お前の命ではないのか

「遅かったじゃない」

「ちょっと、ひと悶着あってね」

 先に行った割に、美玖と聰明は液槽の底で待っていた。

 本来は原油の収蔵を果たすのであろう液槽の中には何も溜められておらず、金属の壁で囲まれただけの空間が広がる。明かりは当然のことながら存在しない。頭上の飛び降りてきたばかりの穴が唯一の光源となるが、それでは到底頼りない。前後左右、天地、奥行き。方向どころか空間把握さえも困難な状況において、聰明は「こちらだ」と静かに断りを入れると、軽快な足取りで歩き出した。彼の目にはこの暗闇が真昼のように映っているのか、はたまた瞑目したままで歩けるほどに通い詰めてきたのか。されど、信仰者を謳う狂信者はにべもなく答えるだろう。神の前では、暗がりなど何の障害にもなり得ないと。

「諸君は、神とはどのようなものだと定義するかね? 全知全能、万物の創始者、信仰の対象と表してもよい。諸君が抱く『神』とは如何様なものか。別に答える必要はない。神についていくら問答を重ねたところで、小生と諸君が等しい境地に至れるはずもなく、そのようなことが簡単に成し遂げられてしまうほど信仰とは軽くない。ただ、諸君の胸中でのみ自問し、自答してくれたまえ。神とは如何様にして、神になり得たのか」

 弄舌を重ねながら聰明は暗がりの奥へ向かう。彼が神域と称したこの場所には、神を祀るための祭壇もなければ、信仰の寄る辺となる偶像も存在しない。ここは船の一角に過ぎなかった。分厚い鋼に囲まれた、無骨なまでにヒトの手で作られた空間だ。

「小生にとっての神とは、すなわち奉献を受ける者だ。それは創造される者だ。神話の神々はすでに翼を休めておられる。現在の世界を統治なされる神とは、人間こそを起源とする偽物フェイクだ。されど、偽譚ぎたんも信仰を受ければ真実となる。信仰によって、狂信によって、人間によって神へと召し上げられる。初めに神があったわけではない。小生があって神があり、神がその存在を確立されたときに因果関係は逆転した。神の御業の前に、小生があるようになった」

「つまり、あなたは神を否定するの?」

「事実から目を背けてはならない。小生の神は創造物であり、想像物である。これは覆しようのない事実だ。されど、すでに神が小生を支配していることも、変わらぬ事実だ」

 独り相撲――秋槻聰明の信仰は『ごっこ遊び』に等しい。誰にだって憶えのあることだろう。幼い頃、自分の隣には『想像された友人イマジナリィフレンド』が存在した。その友人を忘れることは疎か、捨てることもなく、離れることもなく、隣人という枠組みから神にまで昇華させた。

 それが、秋槻聰明という人間であり、怪異だ。

「小生は今でも神を創造することに全霊を捧げている。その結果が、これだ」

 あたかも不可視の境界線が引かれていたかのように、その一歩を踏み出した瞬間、無機質な金属の部屋は豹変した。光、臭い、音。五感に訴える情報は瞬く間に膨れ上がり、美玖の背筋をぞわぞわと掻き撫でる。暗闇は陽の光さえもかすむほどの白光に押しやられ、鮮烈なまでの血の香り、肉が腐敗したような汚臭が鼻を穿つ。

 そこには、巨大な肉塊が存在していた。

 変哲のない船の一角を異質なものへと歪める原因物、それこそこの場所、この空間を疑似的な神域へと押し上げてしまうほどの《人間離れした生物》が脈動を刻んでいた。

「見テクレタカネ? 小生ノ、姿ヲ」

 ギチ、ギチ、ギリと歪な挙動で、先頭に立った聰明の首が回る。それを今まで人間だと認識していたことが不思議に思えるほど、振り返った聰明の貌は、人間から乖離していた。

 眼球は白濁したガラス玉、顔面は起伏のない一枚の板、艶やかさのあった銀髪はセラミックの糸。そこに存在するのは、ただの人形でしかなかった。

 人形の向こう、異形の生物に目を向ける。正直なところ、それを生物と呼んでいいのか、生物として認識してもよいのか推し量ることはできない。ただ、それが脈動していること。それを生物だと見做せる理由はそれだけで、そこに生物らしさは一切ない。

 人間の肉を無造作に抉り取り、断面どうしを無秩序に結合させることを何十、何百の人間で繰り返すことでできた物体。その生物の外見はそういうものだった。目玉が、口が、腕が、性器が、肋骨が、臓器がでたらめに本体となる肉塊にへばりついているだけだ。

