第15話 作戦会議

「ちょっと、早く戻らなくちゃ! あなた、通行証があるんでしょう」


 青ざめた顔で立ち上がるトーマスに、ルカは急いで話しかけた。普通のルカが知っているはずのないことだが、そんなことを言っていられない。トーマスは驚いて振り向くが、


「……お屋敷に戻ろう」


 特に何も聞き返さなかった。食べかけの料理をそのままにして、慌ててレストランを出る。出たところで、思い出したようにルカの手を握る。


「私はいいから、早く行った方がいいんじゃないの」


 息を切らして一緒に走りながらルカは言う。トーマスは首を振るが、その横顔は明らかに焦っている。目抜き通りを端まで来たところで、ついにルカがトーマスの手を振りほどいた。


「ほら、全力で走って! いいから!」


 ルカの気迫に、トーマスは黙って頷いた。風のように走り出す彼の背を見送り、少し休んで息を整え、それからルカもついていった。


 空間魔法は便利な魔法だ。スーツケースを小さくして持ち歩くようなこともできるし、部屋の中にこっそりもう一つの部屋をこしらえることもできる。場合によっては、この箱庭のような大きな空間を作り出すことだってできる。


 しかし便利な反面、非常に危険なものでもある。スーツケースを縮めた魔法が不用意に解除されれば、スーツケースはいわばする。周りに十分な空間さえあれば、実際は大した被害はない──せいぜいスーツケース程度の大きさならば。


 この箱庭ほど大きな空間が、それもたぶん、王都のどこかに設置された空間が爆発したら、一体何が起こるのか。


 まして中にいる人がどうなるのかなど、考えるのも恐ろしい。


 それも、ルカのような、結局は庶民であるような人間はまだいい。王子様が巻き込まれるなど、王都の歴史を揺るがす大事件である。


 ルカがトーマスのお屋敷に着いたとき、お屋敷の前には野次馬で人だかりができていた。人波をかきわけて、ルカは許可も得ずお屋敷に入る。声のする方に向かうと、二階の書斎らしい部屋の前で、


「なんてこった……」


 トーマスががっくり膝をつき、絶望したように頬を押さえていた。彼の目線の先には、黒いカーテンで仕切られた空間と、もはや作動していなさそうなひび割れた魔法陣があった。魔法陣の上で、オウムのマイクがばたばたと飛び回っていた。


「もうだめだ! もうだめだ! ああ殿下、我々はおしまいです、ああ」

「黙れ! 本当にうるさいオウムだな」


 そう言い放ったのは、美しい銀髪の少年だった。うなだれるトーマスの背を健気に支えながら、トーマスの顔を覗き込み、その両頬を手で覆って、


「くよくよするな! 大丈夫だ、お前は絶対に外に出す」


 そう懸命に話しかけ、励ますようにトーマスを抱き締めた。そこで初めて、少年の金色の目がルカを見た。


「ああ……ルカ」

「……カルロ」


 確信を持って、ルカは少年の名を呼んだ。カルロは不敵に微笑んで、それからすっと立ち上がった。


「嘆いていてもしょうがない、対策を考えよう。おいオウム、ホフマンのオウムはとんずらこいたんだったな」

「そうだよ、あのヒ素みたいな緑のは、一目散に出て行ったよ!」

「ちっ、主人ともどもくだらんやつだ! ……ルカ、アンジェラおばさんのところに集まろう。作戦会議が必要だ」


 カルロに促され、ルカは頷いて、一足先にトーマスのお屋敷を出た。書斎を出る前に一度だけ振り向くと、うつむいたトーマスがはらはらと涙をこぼしているのが見えた。


 お屋敷の外の野次馬は、そのままアンジェラおばさんの下宿の食堂になだれこんだ。一番大きなテーブルを円卓のように見立て、ルカは一番奥に腕を組んで座った。いつの間にかアニーもマーティンもジャックもいて、戸口からはぎょろ目をせわしなく瞬きながら、ウォルターも見守っている。

