黒ではなかった
美玖の戦い方は、子供の遊びのようなものだった。その道にわずかでも覚えがあれば、自分の熟練度などお構いなしに「戦術とは何たるか」を説きたくなるほどに無秩序であり、無駄な挙動で溢れていた。弓で矢を射るのではなく殴りかかるように物の扱い方も分かっておらず、それでいて、説教の全てを跳ねのけるが如く、純粋な強さに満ちていた。
人間離れした膂力で底上げされているだけとは説明しきれない。そこにあるのは、もっと別の何か。それを見極めようとして、無明はあまりのくだらなさに失笑した。
純粋に、強いだけだ。《等価交換》という怪異が、高田美玖という人間が殺戮に特化しているだけだ。そういう風に、定められている。
凡人が積み重ねた如何なる努力も、修練も、費やした情熱や時間も嘲笑うように、高田美玖は天賦の才を与えられている。誰にも劣ることのないように、設定を捻じ曲げられている。
(誰によって? 奴の言葉を借りるのは癪だが、そうだな、神だろうよ)
美玖にとっての神が誰であるのか、それは無明の知ったことではない。そんなことを探るつもりなんてこれっぽっちもない。ただ、美玖が聰明を凌駕していることだけが信頼できるものであり、信頼する価値のあるものであり、そこに絡んでいる思惑など彼女には関係ない。
(とはいえ、どんな奴かくらいは、明白だけどな)
無明は、和宮真知を視た。
他人の目を窺い続けてきた自分だから分かる。他人の目を晦ましてきた自分だから視える。その人間が何を視ているのか、その瞳に描かれる世界がどのように歪められているのか。
和宮真知が視ている世界は完璧だ。
一部の隙もないほどに整えられ、磨かれ、理想を突き詰めているばかりに歪だ。
彼は高田美玖の過去、現在、未来、その全てを視ている。高田美玖が歩んできた道、歩んでいる道、これから踏み出す道を俯瞰して、描いている。そこに一切の不安要素を孕ませずに、高田美玖に危害を及ぼす要素を徹底的に排除して。
美玖に如何なる逆境が訪れようとも、彼女自身が困難を感じようとも、そこには必ず突破口が用意されている。真知の諫言によって、甘言によって、美玖は知らず知らずのうちに用意させられる。換言すれば怪異の使途を、《等価交換》の運用を真知によって支配されている。
そのことに彼女は気付いていない。気付くことを、許されていない。
(始まりがどこかは知らねえが、随分と根深いな。怪異殺しに親でも殺されたか? だが、それにしちゃ、アイツの孕んでいる感情は恨みとか嫉みとか、そういう負の側面じゃなく、相手に危害を加えようっていう類じゃなく、そうだな、庇護欲を掻き立てられているというか、怪異殺しが間違った道に進まないように見張っている感じなんだよな)
もしかしたら筒井崕ゆり子の差し金か、と疑う。
そもそも怪異の天敵と人間の天敵がタッグを組んでいることが妙にわざとらしい。
普通は、反発するだろう。
純粋な怪異である真知は美玖を、人間を残している美玖は真知を忌避しなくてはおかしい。天敵とは生存を脅かす存在だ。好き好んで、すり寄っていくわけがない。
「無粋な詮索はよしなよ。それは今回の《噺》じゃない。次の《噺》だ。伏線は露骨に立てればよいというものでもない。ちょっとした矛盾点に収めておくくらいが、好ましいだろう?」
はたと挟まれた言葉に顔を上げ、あぁ、これは消されるな、と確信した。
いま抱いた思考は、次の瞬間には、きれいさっぱり消されている。それに無明は抗えない。そんなことを看過してくれるほど、和宮真知という怪異は寛容ではない。
それなら、何も考えずに今の噺を楽しむことにしよう。
どうせ、考えたところで消されるだけなのだ。
