目覚め

最終話 十字架を背負う男

都市の湾岸の中央に浮かぶ、生ごみの埋め立て地。海鳥たちがその中から餌を探してつつきまわっている。そのうちの一匹がお目当てのものを見つけたらしく、それを長いくちばしで拾い上げようとする。すると、他の鳥がやってきて同じくそれをくちばしでつかんだ。鳥たちはそれを奪い合った。そして、どちらも一歩も引かぬ膠着状態になったその時、生ごみの下から突然手がにゅっと出てきてそれをがっちりと掴んだ。鳥たちは驚いてバタバタと逃げてしまった。


それをつかんだ手はさらに地中から伸びていく。腕が、肘が、そして肩まで出かかったとき、その腕の持ち主はようやく外へと這い出すことが出来た。・・・クロハだ。


「・・・っ、あぁ・・・ここは・・・どこだ・・・うっ、ひっでえ匂いだ・・・」


この悪臭漂うごみの埋め立て地で、先ほどまで自分は埋められていたのだと思うと思わず寒気がする。クロハは左手でつかんだフラッシュ・コンバーターを大事そうに胸ポケットにしまい込むと、埋め立て地と海の境界線までとぼとぼ歩き、そしてドボン、と飛び込んだ。お世辞にも綺麗とは言えないが、生ごみの中にいるよりはよっぽどマシだった。


湾内に接続するひときわ大きな運河沿いに整備された大きな公園。憩いの場所として整備されたこのには緊急時の時に船舶が寄港できるように桟橋が置かれている。クロハはそこまで泳いぎ、びっしりと貝がへばりついたタイヤを足掛かりにして桟橋へと這い上がった。

大分悪臭は緩和された。クロハは桟橋から河川敷を陸地の方へとよろよろと歩いていく。そして、近くにあった木のベンチを目ざとく見つけて、右側にどっかりと腰を下ろして背もたれにもたれかかり、深く、深く息を吐いた。


「はあああーーっ・・・」


周りには人が大勢いる。しかし、自分のことなど目もくれない。当然だ、もうこの星に、人間の真似事をする人形は数多くいれども、”人間”は自分や”奴”を含めてもう一人もいないのだから・・・そしてその元凶を作った奴は、今もどこかで自分を監視しているのだ。とうとう我慢できずに、大声を張り上げた。


「いるんだろう!!出てきやがれ!!」

「・・・そんなに大声出さなくても、僕はここにいるよ。」


奴は音もなく現れた。さもずっと前からベンチの左側に座っていたとでも言わんばかりに自然にクロハの隣に座っている。


「記憶の旅は楽しかったかい?意識の浸食を自分の記憶ごと打ち消してでも止めるなんて流石は特異点だね。」

「俺が記憶を失っている間に、てめえはいくらでも手を出せたはずだ。・・・なぜ今の今まで手を出そうとしなかった?」

「ん~、空っぽな君よりも、クロハと言う人格を持った君を倒す方が、僕としてはやりがいがあるから、かな。」


旧支配者が微笑みながら出した性格の悪すぎる返答に、クロハは辟易し、舌打ちした。


「嫌味な野郎だ・・・」

「ありがとう。そういってもらえてとても嬉しいよ。」


旧支配者は立ち上がると、クロハの目の前に立った。笑みが崩れないところが逆に不気味だ。


「じゃあ、もうそろそろ、いいかな。君を取り込んでも。」

「・・・」

「君も記憶の旅を振り返って分かったろう?その力は君を不幸にする一方だ。もう悲しい思いをするくらいなら、いっそ手放したほうがいいと思うけどな。」

「・・・」


クロハは無視して立ち上がり、旧支配者に背を向けてその場を離れようとした。だが、奴はやはり音もなくクロハの前に立ちふさがった。


「フフフ・・・逃げられないし、逃がさないよ。もうこの国の・・・いや、この星、この第7世界線そのものすべてが僕の支配下にあるんだ。どうあがいても僕の目から、耳から、手から、足から逃げられないのに、どこへ行こうというんだい?」

