第8話 箱庭の外側で
王宮の中庭を見下ろす古典趣味な部屋で、隅を丸く囲む黒いカーテンの内側が紫色の光を放つのを、青いカウチに座るくすんだ金髪の男がちらりと見た。
光とともにカーテンがふわりと揺れる。光はすぐにおさまって、カーテンの隙間をかき分けて出てきたのは美しい灰色の長毛の猫だった。灰色猫は金色の目で男を見上げ、飛び跳ねた。くるりと宙返りをしたかと思うと、猫の代わりに姿を現したのは、美しい銀髪の少年だった。
「相変わらず暇そうだね、アラン」
少年は男に話しかけながら、はす向かいのソファにどっかりと腰を下ろした。くすんだ金髪の男、アランは、青い目を細めて忌々しそうに眉根を寄せた。
「暇なもんか、下っ端は忙しいんだよ、カルロ! 今朝まで出張だったのに、今夜からまた王族方の鷹狩りのお供だ。誰かさんのご主人様は、鷹狩りの前に課題に付き合えなんて言い出すし」
「課題? あいつ課題なんてあったか?」
「聞いてないの? なんでも、一か月ほどバカンスを取る代わりに、課題をこなす約束をしたらしいよ。卒業も近いのにさ、悠長なお坊ちゃまなことだ」
カルロは上等なソファの上で王様みたいに足を組み、頬杖をついた。猫らしい愛嬌のある金色の目を、容姿にそぐわない大人びた仕草で愉快そうに歪める。
「一か月もか、随分ご執心なことだ」
「他人事みたいに言うけどね、カルロだって付き合わないといけないんだよ。ああ、最近急に不安定になってきたって騒いでるのに」
やれやれと首を振りながら、アランは、部屋の中央に陣取る大きなガラスの半球を見つめる。
大人が両手を広げたくらいの幅と奥行きがある鉄の枠に収められたそのひしゃげた半球の中は、ミニチュアのような小さな街があった。街の周りは水で満たされ、島のようになっている。西都のウンダータという都市を模したものであり、紛れもなく、今般王都で流行している少女小説『水の都のルカ』の舞台を再現したものでもある。
アランは立ち上がり、鉄の枠に手をついてその箱庭を見下ろす。彼が着ているのは紺色の軍服に黒いローブ、つまりは王宮付き魔法使いの普段着である。
「人間の男の考えることは分からんな。そんなにむきになってどうするんだ」
「一緒にしないでくれ、あのお坊ちゃんの考えなんて俺にも分からないよ。それはそうと、カルロ。何か情報があって来たんだろ」
ミニチュアの街には人影は見えない。よく見れば、街を覆うガラスの半球は、表面に薄紫の模様があって、模様は絶えずぐにゃぐにゃと動いている。カルロもまたそのミニチュアを見つめながら、嬉しそうに口の端を上げて笑った。
「話はそれだよ、アラン。端的に言おう。あの子は今すぐ連れ出した方がいい」
「……というと?」
アランは疑い深い顔でカルロを振り返った。王様みたいに足を組み替えて、カルロは続けた。
「あれはなかなかない逸材だ、あんな茶番を演じさせておくのはもったいない。今すぐにでも連れ出して、然るべき教育と、働く場所を与えた方がいい。放っておくのは王都の損失だとすら言えるぞ」
アランが顔をしかめたままで体ごと振り返ったとき、廊下をかつかつと足早に歩いてくる足音がした。ほどなく部屋に顔を出したのは、金色の髪、紫の瞳、すらりと美しい背格好の凛々しい顔立ちの青年だった。
「アラン、ここにいたのか! カルロは一体何してる、あいつを見張っておけと言っただろう」
青年は眉根を寄せてせかせかと言うが、カルロはふんと高慢に鼻を鳴らしただけだった。肩をいからせて歩み寄る青年に、少年の姿のカルロはちっとも動じない。
「この難儀なお坊ちゃんより、魔法の腕はずっと上だぞ」
「何の話だ? 面と向かって主人をけなすとは、相変わらずいい根性をしているな」
青年はカルロの椅子の背に腕を置き、じろりをカルロを睨みつけた。アランがため息をつき、
「カルロ、君のことを信用してないわけじゃないけど、君の評価は気まぐれだ。確かに難儀なお坊ちゃんだが、サミュエル王子殿下よりも上だなんて、リリアテラの首席だと言っているようなものだよ」
