第11話 葬列

 小雨が降る土曜日の朝、王都の街を重い足取りで歩くのは王宮付き魔法使いのアランだ。目抜き通りを三本逸れた寂しい道を、魔法使いらしい軍服にローブではなく、貴族らしい仕立ての喪服で。


 静かな教会の近くで足を止め、人だかりの向こうから、たった今教会に着いたらしいその葬列を眺める。

 先頭を歩くのはラザフォード夫妻で、彼らの手には、赤い髪の娘の肖像画が抱えられていた。その後ろに数人の男が棺を担いで続いている。


 奇妙なものだ、とアランは他人事のように考えた。男たちが担ぐ棺に、入るべき遺体も何もないのに。


 小雨の中に佇む教会は、王都の目抜き通りのすぐそばにあると思えないほど、陰気で、静かで、寂しかった。気味が悪いほどスムーズに、空の棺を担いでの葬列は進行し、寂しい教会に吸い込まれていった。

 他の人々に続いて、アランも教会に入っていく。教会の正面には神の御子の像があり、お決まりの格好で、どこか虚ろな目で、たった今据え置かれた空の棺を見下ろしている。


 ラザフォード夫妻は大人しく、空の棺のすぐそばの席についている。

 どういう顔をしていいか分からないまま、アランは入口近くの席に座った。曲がりなりにも手を下した張本人である自分を葬式に招くなど、普通の親がすることではない。しかし丁重に招かれた以上、アランが参列しないわけにもいかなかった。


 悪いのはフェリシアという娘ただ一人であり、それでおしまいにしてくれと、そう言いたいのが鬱陶しいほど伝わってくる。


 教会に置かれた棺、フェリシアという娘のドレスや髪飾りだけが横たわる脇に、参列者たちの手によってたくさんの花が詰められていく。ラザフォード夫妻は一応沈んだ表情をしているものの、事情を知らない人がその姿だけを見ても、大事な娘を亡くしたのだとは思わないだろう。


 自分にそうする資格があるのか心が揺らいだが、アランも百合の花を棺に入れた。そして祈るふりをした。


 ──使い魔たちの報告によれば、フェリシア・ラザフォードは箱庭の中で元気にしている。


 あの箱庭が理想郷だとは思わない。いずれは破棄する空間で、その時に助け出せるとも思わないし、そもそもこのように葬式をされては、王都に彼女の居場所はもうないに等しい。

 それでも、今だけでも、楽しく暮らしてくれたらいいなと思ってしまう。


 自分の順番を終えたあと、アランは何となく他の参列者が見える位置に座り、次々とやってくる人々をぼんやりと観察した。空の棺と、どこか空々しいラザフォード夫妻に、隠さず怪訝な顔をする人もいた。中には心底悲しんで見える人もいて、その多くが、身分で言えばあまり高くはなさそうな人たちだった。


 そうか、とアランは納得する。彼女は確か、養子なのだ。裕福な商家から貴族の家に養子に来たとか、そんな話だっただろう。してみると、彼女と豊かな人間関係を持っていたのは、彼女が商家にいた頃の知り合いということになるのだろう。

 どういう動機と条件で貴族の養子になったのかは知らないが、向いてはいなかったのだろうな、などと邪推する。


 ふと、沈痛な顔をした、身なりのきっちりとした青年の姿に気づく。見覚えがあるなと目を細めて、ああ、振った男だと思い出す。そうだ、確かイーグルトン侯爵家の嫡子だ。


 彼は空の棺をじっと眺め、赤くなった目元を歪め、手にした薔薇の花をそっと棺に入れて、跪いて手を合わせた。


 おやおや、とアランは野次馬根性で顔をしかめた。あんな振り方をしておいて、この演技はないだろう。未だ曲りなりにも婚約者だから、ポーズだけはしておこうということなのだろうか。貴族というのはややこしいものだ、と、自分を棚に上げてアランは内心で唾を吐く。


 もう葬式もお開きになろうかという頃、一人の男が躊躇いながら教会に入ってきた。帽子を外した頭はところどころ薄くなった赤いブロンドで、体格の良い体を窮屈そうに丸め、彼は棺の前にやってきた。

 そして泣き出した。嗚咽を噛み殺して、何度も目元を拭い、震える手で棺に花を入れた。棺の前で跪き、大きな両手を固く組んで、今までの誰よりも必死に祈った。あまり長いこと祈るので、司祭が声をかけるほどだった。


 彼はラザフォード夫妻に目を合わせずに会釈して、それから静かに教会を出た。なんとなく気になって、アランも席を立った。教会を出たところで、堪えきれずに嗚咽している男と目が合ってしまった。


