第13話 予定調和
澄み切ったような青空と言うキャンバスに浮かぶ白い雲の合間から漏れるまぶしい朝日が、検視団課長室の窓に差し込んで、デスクに座る一人の人物のシルエットを照らし出す。その人物は、空になったコーヒーカップをデスクに置くと、報告に来た黒ずくめの男ににこやかに話しかけた。
「静かな朝だね。とても心地が良い。・・・という事は、そういう事なんだね。」
「はっ。予定通りこの案件は失敗しました。」
「そうか。ご苦労。では次の案件に取り掛かってくれ。」
「は。・・・しかし、本当にこれでよろしいのですか。」
男は珍しくデスクに座る人物に質問した。検視団構成員、即ち工作人形たちはは結成当初から彼の命令を厳守するように、任務は必ず達成するように山高帽の中の電子頭脳にプログラムされていたが、彼らの頭脳は「今回の任務は失敗しろ」と言われて疑問を抱かないほど低知能ではなかった。
「いいんだよ。この案件は最後こそ彼らに一本取らせたけど、全体的に見れば僕らの勝利だ。そして、そのことを”彼”も当然認識しているだろう。」
「お分かりになるのですか。」
「当然。僕と彼は、同じ特異点だからね。」
「・・・なるほど。」
そして、あまり物事に深入りしようとしないところも、彼らの利点であった。黒ずくめの男は目の前の人物、もう一人の特異点である
「ふう・・・こんなに後味の悪い勝利の味はなかなか味わえない、せいぜい余韻に浸ることだね。クロハ。」
空になっているはずのカップを手に取る。すると、まるで湧き上がるかのようにコップの中に黒い液体が満たされた。しかし、それは液体と言うには、あまりにも重く、どす黒く、まがまがしいものだ。
カップの淵に口が触れた瞬間に、ぐいと一気にそれを飲み干す。
体内に吸収されたそれが体にしみわたるとき、久々に彼は快感を覚えた。
美味い。この心をえぐるようなどす黒い、冷たい感覚こそが、自分の血となり肉となる。悪意の味は一度知ったら病みつきになる。特に動機のない悪意はその希少性も相まって格別だ。いつの間にか、悪意の味に評価を付けられるほど舌が肥えていた。
だが、これよりも、もっと、もっと刺激的なものを味わいたい。
そのためには・・・やはり、”彼”が必要だ。
”彼”から搾り取る絶望の味を、まだ僕は味わってはいない・・・
「フフフ・・・大丈夫。あまりふさぎこまれてもしょうがないから、次は少々カタルシスを多めにしておいてあげるよ。最高の状態からどん底に叩き落してあげたほうが、より深く絶望できるからね・・・」
そして彼は、窓のそばに立ち、ある方角に視線を投げかけた。その目線のぶつかる先には・・・”彼”がいる。どうやら”彼”は、既にあの病院から抜け出したようだ・・・
・・・
諸明による公僕を利用した恐ろしい計画は、実行まで僅か一分と言うまさしく間一髪の所でクロハたちによって防がれた。司令塔であるNOAHの本体に有線接続されたフラッシュ・コンバーターの作動によるプログラム破壊によって機能を停止し、それを死守せんと動いていた医療従事機械人形たちは物言わぬ鉄くずと化した。クロハと城戸の二人はそれをかき分けて、防犯カメラの映像などの自分たちの痕跡を完全に消去し終えた後、夜明け前に病院を抜け出したのであった。
だが、クロハの顔は日が昇っても暗かった。
ただひたすらに一点を見つめてハンドルを握り、朝のハイウェイを走り抜ける。
「今の所、目立った事件は起きてないようだね。僕たち、ギリギリのところであいつに勝ったんだよ!」
「・・・最後は確かに俺たちの勝ちだ。だが・・・」
「どうしたの、クロハ?全然うれしそうじゃないけど、寝不足?」