 確かな鼓動音とともに肉塊は大きく膨らみ、その一部がパックリと裂け、どす黒い血を噴きこぼしながら縮んでいく。

「自分自身を――違う、数多の人間を怪異に喰わせたというの⁉」

「コレハ儀式だ。神ニ近付クために、人間を神ノ庇護下ニ住マワセルために、小生ハ蟲毒ノ創造ヲ命ジラレタ。蟲毒ヨリ生ジタ呪イは人間に憑依シ、人間ノ本性――怪異を心理ノ奥底からいざなウ。神ノ使徒となるタメに、神と同一化スルタメニ!」

 怪異を誘う。夢を通して人間を扇動し、心理の奥底から怪異を引きずり出す。怪異譚の伝染、怪異譚の蔓延を引き起こす。それが、秋槻聰明の語る《伝染》の真相だった。

「……訊いてもいいかしら。私達が《伝染》の根絶を目的としていることはあなたも理解しているはずよね。それなのに、どうしてこうも真実を明け透けと語るのかしら」

「神ハ試練を降サレル。小生ニソレヲ選別スルコトナドデキナイ。信仰ト、狂信と、全霊をモッテ神ノ正シサヲ証明スルダケダ」

 カタカタと板を張り合わせただけの口を動かして人形は答え、ふと言葉を濁らせた。

「ソレニ――……」

 カタ。カタカ、タ、カタタタ――タ。板が震え、打ち合わされる。

「マダ、マダマダマダ、足リナイ! 蟲毒を埋メルニハ、神を創造スルニハ、足リナイ! 圧倒的ニ! 絶望スルホドニ!」

 悶えるように両腕を広げて人形は叫び、折れ曲がるはずもない角度まで首を傾げると、そのガラス玉に美玖の肢体を収めた。小さく、華奢で、されど苛烈なまでの人間の姿を。

「生贄ガ! 供物が! 足リナイ!」

 がらんどうの喉から叫びを反響させ、人形の腕が無造作に持ち上げられた。正面から抱き着くような挙動で美玖に迫った人形は両腕を交差させ、腕の中に何も掴むことができず空回る。見失った矮躯を探そうとガラス玉が動かされ、次いで、人間であれば鼻梁にあたる箇所から、人形の顔面は撓んだ。

 人形に突き付けられた美玖の右手は、親指の腹に中指が引っかけられ、内側から溢れ出す膂力を溜め込んだ後に解放された。真知にしたことと同じ。悪事をはたらいた子供を諫めるような、罰ゲームじみた他愛のない行為は、込められた膂力に関して言えば、真知のときとは桁違いだった。人間を遥かに凌駕するように作り込まれた躰の性能の全てが、遠慮容赦なく、一切の手加減もなしに詰め込まれていたのだから。

 撓んでいった顔面を起点として人形の頭部は二つに割れ、それだけでは収まるはずもないエネルギーの余波は寄木作りの人形全体に伝播していき、ネジの一本に至るまでを粉々に破壊せしめた。カタカタ、タ。最後に震えた板が何を訴えようとしていたのかは、分からない。

「上等!」

 美玖の全身が沈み込んだ。屈折された脚はとてつもない反動とともに伸ばされ、彼女の体を聰明へと押し進めた。脱兎の如きその姿を、真知と無明は遠巻きに眺めるしかなかった。

「手伝わなくてもいいのか?」

「荒事は先輩の領分だからね。それに、対怪異は管轄外だ」

「結局は女頼りかよ。情けない野郎だな」

「技術は気合いなんかじゃ埋められないよ。だいたい、それを言ったら君もだろう」

「バーカ」

 肩を竦め、だんご鼻を少しだけ膨らませ、作り物の貌で無明は言った。

「俺のオリジナルが男だなんて、誰が決めたんだよ」

「……女だったのか?」

 ここ最近の中でも、一番のマヌケ面を披露してくれたことに気分をよくする。

「根源を知らない半端者にだってな、分かってることくらいはあるんだよ」

 無明の顔面がさざめく。変幻の波は肢体にまで及び、彼を『彼女』へと至らせる。

 フードには収まり切らないほどの髪が肩越しに溢れた。あたかも豹を思わせるような精悍な顔つきの女は、横目で真知を一瞥し、パンツのポケットからバンダナを取り出すと口元に巻き付けた。フードに印刷された髑髏の上半分と、バンダナに印刷された髑髏の下半分。