「貴方が、魔法使い様ですね」


 男の方が、経緯を知っている様子でそう声をかけてきた。黙って頷くアランに、男はああ、と首を振って嘆いた。


「恨みますまい、貴方のことは恨みますまい。あの子は死に値することをしたのでしょう。しかし、貴方にあの子の苦しみが分かりますか」


 かける言葉が見つからず、アランは閉口した。男は震える唇で何か言いかけ、ぎゅっと口を結んで、切れ長の瞳から溢れる涙をぐいと拭った。


「いいえ、恨み言は申しますまい。私が悪いのです……あの子を、男にさえ生んであげられれば」


 それだけ言って、男は会釈して立ち去った。


 アランは何も言えずにその背を見送り、知らぬ間に噛んでいた唇を緩めてため息をつき、スーツの襟元を正して通りに向かった。


 王宮までは歩いて30分もかからない。馬車を拾うでもなく黙々と歩きながら、アランは考えた。


 自分は確かに人を殺したのだ。たぶん、運命の濁流の中で必死にもがいていただけのいたいけな娘を──そのなけなしの在り方を。


 *


 王宮付き魔法使いの下っ端の住処は、主に王宮の三階である。二階までの華やかな世界と違い、三階は使用人たちがぎゅうぎゅう詰めで暮らしている、影のような場所だ。


 王宮に戻ったアランは、小雨に濡れた喪服を自室の椅子の背にかけ、いつもの軍服に着替えた。今日片付けなければならない種々の雑用を思い出しながら二階に下り、ふと思い立って、例の箱庭が収められている古典趣味な部屋に向かう。


 鉄の枠に手をついて、薄い紫のガラスに覆われた水の都を見下ろす。

 フェリシア・ラザフォードがこの中に入ってから一週間だ。王宮の中で攻撃魔法を放った人間の末路としては、かなり優遇された方ではある。──それにしても、血も涙もないようなあのラザフォードの家で過ごして、婚約者からあんな不憫な振られ方をして、情状酌量の余地はやはりあったのではないかと感じてしまう。


 廊下を早歩きで近づいてくる足音に顔を上げると、思いがけず顔を出したのは金髪に紫の瞳の凛々しい青年、アランが仕える人物であるサミュエル王子殿下だった。王族らしい上等なシャツだが普段着で、いやに嬉しそうな表情をしていた。


「殿下、今日は学校に行かれる日では……」

「もう終わった、俺はしばらく箱庭で遊ぶ」

「明日からと仰っていませんでしたか?」

「もう終わったからいいんだ、俺に指図するな」


 サミュエル王子殿下は部屋の隅のカーテンに颯爽と飛び込み、勢いよく閉じられたカーテンの向こうですぐに紫の光が溢れた。ため息をついて、アランは青いカウチに座った。あの娘がさらに不憫なことには、王子殿下のくだらない遊びに付き合わされるなんて。


 少しして、カーテンの内側が再び光った。ぼんくらが早速帰ってきたかと期待したが、姿を現したのは灰色猫のカルロだった。猫の姿のままで、彼はアランの膝の上に飛び乗った。


「アラン、サムは一体どうしたんだ? ルカをデートに誘うとかって張り切って来たのとすれ違ったが」

「カルロ、あのお坊ちゃんの考えは俺にも全然分からないよ。本当に……馬鹿だなあ」


 気の利いた皮肉もなくげんなりして言うアランを見上げ、カルロは首を傾げた。


「あいつが馬鹿なのは今に始まったことじゃないだろ。それよりも、アラン。あの子を連れ戻すという考えはどうだ、採用する気になったか」

「……それはできない」

「どうしてだ。あの子はどんどん成長しているぞ、一週間で、もうサムを追い越したかもしれないぞ。放っておく意味がないと言ったはずだ」

「フェリシア・ラザフォードは死んだんだ。今朝、葬式に出てきたよ」


 愛らしく開きかけた口を閉じて、カルロは金色の目を細めた。


「なんだって?」

「ラザフォードが慌てて葬式を開いたんだ。カルロ、彼女の居場所はもうここにはない。可哀そうだけど、連れ出すことはできない。ルカとして、この中で楽しく暮らしてもらうしかない」


 男にさえ生んであげられれば、と嘆いた男の姿を思い出しながら、アランは沈んだ顔で言った。カルロはしばらくアランを睨んでいたが、ふん、と鼻を鳴らしてアランの膝から飛び降りた。


「分かったよ、僕は勝手にする。これだから人間は信用ならない」


 再びカーテンの内側にするりと入って、カルロは箱庭の中へ戻っていった。今日何度目か分からない深々としたため息をついて、アランは立って、部屋を出た。

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