第24話 堕ちろ!どん底へ・・・

 ・・・


 暗闇に包まれた空間で何処からか聞こえてくるファンファーレ。

 華やかだがどこか寂しげな音色をたどると、それは闇の中でもその白い躯体が良く目立つ建物の中から聞こえてくる。その建物は、真正面に十字架をたたえた教会であった。

 半開きになっている教会の分厚い木の扉の向こうへと目線を向けると、その中は厳かな雰囲気に包まれていた。中央に敷かれた赤いカーペットの上を、黒い晴れ着の服を着た目から光が消えたうつろな表情の男と、頭には黒いベール、体には黒いドレスと何から何まで黒で包み、もはや喪服と見分けがつかぬ晴れ着をきた・・・男。

 しかし顔つきはとても中性的なので違和感はなかった。そしてカーペットの先にたたずんでいる、神父と呼ばれている宗教的な服を着た男の方を向いた長椅子に、数人の男女が着席して二人が前へしずしずと進む様子を見守っている。地球ではこれを、結婚式と言うのだそうだ。



 よく見ると、長椅子に着席している者たちの格好はどこかで見たことがあるものばかりだ。黒髪の切断者、長髪の針千本、金髪の青年。赤紙の女盗賊。そして、兄妹と思わしき青い髪の青年と紅紫色の女性。どれもみな男の記憶の中にある人物だが、皆影がかかって顔が良く見えない。


 やがて、とうとう二人は神父の前までやってきた。神父が目の前の二人にあらかじめ定められた愛への宣誓を確認するセリフを投げかける。新郎の方は答えたかどうかは分からなかったが、新婦は黒いベールの上からでも判別できるくらいに笑みをたたえてはっきりと「誓います」と宣言した。


 その瞬間、二人の目の前にいたはずの神父が消えて、目の前に白くて背の高い巨大な物体が現れた。下から上に段々と先細りながら一定の間隔で丸い筒上の物体が積み重なっていて、一番上にはろうそくが何本か刺さっている。そう、ウエディングケーキだ。


 いつの間にか二人は長いケーキナイフを共に握って、今まさに目の前のケーキに入刀しようと一歩前に進み出ようとしたその時、新婦の姿がふわりと消えて、新郎だけが入刀する形になったが、ケーキにナイフが刺さったときにした音は、やけに生々しい音であった。それはまるで、人を刺したような感覚であった・・・いや、実際彼は人を刺したのだ。

 うつろな顔で違和感のするケーキの方向に目をやると、そこにケーキはなく、代わりに十字架に張り付けられた・・・人間の女性にナイフが突き刺さっている。男はその女性の顔を見た。その女性は男の記憶の中で最も強い思い出が残る人物であった。みるみる目に光が戻っていく。そして、己が犯した事の重大さに気づいて、恐れおののいて素早くナイフを抜き取る。


「あ・・・ああ・・・ああああ!!ライティア!!」

「ク・・・ロハ・・・どう・・・して・・・」


 磔の女性は腹部の痛みに耐えきれずに、がくんとうなだれてしまった。


「違う・・・俺じゃない・・・俺は彼女を・・・」


 がくがくと震えながら必死に弁解し、その場を逃げようとしたクロハだったが、いつの間にか長椅子に座っていた男の知人たちに取り囲まれて逃げ場を失っていた。そして、次々にクロハを非難し始める。


「・・・違わない。結果的にお前がライティアを殺した。」

「お前がやったんだ。」

「母を殺したのはお前だ。」

「あんたが殺したんだ。」

「君があの時計さえ拾わなければ彼女は運命を変えらなかった。」

「殺したも同然です。」


 周りからクロハに向かって次々に浴びせられる断罪の言葉。これが不特定多数の人間ならまだ良かったが、知人の口から放たれていることによってその攻撃性は倍になる。だが、この件についてよく知らない者までがクロハを非難していることからも、この空間が彼自身の疑似体験であることの何よりの証明でもあったのだが、クロハの中にそのことに気づく精神の余裕は、もうなかった。


「ちがう!!ちがう!!俺は・・・俺は・・・うぅ・・・!!」


 胸が締め付けられる感覚を覚えながら、頭を抱えてうずくまるクロハ。耳をどれだけふさいでも、お前が殺した、という彼への断罪の言葉は彼を容赦なくいたぶり続けている。直接殺したわけでは無い。だが、おのれ自身が彼女のライティアの人生を変えてしまったことは事実なのだ。あんな時計さえ、あんな時計さえ拾わなければ・・・