「いや、別にそういう事じゃない。・・・この計画、確かに最悪の状況は回避できたが、結局NOAHはぶっ壊れて使い物にならなくなった。それは即ち、国家の威信をかけて完成させた、システマ病院の急先鋒である乃亜病院の失敗を意味することになる。おそらく、0がいくつ並んでも足りないくらいの損害が出るだろうし、お偉いさんの首も飛ぶだろう、それも一人や二人のレベルじゃあない。」
「で、でも・・・NOAHとそのプログラムの解除方法を知っている諸明がこの世に以上、僕たちにはあれを破壊するしか・・・」
「それこそが、奴の目的だったんだ。」
高速を降りた車は適当に街を回り始める。既にハンドルはオートモードに切り替わっていた。
「NOAHを破壊すれば病院は勿論のことその関係者や、そのシステムを導入するはずだった全国の病院、何よりその開発に望みをかけていた者たちは当然絶望するだろう。しかしそのまま見過ごしていたらNOAH経由で理性抑制プログラムを植え付けられた公僕たちが一斉に理性を失って暴徒となり、治安崩壊の末地獄絵図と化してやはり大多数の人々が絶望する。何がムカつくかって、これらの顛末を全て知っている俺たちは止めて止めなくても、社会にあだなす犯罪者扱いされちまうことだな。」
「・・・そ、そんな・・・それじゃあ、僕たち、まるっきりくたびれもうけじゃないか・・・!」
「俺たちを巧みに誘導して帰還不能点に誘い込み、そのネタばらしを直前も直前に行って冷静な判断をさせる暇もなく、どっちに転んでも自分たちの望んだとおりの結果になるように仕向ける・・・そして当の自分は、あの世で高みの見物と来たもんだ。・・・諸明が遺言を残して飛び降りた時点で、このゲーム、すでにあいつの一人勝ちだったんだ。俺たちは、このゲームのダメージコントロールをしたにすぎない。」
適当に街を巡航している車の中に、重苦しい空気が流れる。
せめてもの気晴らしとして、クロハは窓を開けて煙草を吹かすが、全く味がしない。結局半分も吸わぬまま灰皿で握りつぶしてしまった。
「死せる孔明、生ける仲達を走らす、ってか。あー、ムカつく。こんなに後味の悪い結末は流石に初めてだ。奴が生きていたらひっとらえて好きなだけボコボコにできるのに、とっくに仏様になってちゃあ、どうしようもねえ。」
「僕は・・・僕は、ただ・・・」
事の重大さに気づき、助手席でぶるぶると肩を震わせてうずくまった城戸の肩に、クロハは優しく手を乗せた。
「城戸、大丈夫。お前は何も悪くない。お前のやったことは正しい。もしも何かあったときは、俺が全責任をおっ被る。だから、何も心配しなくていい。」
「でも、もし、そうなったらクロハが・・・!」
「なあに、俺の体は太陽で素潜りできるくらいには頑丈なんだ、世間様からボコボコにされたくらいで、くたばりはしないよ。」
クロハはにやりと口角を上げて笑顔を作って見せた。そして、操縦をマニュアルに切り替えて、再びハンドルを握った。
「腹、へったろ?今日は俺たちいっぱい動いたからな。今日は俺のおごりだ。好きなもん食っていいぞ。」
「・・・」
「心がもやもやした日には、いっぱい食っていっぱい寝る!一番の特効薬だ。まあ、もう考え込むのはよして、ささやかなご褒美タイムと行こうぜ。」
「う、うん、そうだね・・・」
二人を乗せた車は日差しが差し込むビル街を軽快に通り過ぎてゆく。城戸は歩道を歩く人々を窓越しに眺めながら、この街に住む人は、社会は、昨晩の事件の真相を何も知らぬまま、またいつもと同じような何も起きない幸せな今日を迎えるのだろうなと、一人物思いにふけっていた。
「・・・全て世は事も無し。か。」
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