 まさしく彼女は《髑髏の貌》となり、

「アンタはそこで眺めてろ。俺は化けることしかできないが、その先で人間を超えられる」

 美玖に匹敵するほどの膂力をフルスロットルで振り絞り、聰明の元へ跳躍した。守ってもらうと言いながら、それに甘んじることは性に合わない。無明はそういう人種だった。


 様子を探るように聰明の周囲を駆ける美玖の隣に並び、手を振る。

「何をすればいい?」

「私が彼に触れるまで、あしらってくれればいいわ」

「了解」

 快活な返事とは裏腹に、無明が取った行動はあまりにも不気味なものだった。

 彼女はポケットからカッターナイフを取り出すと、わずかに錆びついた刃をギヂ、と押し出して自分の手首に当てた。一瞬だけ貌を強張らせることで恐怖心を垣間見せ、そんな感情はくだらないとでも吐き捨てるかのように、ナイフを横に滑らせた。

 肌を裂き、肉を裂き、動脈を裂いて――錆びついた刃は燃えるような痛みとともに無明の手首を切り開いた。反射的に握り締められた拳へと、手首から溢れ出した血が伝う。血潮はそのまま流れ落ち、床に触れたものから順に形を変え、水墨画が実体化したような体を持つ生物となった。それらは無明が流した血の分だけ増殖し、群れをなすと聰明に群がった。

 襲われていることを認識したのだろう。牡丹餅のような形をしていた聰明の姿が変貌する。それはあたかも蕾が開くかのように、肉塊は分かたれた。

 獰猛そうな口唇が裂けた生物が聰明へ飛びかかり、鞭打たれて飛散する。直後、血潮のカーテンを突き破り、美玖が聰明に到達した。

 怪異を殺す、怪異を崩落させる魔性の手が、聰明に触れる。誰もが聰明の敗北を予期した。それは呆気ないと思えるほどの終幕だったと、誰もが信じて疑わなかった。怪異を壊し、吸収する特異性を持った美玖が、聰明に呑み込まれる光景を目にするまでは。

「美玖!」

 鋼鉄の部屋に絶叫が響く。

 無明は初めて目撃した。和宮真知が一切の感情を取り繕うことなく、叫ぶ姿を。

 美玖の両足が、そこに意思を介在させない挙動で動く。手掌から始まって肘までを呑み込まれていた右腕は強制的に引き抜かれはしたものの、肘より先に正常な形は見て取れず、爛れた肉がわずかにこびりついた骨だけが残っていた。

「ありがとう。助かった、わ」

 駆け寄ってきた真知をおぼろげに見つめ、美玖はわずかに震えながら礼を言った。気丈に振舞おうとするその姿こそが、焦燥の体現であった。

「どうなってんだよ、アンタ、触れるだけで怪異を切り崩せるんじゃなかったのか?」

優先度プライオリティの問題よ、見誤ったわ」

 美玖は忌々しそうに舌打ちした。

「秋槻聰明の存在設定は『喰らう』こと。呪いだとか、人間を怪異に誘うとかは副産物に過ぎない。そうなれば、《等価交換》の副産物として『捕食』を武器とする私では太刀打ちできない。私が喰らう前に、優先度に従って返り討ちに会うだけ」

「……それじゃ、アイツには勝てないってことか?」

 狼狽える無明を、美玖は鼻で笑った。

「馬鹿言わないで。捕食できないくらいで負けるなら、怪異殺しなんて呼ばれてないわ」

 骨が剥き出しになった右腕に手をあてがうと、美玖は《等価交換》を発動させた。損傷を負った腕は根元からパキリと捥げ落ち、あたかもトカゲの尻尾が生え変わるかのように、新しい骨肉がずるり、と生じた。

「真知、お願いしてもいいかしら。もう空っぽなの」

「まったく、だから貯金しておくべきだと言ったのに」

 美玖の隣に腰を下ろすと、真知はシャツのボタンを外して首筋を露出させた。

「無明、今から先輩に食事をさせる。その間、あれを相手してもらっていいか」

 目で示された先にあるものは、聰明だった肉塊、蟲毒の怪異。八つに分かたれた肉塊は鞭打つように蠢き、その挙動こそ俊敏ではないものの、確実に彼我の距離を詰めつつあった。

