旧支配者(オールド・マスター)編

第21話 忍び寄る闇

 あれから一か月が過ぎた。

 街は驚くべき速さであの災厄からの復興を遂げて、それまでの活気を取り戻しつつあった。

 街の雰囲気が明るくなってくるのとは対照的に、城戸の面持ちは暗かった。

 ここ最近、彼はあまり眠れていないのだ。その原因は、夜な夜な見る不思議な夢の内容のせいであったのだが、その内容がまた不思議なものであった。


「何もない?」

「うん、本当に、何にも、何にもないんだ・・・自分でさえも。」

「疲れてて、夢を見ないくらいにめちゃくちゃぐっすり寝てるとかっていうのは?」

「いや、そうでもないんだ、確かに夢を見ているはずなのに・・・」

「うーん、夢っていうのは所謂自分自身の記憶のリプレイの側面もあるから、夢を見ないっていうのはその日が何事もなく終わったって意味じゃねえの?」

「そ、そうかな・・・?」

「そうだぜ、きっと。まああまり気をもむなよ、何も大きな病気を患ってるわけじゃねえんだ、そのうち気にならなくなるさ。」


 クロハはそういうが、それでも城戸はすぐには安心できなかった。城戸はどういう訳か、クロハと出会う前の記憶を今の今まで思い出せずにいた。思い出そうとすると途端に頭が痛くなる。だからあまり気にしないようにしてきたし、幸いにもそんなことを気にしている余裕はなかったが、最近は特に何もなさ過ぎてよく物思いにふけるようになったせいで、この問題を思い出してしまったのだ。


 そのことを、隣で明らかに麺よりも多い量の具が山盛りになったラーメン――制限時間内2分以内に食えばタダ――を僅か1分で空にして悠々とスープを飲み干している、クロハに相談するべきだろうか、城戸は迷った。結局、自分の分のラーメンはまったく喉を通らなかった。


「いやー食った食った、あんな量を二分未満で食えばタダなんて今時太っ腹なとこもあるもんだなあ。」


 満足そうに腹をなでながら街を闊歩するクロハを見て、城戸はふと、脳裏にある考えが浮かぶ。

 彼には、悩みと言うものはあるのだろうか?

 彼の横で喜怒哀楽いろいろな表情を見てきたものの、彼が悩んでいる所だけは見た事が無い。

 そもそも彼に悩みなんてものがあるのだろうか。いつもあっけらかんとしていて、それでいて、抜け目がない。しかも、特異点という強大な力を行使できる立場であるにもかかわらず、それらを使用するときは事件を解決するときか、自分の生活費の調達――宝くじのイカサマ行為――くらいで、必要以上に力を行使しようともしない。

 まるで風のような性格を体現したような彼に悩みがあるとするならば、それはいったいどのようなものだろうか。意を決して、クロハに質問しようと思った矢先、城戸のスマホに通知が来た。「トーチ・キッド」というアカウント名で登録しているSNSに新着のメッセージが届いている。送り主の名前は、「益田」だ。


[久しぶり。ごめんね、結局あれからもいろいろとあって誘えなかったんだが、やっと空白が出来たんだ、もしよければ、今夜、店を予約しているんだが・・・いいかな?]


城戸は当然[喜んで、友達もつれていきます!]と返信した。


[場所は居酒屋碓氷、ってところなんだ。19時に個室を予約してあるから、もし僕よりも先についたら先に入っていてくれ。予約していた益田、と言えばわかる。先に注文もしていいよ。]

[わかりました、会えるのを楽しみにしています!!]