「・・・俺の・・・」

「?」

「俺の力は、確かに誰かを不幸にすることもあった・・・だが。」


クロハはうつむいていた顔をもたげた。そのまなざしはまっすぐ目の前の旧支配者を見つめている。


「この力で何人もの人を幸せにできたのも事実だ。そしてまだこの宇宙には、俺の力を必要としている者がそれこそ星の数ほどいる・・・だから俺は、生き延びて、その人たちを救わねばならないんだ!」


”一人を死なせたらその倍の人数を救いなさい”ライティアがクロハに与えた言葉が頭によぎった。


「目の前に一番その力を欲しがっている人がいるんだけどな・・・」

「わたすもんか、この力を、この十字架を。俺の贖罪はまだ終わってないんだ、絶対に渡さねえ。それが俺の答えだ!」

「・・・ふうん、そうか、そうなんだ。」


旧支配者の顔から笑顔が消えた。同時に、彼の体の周りにどす黒い”悪意”の力がにじみ出るように発生し、段々と強くなっていく。だが、それとは対照的にクロハの口角はむしろ上がった。


「せっかく今の今まで手を出さずにおいてあげたのに・・・一時は君の手足をもいで、目と耳を潰し、僕無しじゃ生きられない芋虫のようにしてやろうかと思ったけど、やっぱりそうするべきだったか・・・」

「いいねえ、芋虫。芋虫はだいたい名のある虫の幼体なんだ、幼虫はいずれ蛹になり、蛹はやがて蝶になる。あ、でも蝶になったらむしろ身軽になっちゃうぜ?いいのか、それで?」

「その減らず口も追加で潰しておこうか、特異点!!」


さらに旧支配者の悪意が増していく。しかし彼はもう恐れなかった。


「じゃ、俺は一足お先にちょうちょになっておいとまさせていただくよ。」

「逃げられると・・・思うなよぉ!!」


彼の悪意を含んだ号令が合図となって、二人を気にも留めずにただ役割をこなしていた人形たちの動きが一斉に止まった。キリキリと木と木が窮屈そうに擦れる音を出しながら、人形たちの顔が一斉にクロハの方へと向いたかと思うと、人形たちはゴキゴキと言う音を立てながら前に倒れて地面に這いつくばった。中には背中と胸が上下逆の状態の個体もいるが、人形なので別にどうってことはない。そして、人形たちはクロハめがけて猛スピードで動き始めた。まるでゴキブリのようだ。


「お前は僕のものだぁ、クロハぁ!!」


旧支配者の体から悪意が湧き出して触手のようにクロハに向かってくる。そして周囲からは旧支配者の傀儡たる木偶人形たちがうじゃうじゃとクロハに迫ってくる。クロハはそれでも表情を崩さなかった。そしてとうとう、人形の一匹がクロハに飛びついたのを皮切りに、一匹、また一匹とへばりついていく。そこへ旧支配者の触手も絡みつき、大きな球体を形作っていった。


・・・


第七世界の地球は、宇宙単位で観測すれば全く平和そのものであった。そんな平和な地球の、ある島国の首都辺りに、一瞬、星の光よりまぶしい閃光が煌めいた。

そしてその閃光が光った場所から、一筋の光が流星のごとく飛び出して地球を離脱する。その後を追うようにして、宇宙の闇よりもどす黒い煙の筋が、流星を追いかける。


流星と煙の速度はほぼ同じであった。まっすぐ、まっすぐ飛んでいく流星に追いつかんばかりの勢いで、煙はもうもうと、絶対に逃がさぬという意思をもってまとわりつく。一進一退の攻防を繰り返すうちに、流星の速度はわずかながら失速し始めた。それを好機ととらえた煙はじわじわと流星に近づいていく。そしてあともう少しで届くという距離になったとき、煙は五つに分かれた。それはまるで人の手の形のようだった。


手はいよいよ流星の尾に届く距離になった。だが、手が欲しいのは尾ではない、流星クロハ本体なのだ。じわりじわりと流星を握らんと近づく手。いよいよ流星がその手に握られようとしたその時だった。流星の進行方向に穴が開き、そこへ流星が飛び込んだ。


流星が飛び込んだ先は、第六宇宙の世界線球がいくつも並ぶ、「場」の第六宇宙の間であったのだ。そこが「場」であることを確認すると、流星は光るのをやめて、もとのクロハの姿に戻った。後ろを振り向くと、第七世界線の球から出ようとしている手・・・すなわち旧支配者を世界線球ごと抑え込んでいる上位存在と、他の特異点たちの姿があった。


