バリルの身体

「貴様など本物の厄災からは程遠い! 身の程を知り後悔しろ!」


脚部に風を纏った渾身の蹴り。

まるで一直線に大地を目指す流星のように迫りくる。

まただ。また揺れる!

体は動くのに、脳ができないと訴えかけてくる!

多分これが、シグレさんの言う身体に馴染んでいない証拠!


「やはりその程度か」


回避したはずが、流星の余波に巻き込まれ、おれはさらに地面をゴロゴロと転がった。

感覚的に数秒遅れて、砂埃と風音のカーテンが後を追って吹き荒れる。

……床が深く抉れてる。

一直線に地面へ激突したのに、ハルピュイアは何事も無かったかのように足の埃を払っていた。


「逃げるだけか」


降り注ぐ羽根は正しく豪雨!

けどバリルの身体なら!

バリルの、身体なら!

ってそうじゃないだろ!

おれの意識が変わらない限り!

おれはいつまで経っても自分の身体に馴染むことはないんだ!

今のおれならいけるッ!

何千もの歴戦を潜り抜けてきたバリルになったおれだからこそ!

この攻撃は絶対に躱せる!

非常識な身体能力。

それを常識の中で育った脳が阻害する。

もういい!

脳を無視しろ!

今は身体を信じろっ!

おれなら――すべて躱してみせる!


いつまで続くか分からない羽根の嵐。

ビュンビュンと羽根が通り過ぎて行く中で、おれはあの時と同じ不思議な感覚を味わっていた。

――羽根が止まって見える。

けどもっと、もっと力を引き出せるはずだ!

嵐の音が治まる中、おれは無傷でその場に立っていた。


「この程度の技で……気でも狂ったのか」


うるさいな。

これは勝つために必要なことなんだよ。

おれは今、自分の胸に手を伸ばし揉んでいた。

……うん、ほぼほぼ壁だな。

微妙に柔らかいのを除けば。

分かってはいたけど。

というかそのように設定したのはおれだけど。

もう少し大きくすればよかったかもしれない。

次に太もも、手首、腹に頬、それから髪と触っていく。

下半身は……そこはまだちょっといいかな、うん。

どこを触っても餅のようにプニプニだ。

そして大理石のように滑らかだ。

肌を伝う感触と手で触る感触も二つ同時にやってくる。

この世界に来る前の男の身体じゃない。

れっきとした少女の身体。

細々とした少女の。

バリルはおれだ。

おれはもうバリルなんだ。

触ってみたことで改めて実感できた。


「もう大丈夫だ。来いよ」


おれは挑発も込めて指を動かした。

そもそも焦るなんて、バリルのキャラじゃなかったな。


「貴様! バカに――」


ハルピュイアが苦しそうに心臓を抑えこんだ。

嗚咽を混じらせて、敵意全開の瞳でおれを睨みつけてくる。


「何をしたッ!」

「別に、ちょっと呪いを掛けただけだ。マナと体力の最大値及びマナと体力を徐々に減少する呪い。それから身体が腐る奴と筋肉が衰えていく呪い」


いちいち名前を付けるのが面倒くさいから、つけていないんだけどな。

面白そうな名前とか無いし。

あっ、【黄泉よもつ腐敗へくさ】とか良いんじゃね?

ハルピュイアが忌々しそうに吐き捨てる。


「聖国がッ! 呪いに手を染めたというのか!」

「染めているのはおれだけだよ」


遂には咳を仕出し、口を手で覆うハルピュイア。

手にべったりとついた血に、目を見開いていた。

おれは畳みかけるように口にする。


「それよりどうした。妙に苦しそうじゃないか? 大丈夫か? すぐ近くには聖国があるし、診て貰ったらどうだ? とある魔族のせいでそれどころじゃないんだけどな!」


シグレさんは確かに地形に影響を及ぼす呪いを使ってはダメだって言っていた。

だけど人体に影響を及ぼす呪いを使っちゃダメだとは一言も言っていない。


「貴様ッ! 貴様ァァ!」


暴風が轟雷のように鳴り渡る。

それは怒りか、それとも一矢報いるためか。

空間すら巻き込むほどの風が、ハルピュイアの足へと集束していく。


「早々に終わらせるッ!」


ハルピュイアは一歩踏み込んだ。

輪のように広がる空気の波状が、おれの内臓を揺らすほどの衝撃を与えてくる。

それはハルピュイアの中では一番の踏み込みだったのだろう。

火山がマグマをふきだすかの如く土がめくれ上がった。

おれの懐に入り込んだハルピュイアは、完全に風と一体化していた。

ハルピュイアの口から血が噴き出す。

呪いの影響がかなり強く出ているのだろう。

それでもお構いなしに蹴り上げるハルピュイア。

おれは意地のような物を感じて、指に挟んだ呪符を手放していた。


「遅すぎるぞ、お前」


風は小さな壁にぶつかった。

さりとて壁は、風を霧散させるほど強固だった。

パァァァーーーンッ! と弾けた音が広がった。

破裂した空気は何重にも膨れ上がり、備え付けられたランタンをガコンガコンと乱暴に揺らし続けた。


「……ァ」


ハルピュイアは声にならない声を漏らしていた。

口を半開きにして、目の前で起こった光景を信じられないのか目を見開いていた。

ハルピュイアにとっての足による渾身の一撃。

その一撃を、おれは片手で受け止めていた。

もうさっきの一撃を放つ気力はミリも残っていないのだろう。

糸が切れた人形のように全身から力が抜け落ちていた。

死んではいない。

死んではいないけどどうするか。


「魔法陣」


外に流れるマナを吸引する魔法陣。

聖国の生活を支えているだけあって、かなり大掛かりな魔法陣だ。

一か月やちょっとで作れる代物でじゃない。

かといってこのまま残しておけば、魔族以外のマナを永久に吸引する。


「ここにある方が被害大きいよな」


おれは近く落ちているハルピュイアの羽根を持つ。

奥歯を噛み締め、覚悟を決めて自分の手のひらに突き刺した。

痛い。

痛い、痛い、痛い!

自分でやるとここまで痛覚が違う!

ヌルッと溢れる血が気持ち悪い。

手のひらの中にある異物感が気持ち悪いッ!

刺さった羽根を力のままに抜き取った!

迸る鮮血。

異物感は無くなった代わりに、手のひらが燃える様に熱い!

血の垂れる手のひらを強く握る。

おれは妖術を使うために、霊脈の魔法陣に落としていく。


「かき消せ。【紅血 こうけつ 無地むじ】」

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