めきりたいところだ。


「ここにこんなに魚がいるとは思わなかったよ」


 釣りも鱗を洗うのも手伝ったマーティンが、すっかり魚臭くなった手の匂いに顔をしかめながら言った。アニーはまだキッチンで良い香りの石鹸で手を洗っているが、そもそもキッチン自体が魚の匂いで満ちている。


「魚で窒息する夢を見そう!」

「明後日までだから辛抱してね。このままのペースで集まれば、たぶん明後日の午前中にはいけるわ」


 ルカの真剣な声に、横でトーマスが頷いた。そのまた横で、頭の後ろで腕を組んだジャックが、ふざけた様子でトーマスをつついた。


「王子様が釣りしてる姿、面白かったなあ! 餌をつけるのだって、全然できないんだもの!」

「うるさいな、釣りなんか初めてだったんだよ!」


 トーマスは恥ずかしそうに言い返すが、ルカにしてみれば、このお坊ちゃまが初めてなのに挑戦したことの方が意外だった。まあ、命がかかっている状況ならば、誰だってそうするかもしれない。


 ああ疲れた、という声が玄関からして、見ればアンジェラおばさんが腕を回しながら帰って来るところだった。魚を捌くのは女性たちで手分けしたのだが、一番数をこなしたのはアンジェラおばさんだ。


「ようやく魚の切り身を配り終わったよ! 今夜はここのご近所さんは全員魚のムニエルだよ、みんな香草がないって大騒ぎだ。ああ、ルカ、手紙が届いていたよ」

「手紙?」


 ルカは顔をしかめて、アンジェラおばさんから質素な封筒を受け取った。この箱庭で郵便が届くのも意外だが、差出人の名前がなく、全く心当たりもない。みんなが覗き込む中で封筒を開けると、


「…………犯行予告??」


 予想だにしない文字列に、全員がきょとんと瞬きした。


 キッチンの隅で猫の姿で魚をかじっていたカルロも顔を上げる。全員がなんとなくジャックを見て、怪盗役には似ても似つかないと評判のジャックはぶんぶんと首を横に振る。


「俺じゃないよ! そういう状況じゃなかったじゃん、どう考えても!」

「何の犯行予告? 誰から?」

「ええと……月曜の夜、時計台の魔石をもらい受ける。怪盗より、だって」

「情報量少ないな! 明日の夜ってこと? ジャックじゃないなら、誰なんだろう」


 顔を見合わせて、全員が首を傾げた。そういえば、とアンジェラおばさんが口を開いた。


「時計台の魔石って、この箱庭を成り立たせているものだって聞いたけど」

「……そういう話だったと思うよ。実際、あれより大きな魔石はここにはないはずだし」


 初日にトーマスに連れられて登った時計台を、ルカは眉根を寄せて思い出す。そういえば展望台の内側に小さな部屋があった気がする。

 空間魔法にはそれぞれ、維持するための魔石が必要になる。確かにこれだけ大きな空間魔法を維持するにはとんでもなく大きな魔石が必要なはずで、広場の地下にあるとかでなければ、時計台にあるという魔石がそれなのだろう。


「あれを盗まれでもしたら、一発で全部がおじゃんだよ」


 カルロが低い声を出した。全くもってその通りだ。


「誰だか知らないけど、なんで今? 全く馬鹿なことを言い出すものだ! 明日は僕が時計台を見張っといてやる、そんな不届き者はひと噛みで退治してやるさ」

「私も行くわ、カルロ。ここで台無しにされたらたまったものじゃないわ」

「ルカはだめだ、君には重大な任務がある。それに、お嬢様には暴漢の相手なんてできないよ」

「いいえ、絶対に私も行く」


 封筒を握りつぶしてルカが言うので、マーティンとジャックはぎくりとして一歩下がった。トーマスは頬をひくつかせながら、ルカの足元に広がりかける氷を、ルカの肩を叩いて止めた。アニーとカルロが顔を見合わせ、アンジェラおばさんが、戸口にもたれて面白おかしく大笑いした。

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