 正直に言えば、逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。

 もとより無明は戦闘に向いていない。創意工夫で補っているだけで、化けるだけの怪異には、対怪異としての強みが欠けている。

(しかも、触れられないんじゃあ、太刀打ちできないだろ)

 逃げてしまいたい、と思うのは仕方のないことだろう。無明は仲間になったわけではない。へまをやらかしたために捕まり、自由を得るために協力しているだけだ。義理堅く最後まで付き合ってやる必要も、道理も存在しない。

 けれど、戦う手段を持たないという点では真知も同じだ。彼が逃げ出さないというのに、彼よりも力を持っている自分が先に背を向けるのは、わずかに癪なものがあった。

「あぁ、クソ。女は度胸だ!」

 両手で頬を叩き、カッターナイフを握り締めると聰明に対峙する。

「終わったら飯と寝床、あとシャワー!」

「どんと来い! 真知のご飯は最高よ!」

 まだ新しい傷口にカッターナイフを滑らせる。血管を新たに切り裂かれたことで、わずかに収まりを見せていた出血はぶり返した。強烈な血の匂いが振り撒かれ、変貌する。

 真っ赤な血潮、あるいは無明の命はゴウゴウと燃え滾る焔のように不定形の意思を獲得して聰明に群がった。陽動を主眼とするため、爪があるわけでも、牙があるわけでもない。周囲をちょこまかと跳ね回るだけの存在にさえ、聰明は過敏に反応した。八つに分かたれた血肉を暴れさせ、いっそのこと躍起になって無明の片割れを潰していく。

 一度圧殺された生物が再生することはない。触れられれば、聰明に呑み込まれる。分が悪いことには変わりない。少なくとも出血過多で気を失う前に『食事』とやらを済ませてくれと願いつつ、背後の美玖を見やり、無明は頬を熱くした。

 首筋を露出させた真知に正面から抱き着き、青白く膨らんだ血管へと、美玖は鋭く研ぎ澄まされた歯牙を沈めていた。その喉がゆったりと上下する。

 何かを飲んでいる。何かを口に含んでいる。

 その『何か』について心当たりがないほど、美玖のことを知らないわけではなかった。

 それはかつて吸血種と呼ばれた怪異のことであり、

 数多の民話に登場する高潔な不死者のことであり、

 その名をヴァンパイアと轟かせた鬼のことであり、

 されど、彼女はそのどれとも乖離する。

 血液を啜っていることは確かだが、血液を通して吸い取っているものは違う。

 それは純然たる怪異。

 怪異を喰らい、それを源に創造を行う、二次産物としての怪異の捕食者。

 それにしても、と無明は頬を赤らめた。この光景は心臓に悪い。怪異といえど曲がりなりにも人間の姿を留めている彼らだからこそ、あるいは異性間によるものだからこそ、美玖が喰らい、真知が捧げる姿はひどく艶やかで、煽情的に映る。

 見惚れるほどに、美しい。火傷してしまうほどに、熱を孕む。嚥下する度に赤みを帯びていく美玖の肌も、反して白皙に染まっていく真知の頬も、何もかもが高揚に拍車をかける。

 そっと眉根に皺を寄せ、無明は目を逸らした。

 捕食されるとはどのようなものなのだろう。自分が吸い出されていく時間に、失われていく過程に存在するのは恐怖だけなのか。言葉にできそうもない背徳的な快楽が息を潜めているようで、どこか、胸を鷲掴みにされた息苦しさを覚える。

 そんな経験に引力を感じてしまう一方で、生存本能に基づく理性が、そんなのは御免だと歯止めをかける。そう、そんなことに身を差し出せるようには、人間はできていない。

 そのはずなのに、どうして、真知はそんなにも簡単に魂を差し出してしまえるのか。考えたところで、答えに辿り着くことはない。ただひとつだけ明らかなことは、そこに渦巻くものが無償の愛などではなく、人間が賛歌する博愛などではなく、ひたすらに醜悪な依存であるということだった。

 カッターナイフを何度も切り付けた手首は元の姿を見て取れないほどに杜撰な形状となり、深く傷付けたのであろう血管からは留まることなく血が溢れ出す。無明の命が流失する。

 目がかすむ。唇はとうに色褪せて紫となり、無明の内側では警鐘が打ち鳴らされている。

 敵対者の衰弱を認めたためか、聰明に変化が訪れた。周囲に分かたれていた肉塊の中心部が盛り上がり、耳障りな引き攣り声とともに、人間の胸部より上の肉塊が現れる。耳朶から上は肉膜に覆われた能面であり、疎らに生えた銀髪が、挙動に合わせて振り乱される。

