第32話 悪意のるつぼ
[再開:主観的記憶再生]
エーデルが目を開くと、そこは病室のベッドの上だった。乳白色の天井には見覚えがある。この天井は銀河連邦軍の総合軍事病院のものだ。義体の乗り換えの際にここを訪れたことがある。横に誰かの気配を感じて首を傾けると、そこにはクロハの姿があった。
「ああ、気が付いた。良かった・・・」
「クロハ・・・くん・・・クロハくん!」
ガバっと起きたエーデルは久しぶりに会えた友人の姿を見て思わず抱き着いてしまった。
「お、おい・・・」
「助けてくれたのは、やっぱりクロハ君だったんだね・・・あれ以来、予備役に自主降格願いを出してから寮も引き払って、今までどこに行ってたの!?ずっとずっと、君の事をムロトと一緒に探していたんだよ・・・?」
涙目――半機械人間は涙を流せないのだが――になりながら、どことなく上ずった声で詰め寄るエーデルにクロハはバツが悪そうに頭をかいた。
「あ、ああ・・・悪い・・・いろいろと、忙しくってな・・・」
「嘘。クロハくんは嘘をつくときはいつも右手の親指を強く握りこむくせがあるの、分かってるんだからね。」
とっさにクロハは右手を隠したが、もう遅かった。
「へへ・・・ど、どうやらすっかり元気になったみたいで何よりだ・・・じゃ、じゃあ俺、行くところがあるから・・・」
「待って!」
どこかぎこちない態度でこの場を去ろうとするクロハをエーデルが腕をつかんで引き留める。
「な、なんだ・・・?」
「・・・クロハくん、あれから一体どうしちゃったの・・・?まるで僕たちを避けてるみたい・・・」
「さ、避けてなんか、」
「ねえ、もしかして、何かとんでもないことに巻き込まれてたりしない?」
「い、いや・・・別に・・・そんなことは・・・」
ある意味では的を得ている言葉であった。しかし巻き込まれたというよりは、クロハ自身が彼らを巻き込んだと言ったほうが正しい。あれ以来、彼は己の中にエーデル(ライティア)やムロトに対してこんこんと湧き上がる罪悪感を少しでも忘れ去るために、なるべく二人から距離を置いて、特異点としての任務に没頭していたのだ。それでも、アフレイダスの気配を察知して宇宙港近辺の宙域に駆け付けた時、奴の破壊光線の照準の先にエーデルの姿がみえたとき、クロハの体は考えるよりも先に動いていたのだ。
「べ、別に・・・何でもない、何でもないんだ・・・だから、そろそろ離して・・・」
「嫌だ。離さない。クロハくんが正直に話さなきゃ僕はこの手を離さない。」
「・・・」
「クロハ君、悩みがあるなら言ってよ、僕たちにできることがあれば、何でもするから、友達同士で隠し事なんて水臭いよ。」
腕をつかむ力が強まっていく。戦闘タイプの義体は握力も強いのだ。だが、特異点はそれを振りほどけないほど弱くはない。でも、いまこの手を振り払えば、今自分をあのころと変わらない、まっすぐなまなざしで見つめているエーデルともっと距離が開いてしまう。クロハはただ、その場に立ち尽くす事しか出来なかった。
「だから、本当に何でも・・・!!」
突然、クロハは何者かの視線を感じてエーデルの腕を振り払ってばっと後ろを振り向いた。視線だけではない。何か・・・とてつもなく、冷たくて、どす黒い何かが・・・自分を見つめていたような気がした。だが、後ろに会った病室のドアは閉じられたままだった。誰かが開けていたのなら、ガラガラと言う音を立ててドアが音を出すはずだからだ。
「気のせい・・・か・・・」
ほっと安堵したのもつかの間、突然ガチャリとした音がしたと思いきや、クロハの腕に手錠がかけられていた。かけたのはエーデルであった。そしてエーデルは自分の腕にも手錠をかけたのである。
「ちょ、な、何するんだ!!」
「やっぱり君は、何か面倒ごとに巻き込まれてるんだ、そうに決まってる!」
「な、なんで手錠なんかもって・・・」
「これはもしもの時の為に持っていたもの、君はなぜか変な所で頑固だから、僕も強硬手段で行かせてもらうよ!今日は僕たちの家に泊まってもらうからね!」
「え、ええ!?」
「言っとくけど、拒否権はないからね!本当のことを言うまで家から出さないんだから!」
意を決したエーデルは困惑するクロハをずるずる引きずりながらそのまま病室を出た。よたよたとその後をクロハがついていく。
「ちょちょちょ、わあっ、待って!待って!うおっ、と、行くから、逃げずに行くから!まず手錠はずして!うわっ!」
「駄目!家までずっとこれだから!」
「そ、そんな・・・」
彼は女性だったころからこうなのだ。一度決めたらもう周りがどんなにいさめてもその意志を最後まで貫くことから、「針の女」とよく言われていた。こうなってはもう何を言っても仕方ない。クロハはとうとう観念してエーデルの後ろをとぼとぼとついていくしかなかった。
[一時停止:主観的記憶]
[再生開始:補完的記憶(追加者:クロハ)]