 ほどなく、気落ちしたトーマスと落ち着きのないオウムを伴って、少年の姿のままでカルロが現れた。ルカの向かいにトーマスを座らせ、自分はその横で仁王立ちして腕を組み、


「さて、作戦会議を始めよう」


 王様のように宣言した。彼を初めて見る者も全員、黙って静かに頷いた。


 *


「まず確認だが、妖精たちの隠し通路なんかはないな?」


 カルロがぐるりと見回しても、誰も何とも言わなかった。ジャックなどは明らかにむっとした顔をする。


「その前に、分かってるだけ状況を教えろよ! 言っとくけど、隠し通路なんかあるなら、とっくの昔に全員こんなところ出て行ってるんだからな!」


 カルロは眉を跳ね上げたが、咳払いして声を落ち着けた。


「すまない、聞き方が悪かった。……我々が行き来するのに使っていた転送装置は、壊れてしまって使えない。我々が把握していない転送装置がないのなら、誰も、安全に外に出る手段がない。……加えて、どうやらこの箱庭自体の寿命が、そう遠くない先に迫っている」


 空に走るひびの方向をちらりと見上げ、カルロは言った。食堂がしんと静まり返り、誰かのついたため息が、絶望的に響いた。


「二つ質問なんだけど」


 沈黙を破ったのはルカだった。カルロとトーマスと、それからマイクを見比べながら。


「アランだっけ? あの魔法使いは、自分で魔法陣を作って出て行っていたけど。彼は転移魔法を使ったってこと?」

「アランが? ルカ、アランに会ったのか」

「ええ、今朝ね。何の用事だったのか知らないけど」


 カルロは眉をひそめてトーマスを見たが、トーマスも何も知らないというように首を振る。机の角にちょんととまるマイクに、カルロが尋ねる。


「おい、オウム。アランは何か言っているか?」

「……ご主人様は、ばたばたしてる!」

「つくづく使えないオウムだな……ルカ、たぶんそれは転移魔法だ、アランが自分自身に使ったんだろう。転移魔法を使えば出られるのは、それはそうだが……問題は使える人間がいないことだ」