 あれこそが秋槻聰明の本体だったものだと察したが、攻め立てる手段はすでになかった。血潮は限界まで絞り尽くした。触れてはいけないのだから、彼女にできることはここまでだ。

「もう、充分か?」

 両腕をだらりと垂れ下げ、ポツリと降ってきた影につられて天井を仰ぐ。全身を弓形に反らし、随分と高いはずの天井すれすれを跳躍する少女を認める。

 重力のしがらみから解放されたかのように、軽やかな姿だった。

 美玖の体がぐるりと回転した。その手は細長い何かを掴んでおり、下方で蠢く聰明と相対した瞬間に投擲された。瞬きひとつさえも許さず、彼我の間隙を駆け抜ける。

 聰明の苦悶の叫びが上がり、衝撃で船が揺れた。体勢を崩した無明はよろめきながら、聰明からそそり立つ、神具とも呼べる壮麗な美しさに見惚れた。

 一振りのつるぎ

 世界そのものを内包せしめると言わんばかりに、注がれた光の全てを吸い込んで離さず、その刀身に如何様な光景も映さない剣が、聰明を串刺しとしていた。痛覚が存在するのか、全身を暴れさせて呻吟する聰明の上――剣の柄へと小さな影が降り立つ。

 もとより深々と突き刺さっていた刃はさらにめり込み、またもや船体を大きく揺さぶった。影は柄を蹴り付けることで跳躍し、去り際に剣を掴んだ。金属が裂ける甲高い音を響かせながら、聰明の傷が広がる。あまりにも鋭利な刃で斬られたためか、剣が抜かれてから数秒後に、ようやく流血が生じるような始末だ。

「あれは、何だ」無明が呻いた。

「あれが、怪異殺しの第二の武器、怪異による妖刀だ」

「怪異を切り裂く剣なんて、聞いたことないぞ」

「虎の子だからね。そうそう広められていても困る。詳しい出自は定かではないが、あれは人間を殺すために鍛えられた武器だった。人間を斬り捨てること、それだけが存在理由として与えられ、それを果たすためだけに使われた。人間の命を奪い続け、多くの血を吸った。当然の結果だ。怨念と怨嗟を纏い、妖刀と呼ばれる異物に成り果てたのは――」

「そこから先が、例外なんだろう?」

「察しがよくなってきたじゃないか」真知は剽軽に応えた。

「先輩がしたことは拡張領域を設けただけだが、あの妖刀にとってはそれで充分だった。素質は備わっていたんだ。人間を斬り続けた剣はヒトの感情にまで干渉するようになり、感情から派生する怪異にまで侵害領域を拡げた。ヒトを殺す刃と、怪異を殺す刃を兼ね備えた剣――それこそが《等価交換》によって産み落とされた妖刀だ」

「それにしちゃあ、腑に落ちない。妖刀を使うことと『食事』に何の関係があるんだ?」

「あぁ、それか」

 何でもないという風に、真知は剣を指差した。

「あれね、エンジン搭載型なんだ。動かすには燃料がいる。それこそが妖刀と呼ばれた所以なんだけど、あれは使い手の魂を喰らうんだ。珍しくもない話だろう? 妖刀の使い手が、殺戮と栄華の果てに相次いで命を落とすなんて」

「要は吸収した怪異を魂代わりに喰わせてるってことか。偽物で騙されながら使われているなんて、妖刀さまも気分を損ねるんじゃないか?」

「そうなれば用済みだよ。斬れない剣はただの棒切れだ。棍棒として使うのもありかもしれないが、そんな非効率に縋るくらいなら、もっと優秀なものを産み落とした方がいい」

「……お前ら、それこそ呪い殺されるんじゃないか」

「殺してみればいい、できるものならね。怪異は言わずもがな、果ては祟りから呪いに至るまで討伐するのが生業だ。だいたい、僕らは怪異討伐に命を賭けてはいるけど、捧げているわけじゃないからね」

 そして、眼窩に澱んだ影を落として、底冷えのする言葉で続けた。

「たとえ彼女が望んだとしても、そんなことは僕が許さない」

 真知の裏側に見え隠れする狂気を感じ取ったのか、喉まで上ってきた言葉を飲み下し、無明は事の推移を見守ることにした。自分達の前で戦う少女、その手に握られた剣へと注がれている怪異こそ、お前の命ではないのかと尋ねたくなるのを堪えながら。

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