「クロハ!!大丈夫かい・・・?」


疲労したクロハの元へ少年が駆け寄ってくる。彼こそが上位存在なのだが、彼はわけあってある星の王族の体を手に入れていた。


「あ、ああ・・・」

「君が第七世界線に入ってからまったく音沙汰がなかったから様子を見に来たら、まさか奴が世界線ごと乗っ取ってたなんて・・・だから無理やりこじ開けて君だけこの『場』へ緊急排出したんだ。」

「なるほど、奴は世界線を支配したってのは、あながち嘘じゃあなかったってことか・・・」


そこへ、第四特異点の怒号が飛んできた。


「なにやっとんねんクロハ!!あんたも早く世界線の破壊を手伝えっちゅうに!!」

「うおおお、前よりも力が強くなってるんだな、僕たちだけでは抑えるだけで精一杯なんだな!!」


クロハは急いで第七世界線球を囲む特異点の輪の中に入り、世界線球にエネルギーを注いだ。このまま特異点の力を合わせて旧支配者を世界線ごと消してしまおうというのだ。


「しかし、彼奴は時空歪曲空間からも生き残ったのであろう?某は世界線事葬り去ったところで万事うまくゆくとは・・・」

「ぐがるぅ、が!!」

「ソレデモヤルシカナイ、ッテ言ッテイルネ。」


6人の特異点はなおも力を送り続けた。そして、ついに世界線球がだんだんと収縮を始めた。収縮が進むにつれて旧支配者の唸り声が「場」に響く。


「特異点どもが・・・僕の邪魔をするなあああぁぁぁ!!」


聞くだけでも恐ろしい声が「場」を支配する。しかし特異点たちはめげずにエネルギーを送り続けた。そして世界線球がついにピンポン玉のサイズまで収縮しきったその時、旧支配者の唸り声は突然高笑いへと変わった。


「ふふふ・・・ははは!!逃げろ逃げろ、どんどん逃げろ・・・どんなに遠くへ逃げたって・・・君は僕からは逃れられない・・・またすぐ会いに行くからね、ク・ロ・ハ。」


そして、第七世界線は消滅した。後には旧支配者の断末魔と静寂だけが「場」に残った。


「や、やったんだな・・・」

「ふううう・・・ほんま、あいつの相手は堪えるで・・・」


特異点たちは流石に疲労の色を隠せずにその場にへたり込んだ。が、クロハだけは違った。


「どしたん?クロハ。」

「・・・みんな、すまねえ。俺がふがいないばっかりに・・・」

「ああ、別にええよ、あんたのせいと違うから。あんたもとんでもない奴に目を付けられてもうて、大変やなぁ・・・」

「・・・」


クロハは皆に礼を言うと、第七世界線球の二つ隣にあった第五世界線球の方へと歩いていった。ここは自分が生まれた銀河連邦がある世界線・・・彼女がいた世界線だ。彼女との数々の思い出が頭をよぎるが、クロハはそれを振り払った。


「もう行くんだな?クロハ。」


話しかけた第三特異点に、クロハはうなずいた。


「もうちょっと休んでってからでもええんと違うか?あんた、あいつに相当ひどいことされたんやろ?」

「・・・いいや、休むことはしない。」


第5世界線へ飛び込む準備ができた。球はクロハが入るのを今か今かと口を開けて待ち構えている。


「宇宙の正義の代執行。それが俺の仕事であり・・・贖罪だからな。」


クロハは自分に言い聞かせるようにその言葉を口にして、第5世界線の球へと入っていった。上位存在と第四特異点にはまるでクロハが見えない十字架を背負っているようにも見えた。仕事でもあり、贖罪でもあることは事実だった。しかし、心の支えであるという事も、また事実なのだ。


「クロハ・・・」

「無理だけはせんようにな、クロハ・・・」


上位存在と第四特異点は、十字架を背負った男の後ろ姿が完全に見えなくなっても、その方向をずっと見つめていたのだった。

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クロハ(第一部) ペアーズナックル(縫人) @pearsknuckle

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