妖刀が振るわれるたび、聰明の肉は削ぎ落されていく。牡丹の花に似た肉袋はすっかり小さくなり、散らばった肉片の中心部が現れてくる。秋槻聰明の本体だった部分は狂ったように雄叫びを上げて美玖に立ち向かうが、いともたやすくあしらわれ、肉――聰明にとっての怪異の源泉――を奪われていく。触れることができないという怪異殺しに対してのアドバンテージは、妖刀によって覆された。
「怪異! 怪異! 小生ノ怪異が!」
銀髪を振り乱して聰明は暴れる。怪異の伝染を誘い、感染者を喰らい続けてきたことで蓄えてきたものが失われる。怪異として弱体化する。聰明はとっくに錯乱していた。ぐちゃぐちゃに入り乱れた思考の中で、自分が追い詰められていることを自覚していた。
怪異を奪わなければならない。これまでそうしてきたように、美玖を捕食して怪異譚を補強しなければならない。それなのに触れられない。一方的に切り刻まれ、蹂躙されるだけ。
彼女はダメだ、太刀打ちできないと悟った。そして、前を視た。美玖の背後を視た。
聰明は心から笑う。怪異を見つけた喜びから、自分が蹂躙できる相手を見つけたことから。それまでの緩慢な動きが嘘であったかのように聰明は跳躍した。躍りかかった。美玖を素通りして、彼女の背中に隠れた矮小な存在、真知と無明に向かって。
「待て!」
制止の声に従う理由などない。聰明は愉悦に浸りつつ、自分の設定を存分に振るった。
喰らう。喰らい尽くす。髪のひと房に至るまで、骨肉の断片に至るまで怪異を喰らい、
「貴様ノ怪異――小生に寄越せ!」
強くなる――!
全てが静寂に立ち返った。《思考螺旋》が聰明を射抜いたために。
真知は哄笑を浮かべ、全身の自由を奪われた聰明を見下ろした。
「ようやく視えた。お前はまだ人間性を残している。お前はまだ、純然な怪異には堕ちていない。そうなれば、僕の侵害対象だ」
《思考螺旋》の呪縛が聰明を雁字搦めにする。自由を剥奪された聰明は身動ぎひとつできず、断罪の鎌が落とされる瞬間を待つだけとなった。
「さあ、先輩。奴の怪異は僕が抑えた。だから、もう食べれるよ」
言葉の直後、聰明の胸に背後から穴が開けられた。怪異を壊す美玖の腕が突き立てられたのだ。ボロリ、と聰明の躰が欠け落ちる。煤のように変質した躰は靄となり、彼が抱える怪異譚の全ては美玖に呑み込まれていく。《等価交換》の糧に貶められていく。
怪異譚を剥ぎ取られ、搾りかすとなった聰明は頽れた。
「……へえ、こんなになっても、人間は生きていられるのか」
人間としての形が辛うじて残っているのは上半身だけだ。下肢は完全に肉袋と癒着してしまい、無明でさえ目を逸らしたくなるほどに醜怪だった。それでもまだ、息はある。
「これで、終わりか?」
「そうね。あとはゆり子に引き渡すだけ。事後処理は向こうでやってくれるから」
「俺はどうなる?」
「約束通りよ。私達に、あなたをどうこうするつもりはない。ただ、それがゆり子の考えと合致するかは分からないから、聰明の件が片付くまでは一緒にいてもらうけど」
「どうせ俺に拒否権はないしな。それに、まだ飯とシャワーが終わってない」
「そうだったね。とっておきの食事を御馳走するよ」
「それならみづほも呼ばないと!」
殺し合いをしていたとは思えないほどに和気藹々としながら、聰明の神域を後にした。聰明が自力で動くことはない。ゆり子の部下が到着するまでに逃げられるはずもなく、それまでに死なないかだけが気がかりだったが、それはそれ、助けてやる義理はない。
斯くして聰明を打破したことで《伝染》は収束した――……はずだった。
「悪い報せです。新たに五十人が、怪異に喰われました」
筒井崕ゆり子は言う。秋槻聰明は、黒ではなかった、と。
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