久しぶりに益田さんと出会える、それだけで城戸は幾分か心が軽くなった。上機嫌で城戸はクロハに話しかけた。


「ねえ、クロハ?さっき、僕の友達から今夜のまないかって誘われたんだけど・・・一緒に来る?」

「うん?別に構わねえけど、俺酒飲めねえぞ?」

「ええっ!?意外だなあ・・・」

「俺の体結構古い規格だからアルコールを消化できないんだ、それでもいいなら行くが・・・」

「ぜひ来てよ、彼も君に会いたいって!!」

「ああ、じゃあ行くか。」


まだ相当の時間があるので、彼らは日が暮れるまで適当に車を流してその時間になるのを待った。

そして、待ち合わせの時間になった。先に居酒屋碓氷に到着したのはクロハたちであった。


「思ったよりでかいな・・・こりゃあ美味い物たくさん食えるぞ!」

「昼あんなに食べたのに、まだ食べるのかい?」

「勿論、俺は腹ん中にブラックホール入れてるからな」

「クロハが言うと冗談に聞こえないよ・・・」


店に入り、予約していた益田と言うものですと伝えると、二人は一番奥の一番広い個室に案内された。室内は畳張りで店の中では一番広い個室であった。


「うおーっ、すげえな、こんな広い部屋予約料金もバカにならねえぞ、益田さんっていうのは相当金持ってるんだなあ。」

「なんか、公務員でもそこそこの地位についてるんだって。それ以上はよく知らないけど・・・」

「ふーん。おっ、ここはソフトドリンクはセルフの飲み放題なのか、じゃあさっそくそれを頼もうか・・・そうそう”つまみ”もついでに・・・」

「もう、少しは遠慮しなよ・・・」

「こういう場合は下手に遠慮したほうが失礼なんだ、じゃんじゃん頼もうぜ!」


そういいながらメニューをテーブルに思いっきり広げて、何を頼もうかと一生懸命に選んでいるクロハを見て、城戸は思わずほころんだ。

彼の姿を見ていると、ちょっとしたことで落ち込んでいる自分が笑えてくる。どことなく安心するというのだろうか。今まで彼と出会ってからいろんなことを経験した。まるで作り話のような、聞けば誰もが虚構だと言い放つようなことがたくさんあったが、どんな時でも彼は必ず近くにいた。とても頼もしかった。


「あ、すいません、とりあえずこれとこれとこれと、飲み放題、お願いします。」


おそらく、今自分に起っている諸問題も、彼のそばにいれば、いつかは快方に向かうであろう。何せ彼は特異点なのだ。特異点は、何でもできる。だから、今はそのことは忘れて、今宵は純粋に楽しもう。城戸はクロハを見ながら、そう決意した。


「・・・どうした?俺の顔に、なんかついてるか?」

「・・・!いや、べつに・・・ちょっと、考え事してただけ。」

「あっそ、じゃあもう飲み放題頼んだからドリンク取ってくるわ、お前何がいい?」

「じゃあ、オレンジジュースで・・・」

「よし、じゃあ行ってくるぜ。」


そういってクロハは畳の部屋を出た。ご丁寧に戸をぴしゃりと閉めて。


「・・・」


ただ一人取り残された城戸は、妙に広くなった部屋を見回しながらクロハが戻るのを待ったが、ドリンクバーが混んでいるのだろうか、クロハはまだ戻ってこなさそうだった。

城戸は少し手持ち無沙汰気味になったので、何か軽食でも頼もうとして呼び出しボタンを押そうとしたその時。閉まっていた戸が開いた。


「あ!お帰りクロ・・・ハ・・・?」


部屋に入ってきたのは、もうすっかり暖かくなったというのにトレンチコートを着込み、山高帽を片手にもって、なぜかサングラスやマスクまでしている男だった。この格好は・・・まさか!


「やあ、久しぶりだね。」

「え、えっと・・・どちら様・・・で?」

「僕だよ。益田だよ。トーチ・キッド君。」


聞き覚えのある名前が出た時、城戸はほっと胸をなでおろした。


「ああ、なんだ・・・益田さんだったのか・・・てっきり・・・」

「てっきり?」

「ああ、いえ、何でもないんです。最近、益田さんみたいな人をよく見かけたものですから・・・」

「ははは、この時期にこんな格好しているのは確かに変だよな、とはいえ、これがの正装なんだ、多少目立つが許してくれよ。」

「いえいえ、別にそういう意味で言ったわけでは・・・」


益田、と名乗る男はコートと帽子をかけるとそのまま城戸に向かい合うようにして座った。だが、なぜかサングラスとマスクは外さない。どうも、いやな緊張感が城戸の中におきつつあった。


「あ、あの・・・」

「うん?何だい?」

「眼鏡と、マスク・・・取らないんですか?」

「・・・ああ、これは失礼した。仕事の癖がまだ抜けていなかった、すまない・・・何分注意深さが商売道具の仕事なんでね。」

「公務員とは聞いていましたけど・・・いったいどのような仕事をなされているんですか?」

「ああ、僕の勤務先は、検視団だよ。」


一瞬、城戸の目が点になった。何も知らないはずの彼の口から、何故その言葉が出てきたのだろうか?謎の緊張がだんだんと強まり、舌が渇きを覚える。


「そして、検視団はつい一か月前に僕の命によって解散させたんだ。だから今は僕とある一人を除いて、検視団にいるものは一人もいない。いや、そもそも検視団そのものが存在しないことになってるね。」

「え・・・えっと・・・な、なんの、話・・・でしょう?」

「やだなあ、何も隠すことはないんだ。もっとも、で隠し事なんて、出来るわけもないけど。」

「さ、さっきから、何の話をしているんですか!?ぼ、僕には、さっぱりついていけません・・・!!」


そう言うと、益田と名乗る男ははあ、とため息をついて、マスクとサングラスに手をかけた。


「出来れば、なるべく君にショックを与えないように事実を公表したかったんだが・・・百聞は一見に如かず、ってやつか。」


そして、益田がマスクとサングラスを顔から取り去り、己の本当の顔を城戸に見せた時、城戸は目を見開き、顔面蒼白になり、体を震わせながら、後ろの壁へと後ずさった。


「驚いたかい、城戸君・・・いや、もうひとりの・・・僕。」


益田と言う男・・・いや、益田と言う偽名を使う旧支配者が見せた本当の顔は、鏡写しと言ってもいいくらいに、城戸とうり二つであったのだ。

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