[予定:補完的記憶再生終了後、主観的記憶停止解除]
アフレイダスは窮地に陥っていた。今の銀河には、悪意と言うものがまるでない。
かつて自分が恐怖で支配していた頃は、憎悪が渦巻き、欲にまみれ、弱き者は強き者の糧となる、獣と同等かそれ以下の、汚泥で汚れた沼の中と言っても過言ではないくらいに無秩序状態であった銀河は、今では皆一定の秩序のもとに、欲も感情も、肉体も捨てて淡白に生を謳歌している。その甘さ加減には、虫唾が走る。
銀河連邦の目の届かないある宙域で、アフレイダスは悪意のるつぼの蓋を開ける。かつてはいくら飲んでも飲み切れないくらい、なみなみと注がれていた”悪意”が、今ではスプーン一杯あるかないかの量しかない。アフレイダスはそれをぐいと飲み干す。当然、腹は満たされない。
「これが・・・これが、今の銀河にある悪意の全てなのか・・・?」
悪意のるつぼは、知的生命体がもつ悪意――ここでいう悪意は、憎悪や恐怖なども含まれる広義の意味での悪意である――をエネルギーを含んだ液体に変換する銀河聖遺物の一つで、これこそが恐怖大帝と言われて恐れられたアフレイダスの力の源であった。彼が特異点の力を自由に行使できる前は悪意なぞ履いて捨てるほどあった。当然、彼自身もその悪意の生産者であったわけだが。
かつては悪意のるつぼの中に第5世界線中の悪意を集め、その結果錬成されたエネルギーを一口飲んだだけで恐ろしいほどの力が湧いてきた。それを用いて、彼より強そうなもの、強くなりそうなものたちを探し出し、片っ端から潰していった。時には、惑星ごとそいつを吹き飛ばしたこともあった。そして人々はその行いに恐怖して、アフレイダスを憎む。そしてまた、悪意のるつぼになみなみと悪意が注がれていく。アフレイダスがそれを飲み干し、また力を増して・・・という、負のサイクルそのものを利用したエネルギー循環回路がある限り、アフレイダスに敵はなかったのだ・・・その力で、第六宇宙のみならず他の五つの宇宙をも手に入れようとして、飽きて破りとみなされて特異点たちと上位存在に封印されるまでは。
復活して早々、アフレイダスは同じ手でエネルギーを確保しようとしたが、それは無駄足に終わった。長い時の末に
その結果、生身時代の諸問題から解放された銀河人は、必要以上の欲求を持つことがなくなった。銀河連邦への忠誠さえ誓っていれば、生まれた時からしばらくの間の国民皆兵制度に組み込まれた兵士訓練と言う名の教育プロセスを済ませていれば、あとは自由に生きられる。そんなディストピアとはいえ一定の秩序が保たれた世界に、恐怖の二文字は存在するわけがなかった。
だから先ほど星を襲って、破壊した。何人もの人をぶち殺した。だが、それをやってもこのスプーン一杯程度にしか悪意が溜まらない・・・アフレイダスが現れてから非常事態宣言が発令されているために、彼らの生前の記憶や遺伝子などの人格データーは逐次銀河連邦中央遺伝子サーバーに保存されており、例えハードメモリが破壊されたとしたとしても、最後にデーターをサーバーに保存した時点からその人の人格を復旧することが出来るので、惑星破壊は大して意味がなかったのだ。
「足りない・・・足りない・・・悪意が・・・力が・・・うああ・・・」
悪意の生じない宇宙では、悪意のるつぼを利用した負のサイクルは成り立たない。即ちそれに依存しているアフレイダスも力を得ることが出来ない。特異点だったころはそれでもどうにかなったかもしれないが、今はその力さえもない。こうやってほろほろと崩壊しかけている体を維持する事だけで精いっぱいである。
「特異点の力さえあれば・・・特異点・・・?」
そうだ、特異点なら先ほど遭遇したではないか。突然流星のように現れて生存者を掻っ攫っていったあの特異点が。そいつを利用すれば、自分は再び力を手にすることが出来るかもしれない。善は・・・いや、悪は急げだ。そう考えたアフレイダスは先ほど遭遇した特異点が目の前を横切ったときに残した特異点のエネルギーを頼りに、宇宙中に”目”を張り巡らせて特異点を探し出す。
果たして特異点は見つかった。
当代特異点は、先ほど助けたものとみられるうちの一人と何やら話し込んでいる。だが、どうやらこいつは目の前の人物にわずかながら好意を持っているらしい。
「ほう・・・?」
何やら興味がわいた彼は、少しだけ力を入れて、当代特異点の頭の中をこっそりのぞいてみた。視線を感じたのか、驚いた顔でばっと後ろを振り向く。だが、既にその一瞬でアフレイダスは、クロハと名乗る当代特異点に対する情報をつかんだ。そして、クロハの弱点も・・・
「そうか・・・そうか・・・見つけたぞ、君の弱み・・・!」
アフレイダスの顔にあくどい笑みが浮かぶ。これが、アフレイダスがクロハへの異常な執着をし始めた瞬間であった。
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