 例え彼自身に罪はないとしても、人の運命を変えてしまうことは到底許されるものではない。そして、クロハをかこっていた人物たちは、やがてグニャグニャと解け始めて、一つの塊となり、彼の罪を一番憎んでいる者の姿になった。そう、彼の犯した大罪を、誰よりも許さなかったのは・・・


「お前がライティアを殺したんだ!!」


 目の前に現れた、もう一人の自分からの怒りを込めて投げかけられた言葉に、クロハはもうなすすべもなくただ床に突っ伏して嗚咽するしかなかった。もう一人の彼は、彼自身の罪の意識の擬人化に他ならないからだ。


「うぅ・・・ライティア・・・許して、くれ・・・ううう・・・」


 自分がのっかっている赤いカーペットでさえも針ののように感じるくらい、クロハの心はどん底まで叩き落されてしまった。もう周りには誰もいなかった。いや、最初から、ここにいたのはクロハだけだったのかもしれない。それは今となっては些細なことだ。


「フフ・・・どうだったかな?今君に見せたものは、君の記憶の中にある君自身の罪の意識の具現化だよ。」


 突然降りかかった声に恐る恐る顔をあげると、そこには消えたはずの新婦・・・いや、黒いウエディングドレスに身を包んだ旧支配者が満面の笑みで立っていた。


「この舞台は僕自身が仕組んだものだけど、君自身がその力を持つ限り、この罪の意識は消えずに、君の心を蝕むだろう。思った通り君は心の面では対して強くないようだ。」

「・・・」


 呆然と座り込むクロハの元へ、しずしずと近づいてゆく。彼自体は笑顔だが、黒いドレスからは彼が持つどす黒い悪意が滲みだしており、目の前の得物を食らおうとしている欲求を抑えているようだ。


「もうあの子の事を思い出して、苦しむのは嫌だよね?・・・辛いよね?」

「・・・」

「君の痛みはとてもよくわかる、同じ特異点同士だもの。・・・僕は君を苦しめるもの、痛めつけるものすべてから、君を救済するために来たんだよ・・・さあ、この手を取って・・・」


 耳障りのいい言葉と共に右手を差し出した旧支配者の背後から後光が差し込まれ、まるで天使のような雰囲気を纏っている。


「俺を・・・救済・・・?」

「そう、僕は君を救いたいんだ、さあ、早く。」


 思わず、クロハはその手を取りそうになった。しかし、間一髪の所でクロハの頭に強烈な頭痛が走って、それを阻止した。


「うああああっ!!」


 それは、クロハがまさかの時のために自分の体にあらかじめ設置しておいた、自意識緊急覚醒装置エマージェンシーアラームが作動した証であった。自意識が何かの干渉を受けて活動を停止または著しく低下して己の制御を受け付けない際に、強烈な痛覚をもって覚醒を促す装置、とどのつまりたたき起こすためのプログラムである。本当なら対催眠術用に仕込んでいたはずが、まさかこんなところで役に立つとは・・・


 意識が覚醒し始めるにつれて、クロハと旧支配者の周りの光景がグニャグニャと変形し始めて、絵の具をめちゃくちゃにぶちまけてかき混ぜたような映像が流れたと同時に、クロハの全身がピカピカと光って、ガラスをぶち割るような音と共にこの疑似体験空間を脱出した。


 飛び起きたクロハはなぜか自分が寝かされていたホテルの部屋の中を出た。もはやここは、いや、日本全体が旧支配者のテリトリーなのだ。一刻も早く逃げ出さなくてはならない。だが、そんな彼の脳裏に、奴の声が彼をあざ笑うかのように聞こえてくる・・・思わずクロハは頭を押さえた。


『つくづく悪運の強い男だね、君は・・・だが、この声が聞こえているという事は、どうやらウイルスを完全に消し去れなかったようだね・・・』

「うぐぐ・・・くそう、悪魔が!!」

『君が持っている免疫プログラムが必死に戦っているようだけど、さていつまで持つやら・・・いい加減諦めなよ。」

「黙れ!!黙れ!!ううう・・・」


 廊下の突き当りのドアをけ破り、非常階段を駆け上がっていくクロハ。10階建てのホテルで彼は7階にいた。一刻も早く外へ出るために、彼は屋上に向かって突っ走るが、その最中にも彼の声が非常階段に、彼の頭の中に響く・・・