 カルロはそう言って目線を落とした。ルカにはよく分からないが、猫の魔物でも、転移魔法は難しいものなのだろうか。


「二つ目の質問、いいかしら。マイク、初めて会った日に、私を私のベッドに戻したでしょう。あれは転移魔法じゃないの?」


 再び話を振られ、マイクはばたばたと飛び上がり、宙を一回転してまた机にとまった。


「あれは、ちょっと違うよ! ルカは戻しやすいようになってるんだ、ここでは」

「ルカのベッドが、その体の転送先になってるんだ。ほら、橋から落っこちるとか、危ないことになった時に安全な場所に戻れるようにね」


 カルロの補足で、ルカは納得して頷いた。


「じゃあ、カルロもマイクも、転移魔法を使えるってわけじゃないのね」

「残念ながら、そうだ」

「トーマスも?」


 ルカはじっとトーマスを見た。力なく頷くトーマスの肩に、カルロがそっと手を乗せる。


「というより、こいつは使わないように言われている」

「なんで?」

「危ないからだ。転移魔法は、簡単に人を殺しうる。そういう魔法を、高貴な方々は使ってはいけないということらしい」


 ざわざわする胸を押さえて、ルカは息を飲んだ。その心の内を見透かすように、カルロが金色の眼差しをルカに向けた。


「ルカ。……何度か、練習していたよね。何を飛ばした?」


 ごくりと唾を飲み、ルカは、正直に話すことにした。ここまできて、粛正も何もあるまい。


「ペンと、ハンマーと、釣り竿と」

「釣り竿か、大きいね。生き物は?」

「……魚を何回か」

「生きてた?」

「生きてたわよ。……あと、ジャック」

「ジャック?!」


 全員から注目され、ジャックは肩をすくめてあっけらかんとウインクした。


「楽しかったよ! ぐにゃってした!」


 なぜか誇らしげなジャックに対し、カルロもトーマスも心底驚いた顔をした。あまり何も考えずに練習していたが、ジャックが無事でよかった、とルカは今更肝を冷やした。


「……なるほど、じゃあやっぱり、ルカが一番適任だ。しかし……」


 カルロは言い淀んだ。その横で、トーマスはまだ信じられない様子でルカを見ている。


「妖精は、小さいからな……それと、外に出るには、アランか誰かに転送先の魔法陣を設定しておいてもらう必要がある。いきなりトーマスで試すのは、ちょっと……」


 ぶつぶつ言って思案しながら、カルロは目線を上げた。人々を見渡しながら、


「妖精じゃなくて、できれば人間が……できれば、多少は魔法の心得がある人間が、実験台になってくれたら」


 ふと振り返り、戸口から覗くウォルターを見た。ぎょろりとした目をせわしなく瞬いて、ウォルターはきょろきょろと左右を見回した。


「できればそれなりに身長のある男が……」


 体ごと振り向いて、顎に手を当てて、カルロはじっとウォルターを見た。恐る恐る、ウォルターはカルロを見返した。


「いや、俺は、あの」

「身長どのくらいだ? おまえ」

「……175cmくらいですけど」


 だそうだ、とカルロはトーマスを見た。トーマスは黙って頷いた。カルロは頷き返し、再びウォルターを見た。


「ちょうどいいな」

「いや、待ってくれ! 実験台って、失敗したらどうなっちまうんだ? ぐちゃぐちゃになって死ぬとか、なんかの隙間に挟まって、一生出られなくなったりするんだろ!」

「ウォルター・マクマス」


 誰も聞いたことがないはずのウォルターの本名を、カルロはぴしりと呼んだ。ひっと息を飲み、ウォルターは固まった。


「2933年生まれ、生まれと育ちはポートカルス、勤め先はメリー・ステラ通りのスターリング工場だったな。借金が10000ペタロあって、完済できずにここに来ていると聞いているが」

「ひえ……なんで……」

「実験台と言えば人聞きが悪いが、うまくいけば一足先に外に出られるということだ。外に出られた暁には、王子殿下のポケットマネーで借金はチャラになるだろう。工場に告げ口もしないし、使用人の口も紹介できるぞ。どうだ」


 トーマスが横でこくこく頷くのを横目に見ながら王様のように説明するカルロに、がくがく震えながら、ウォルターはうなだれた。降参というように手を挙げて、


「分かった、分かったけど……ちょっとだけ、心の準備をさせてくれ!」


 声をひっくり返らせながら、ようよう言った。カルロは大きく頷いて、ルカを振り返った。


「ルカ、早速準備をしようか。材料はあるだろうから、広場にでも魔法陣を作ろう。マイク、お前はアランに連絡して、転送先の準備をしてもらえ。そのくらい伝えられるだろ」

「がってんしょうち! ご主人様、ご主人様!」


 マイクは元気よくわめきながら、ばたばたと外に飛んで行った。ふらふらと下宿前の広場の方に歩いていくウォルターに、マーティンが心配そうに、ジャックが面白そうについて行った。


 ルカは決然と立ち上がった。一度自室に戻り、ノートと魔法のインクを持って戻ってくる。それから食堂の机にノートを広げ、改めて、転移魔法の魔法陣の設計図を描いた。


「カルロ、トーマス。私はやるわ、絶対成功させる。……でも、学校にも行っていない庶民なのは事実よ。色々と教えて、お願い」


 ルカは真摯な目でトーマスとカルロを見つけた。もう、トーマスの目元の涙も乾いていた。彼もまた真剣な顔で頷いて、詳しい作戦会議が始まった。

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