この国で最も由緒正しい魔法学校の名を挙げるので、紫の瞳の青年は──サミュエル王子殿下は気をよくしたのか、胸を張ってカルロを見下ろした。
カルロは悠然と殿下を見上げ、
「彼女は転移魔法を成功させたぞ」
アランとサミュエルが同時に眉を跳ね上げるのを見て愉快そうに笑った。
「本で学んで、たった一日でだ。コイン一枚を一メートル飛ばしただけだが……アラン、あんな天才はそうそういない。野放しにしておくのはあまりに惜しい」
「何かの見間違いじゃないのか? だいたい、材料も何もないだろう」
「フォシュトケリの鱗が材料だ。市場で見繕ったようだぞ」
「……杖もなしに?」
「杖もなしにだ。天才としか言いようがない」
サミュエルとアランは顔を見合わせた。しばらく黙ったのち、サミュエルはふんと鼻を鳴らして、カルロをぎろりと睨んでから身を翻した。
「くだらない。だいたい、女がそんな魔法を使えるわけがない。見間違いか幻覚だろ……アラン、行くぞ! 猫はお嬢様の遊戯でも見にさっさと戻れ」
「言われなくたって戻るさ、殿下といるよりもよほどあの子のそばにいる方が面白いんだ」
「黙れ! 全く本当にしつけのなっていない猫だ」
黒いカーテンの内側にあっさり入るカルロを見送りもせず、サミュエル王子殿下はつかつかと部屋を出た。ため息をつきながら、アランがそれに続く。
「アランが連れてきた猫なんだから、アランがしっかりしつけをしろよ!」
「彼は殿下の使い魔ですよ」
姿勢よく階段を降りて馬付き場に向かう王子殿下の後ろを歩いて適当な返事をしながら、アランは先日の、当のラザフォード家での会話を思い出して顔を曇らせていた。
フェリシア・ラザフォードをあの箱庭に飛ばしたのは、紛れもなく自分である。王宮の中で攻撃魔法を放つ人物には然るべき対処が必要だ。しかし貴族の令嬢に対してそのような対処をした例はほとんどない。攻撃魔法を放つ令嬢なんて、普通はどこにもいないからだ。
ゆえに対応を迷った。男だったら殺していたかもしれないが、女性を殺すのは躊躇われ、咄嗟に、ちょうど空きのあったこの箱庭に飛ばした。
貴族相手に説明しないわけにはいかないとラザフォード家に出向いたが、出迎えた父母の対応には、さすがに閉口してしまった。
──フェリシアは死んだのですね。王宮の皆々様に被害がなくて、本当に良かった。
こちらが説明するより前に、父であるラザフォード氏は沈痛な声でそう言った。王宮の建物にも、と念押しのように言われ、アランは頷くしかなかった。彼女の魔法はさしあたり凍らせただけで、氷を解いたら大した損傷もなかった。
──娘がしでかしたことについては、我々はいかような罰でも受けましょう。しかしあれは元はと言えば商人の娘、我々の教育がなっていなかったことには間違いありませんが、生まれの卑しさがさせたことかも。
ラザフォード氏の言い訳がましい言葉に夫人もこくこくと何度も頷いた。謝罪の形をした責任逃れの言葉は、こちらが黙っていれば延々と続いた。ついぞ一滴の涙も流さない二人の様子にアランはとうとう耐えきれなくなり、
──結構です、もう結構。
30分以上経ったところで、首を振りながらそう言った。婚約者の振舞いといい、あの娘が不憫でならない気持ちになった。
死をもって償ったという体裁が必要らしく、早々に葬式の準備をするという話を聞いて邸宅を出た。遺体もないのに? 魔法使いの業で消し飛んだということにして、そこは問題ないらしい。
カルロが言うことが本当ならば、確かに見過ごすことはできない。しかし葬式などされてしまっては、もはや箱庭から出すに出せない。全く別の環境を用意して、孤児としてでも受け入れるか……しかしそこまでする価値があるのか、確認する労力を割く必要があるのか。
「アラン! 何してる、早く行くぞ」
お気に入りの白馬に颯爽と跨ったサミュエル王子殿下から苛々と声をかけられ、アランはため息をついて、自分の馬に乗った。我がままな王子殿下の気まぐれな課題を手伝ってやるべく、王宮裏の深い森へと馬を走らせる。
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