『免疫プログラムの対策パッチはすぐに完成する・・・君はもう負けるしか道はないんだよ。でもね、僕は人を強制するのは好きじゃないんだ・・・」

「くそう、くそう・・・」

『君の意識があるうちに、君の口から、はっきりと、負けたって言わせたいんだ。その方が、僕は好きなんだ。・・・』

「うがああああ!!!」


 思い切り、頭を壁に打ち付けて少しでも奴の声を頭の中から排除しようと試みるが、半機械人間の頭はちょっとやそっとの打撃を受けたくらいで壊れるわけもなく、ただ壁に穴をあける程度が精いっぱいであった。

 そして、とうとうクロハは階段の終端へとたどり着き、ドアを蹴飛ばして屋上にでて、へなへなと倒れこんだ。その間にも、彼の意識を奴がじわじわと浸食していく。

 だが、奴はもうクロハの頭の中に直接話しかけなかった。旧支配者はクロハが昇ってきた階段からゆらりと表れてクロハの元へ近づく。


「・・・君も意地っ張りだね。”負けた”と言えばすぐに楽になれるのに。」

「近づくな・・・この悪魔が・・・人でなしが・・・!!」

「君がそれを言うのかい?」


 旧支配者から少しでも逃れようと、クロハは屋上の手すりまで退いた。そしてその手すりをどうにかすがったが、突然手すりが消滅してバランスを崩し、思わず落ちそうになったが、どうにか屋上の淵にぶら下がって事なきを得た。しかし、体を蝕むウイルスはとうとう運動神経回路を再び制圧したらしく、腕に上手く力が入らないので上がることが出来ない。

 今にも落ちそうなクロハを、すぐ上から旧支配者が見下ろす。


「このまま落ちた所で君は死なない、だが何度も言うようにもはや君には逃げ場所はない。ウイルスはいよいよ君の重要記憶保存装置ハードメモリにまで差し迫ったよ。それでも君は・・・貴方は、私から逃げるの?」


 喋っているうちにだんだんと旧支配者の姿とライティアの姿が重なり、声まで同じに聞こえてくる。


「その顔で、その声で!!俺を呼ぶな!!俺に話しかけるんじゃねえ!!」


 その一喝で旧支配者の顔が元に戻る。だがこれもいつまで持つか分からない。だが・・・クロハは一瞬右下方を一瞥した際に、すぐ下の通りをこちらに向かって走ってくる一台のダンプトラックを目撃していた。その一瞬で、彼はこの状況からの脱出できる唯一の方法を、侵食される意識の中ではじき出した。

 しかし、それを実行するには”あれ”がいる。だが、胸ポケットは軽かった。まさかと思い奴を疑似網膜で瞬間走査すると・・・奴の胸ポケットに収まっていた。一か八か・・・クロハは賭けに出ることにした。一瞬だけなら力が出る。


「・・・分かった・・・認める、認めるよ・・・俺の、負けだ・・・敗北だ、降伏する・・・」

「ふふ、やっと認めたね・・・クロハ。その言葉が聞きたかった・・・」


旧支配者は満足そうな表情を浮かべてしゃがみ、クロハに手を差し伸べた。その手にをクロハがつかもうとしたとき、奴の胸ポケットからのぞいた、フラッシュ・コンバーターの先端が見えた瞬間に、クロハは最後の力を振り絞って体を上げて、腕を伸ばし、旧支配者からFCフラッシュ・コンバーターを奪い取った。そして、それを握りしめた拳を力いっぱい旧支配者の顔にぶつけてやった。


「ぐっ・・・」


予想外の展開に思わずひるんだすきを狙って、手が屋上から離れたクロハは勢いよく下に落下する。そして、彼はFCを両手で持ち、雄たけびを上げて、作動させた。


「うおおおおお!!」


バシュウゥゥゥ・・・


ホテルの躯体を照らし出すほどのまぶしい閃光が、夜の繁華街を照らしつけながらまるで流星のように落ちていく。そして、地に激突するかに思われたその瞬間、ダンプトラックが着地点を通過していった。流星は、どすん、という音と共にトラックの土砂にめり込んだが、ダンプの運転手――のふりをしている人形――たちは気が付かない。そしてダンプトラックは、どこかへと姿を消したのだった・・・


「なるほど・・・ウイルスを自分の意識、記憶ごと消し飛ばすとは。よくぞ考えたものだね。でも君はFCの誤作動対策を怠るほどの間抜けではないはずだよ・・・まあいいさ。どのみち逃げ場がないことに変わりは無い。また君の意識と記憶が完全に復活した時に、また同じことを仕掛ければいいだけだからね・・・」


旧支配者は、そのダンプが消えて言った方向を眺めて、ぼそりとつぶやいた。しかし、その言葉には若干、目の前で獲物を取り逃した悔しさを滲ませているようであった。




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