妹の思い
地面に滴り落ちた血は意思を持ったかのように蠢いた。
ボコボコとどす黒い血の波が、侵食するかの如く魔法陣を埋め尽くす。
特に光るような演出も無く、魔法陣と一緒に地面に染み込み消えて行く。
【紅血 無地】は呪術ではない。吸血鬼が持っている妖術のひとつだ。
その効果は掛けられたバフを消すだけ。
まるで絵を血で洗い流すかのように。最後に残るものは何もない。
吸血鬼だけあり、おれの傷口ももう綺麗さっぱり塞がれていた。
これで完全に終わったな。
とりあえずシグレさんを外に連れ出そう。
シグレさんはおれを見るや否や、飛び起きていきなり矢を番えて来た。
「ひっ! 違います! 今は味方ですって!」
「……失礼致しました!」
導き手からすれば敵に……見えるな、うん。
そりゃ呪術っていう、神聖術とは全く逆の立ち位置にいるからな。
多分気配が違うんだと思う。
おれは現在の状況を説明する。
シグレさんは「なるほど」とだけ呟くと、地面に転がるハルピュイアをおれの知らない神聖術にて浄化していた。
「この際、呪いで汚染したのを咎める気はありません。魔法陣に関しては感謝します」
シグレさんはそう言うと、ハルピュイアを俵のように肩に背負った。
おれに視線を合わせると、「行きますよ」とだけ声を掛けてきた。
夜はまだ明けない。
おれにとっては長くとも、全体で見ればそうじゃない。
恐らくはここでの出来事を、導き手やテルミは以外知る由は無いのだろう。
それでいいとおれは頷いた。
変に名声とか作ったら、それこそ妹に迷惑がかかる。
シグレさんの言う通り帰るか。
妹も待っている。
* * *
クロステイルの城、エクスオラシオンの下にある牢獄。
聖国の光すら差し込まない地下の地下。
国に多大な損害を与えた者はそこに投獄されるという。
あのハルピュイアはそこに入れられるそうだ。
なぜこのようなことをしたのか情報を吐かせたのち、釈放するかどうか決めるのだとか。
けどそこはおれの管轄じゃない。
後は成り行きに任せる。
テルミの待つ転移陣の部屋。
ヤーティと妹は既に終わらせていたようだ。
最後に到着した後、おれとシグレさんは今回の出来事のあらましを報告していた。
ハルピュイアとの戦いも含めて。
テルミは時折頷いたり、驚いてみせたり、感心してみたり、何とも楽しんでいる感を出していた。
「へー、バリキチってば呪いを使ったんだ」
「悪いか」
「いやいや別に別に。シグレン付けてたから」
テルミがおもっきしニヤケ笑みをしているのはなぜだ?
まったく分からない。
むしろ怒れよ。
聖国としての立場を全うしろよ。
呪いを肯定するなよ。
「なぁ妹よ」
「……」
手を振って呼び掛けてみるも完全無視。
さっきからこの調子だ。
それだけ呼び掛けても、妹が反応してくれない。
おれが呪いを使ったから?
それとも気づかない間に何かをしてしまったのか?
そんなおれの様子を見てほくそ笑んでいるヤーティにイラっと来る。
結局、あの部屋にいる最中一度も妹は口を聞いてくれなかった。
城の個室に通される間も、二人で導き手たちの仕事を待っている現時点でも終始無言だ。
これだと気まずいというより、異世界に来る前の関係そのままじゃないか。
おれは何をした。
知らない間に何をした。
こうも鉛筆の破裂音が聞こえるだけなのは正直辛いッ!
「ごめん妹!」
おれは両手を合わせて、妹に頭を下げていた。
「魔法陣を消したの謝るから!」
おれは霊脈の魔法陣を消してしまった。
だから今、聖国に備え付けられている魔法具はどれも起動しない状態になっている。
暗視持っているせいで気づけなかったけど、この部屋も明かりがついていない。
外からテルミとシグレさんが民をパニックにならないよう呼びかけている声が聞こえてくる。
妹の顔は見えない。
けれど「ふぅ」と息を吐いたような気がした。
「ごめん」
妹もはっきりと頭を下げてきた。
妹に謝られる意味が分からなくて、おれはゆっくりと顔を上げた。
「私も少しアンタを疑ってた! やってんなぁとか思ってた! だから」
「えっ……、まぁそこは日ごろの行いが行いだし。自業自得だし」
……それだけ?
そこそんなに悩むこと?
まだあると言いたげに妹は大声で吐露した。
「それから、正直兄とか言っててキモとか思ってた」
「うん、知ってた。だって妹、おれ呼ぶとき毎回【アンタ】だったじゃん」
多分シグレさんどころかテルミも気づいていたよな。
一度も兄を指す言葉で呼ばれていなかったんだけど。
流石に気付くわこんなん。おれもそこまで鈍感じゃない。
「あとアンタのゲームキャラを少し性的に見てた」
「それはお兄ちゃんちょっと知りたくなかったかな」
うん、それ告白されて妹とどう接すればいいか分からなくなるし。
けどきっと、これが妹の悩んで悩みぬいたことだったのかもしれない。
妹の握り拳がフルフルと震えていた。
ならさ、おれは妹の隣に来る。
見上げれば、おれよりも随分と大きくなった妹がいた。
普段知っている姿じゃなく、導き手として民を守ろうとしている妹が。
「妹が苦しんでいる姿を見て、何も思わない兄はいない。六魔王と恐れられたおれに何ができるかは分からないけど。それでも妹を守るよ」
妹はおれの顔をじっと見つめていた。
それから妹は自分の手のひらと見比べていた。
口の中に少しの苦みが広がっていく。
何かが駆けてくるような音が聞こえてきて、
「一度でいいから抱きしめて見ても——」
「いるか、サクヤ!」
ヤーティの声と共に扉をノックする音が聞こえてきた。
……あいつ。お約束をしなきゃ気が済まないのか。
少し待てって――おれの首に腕が回された。
銀色の髪が空気をすり抜けふんわりと後を追う。妹は強くおれを抱き締めていた。
「ごめん無理」
……そっか。
まぁ、そうだよな。
簡単に信用させられるようなことはしていないからな。
仕方ない。
国破壊43回はやりすぎた。
魂を冒涜する呪術を扱う、それだけで信用なんて無いに等しいか。
吐息がかかるほどの距離まで、妹はおれの耳に口を近づけてきた。
それからゆっくり静かに囁いてくる。
「でもあんがと。あにぃ」
なっ!
妹はおれから離れ、玄関の扉を開けていた。それから妹は振り返った。初めて会った時とは違う、ほんのりと優しさが混じった笑みで。
どこか憑き物が落ちたかのような、晴れ晴れとした顔で手を差し出した。
「ほらっ、行くよ。あにぃ!」
……逆にやられると取りづらいな。
妹の気持ちが若干分かったかもしれない。
おれもひとつ笑みを溢す。
そして妹の傍に走り寄った。
……気のせいかヤーティへの恨み言が聞こえるような気がするのを無視して。
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