第11話 嘲笑する死者

 陽もすっかり落ちて明かりがともり始めた閑静な住宅街の一角に、その家はあった。家と言うよりは、アパートメントと言ったほうが正しい。クロハは大家を上手いこと言いくるめて諸明が住んでいた部屋のカギを手に入れた。暗闇でも錆びついているのがよくわかるおんぼろの階段を、城戸と共に上っていく。


「203号室・・・ここだな」


 ドアのカギを解錠し、クロハと城戸が室内へ入っていく。部屋の中はつい先ほどまで人がいたと言われてもおかしくないくらいには生活感があった。主を失ってから一か月たっても、この部屋は主を待ち続けているのだなとわずかばかり哀愁の念も早々にしまい込み、二人は諸明の開発した感情抑制プログラムの手掛かりの捜索に取り掛かった。クロハはちゃぶ台の上に置いてあったノートパソコンのデーターを、城戸はその近くに乱雑に置いてある資料を片っ端から探っていく。しかし・・・


「くそう、やはりデーターは初期化に近い状態までにきれいさっぱり、整理整頓してやがる・・・城戸、そっちはどうだ?」

「うーん、どれも関係のない資料で、それっぽい記述はどこにもないや・・・」

「まいったな、ここがダメならもう後がないぞ・・・本人が生きてりゃあの手この手で聞きだせるのに、とっくの昔に死んでんじゃ流石の俺もお手上げだぜ。」


 クロハは肩をすくめてこれ以上収穫が見込めそうにないノートパソコンを閉じ、城戸が探した書類の方に見落としがないか精査したが、結果は変わらなかった。


「どうだった?」

「うんにゃ、さっぱり。部屋が残ってるから証拠も残ってるかと思ったのは早計だったか・・・?」

「もっとよく探してみようよ、もしかしたら意外な所にあるかもしれないし。」

「そうだな、もうこうなったら部屋中のものひっくり返してでも探しあててやる!」


 クロハは袖をまくって気合を入れ直し、改めて部屋中を探し回った。ちゃぶ台の隣にある棚の引き出し、カーペットの裏、ベッドの下、冷蔵庫――中身は全て滋養ドリンクばかりだった――の中、水洗便所のタンクの中、エトセトラ。

 その間に、城戸は使われていない押し入れの中を探すことにしたが、ベッドを使っているので当然布団類などはなく、代わりに大きな木の箱が置いてあっただけだった。

 箱はずっしりと重く、丁度がすっぽり入りそうなサイズだった。


「なんだろう、これ・・・」


 中身を確かめようとあちこち触ってみた所、箱の上の部分はスライド式の蓋になっていることに気づいたので、城戸は早速蓋を開けて中身を確認した。しばしの空白の後、城戸はその中身に驚愕してうわあああ、と大声を上げてしまった。


「どうした!!」


 急いで駆け寄ってきたクロハの目の前には、驚きのあまり腰を抜かしている城戸と、思わず投げ出してしまった箱からのぞいているが転がっていた。


「ひ、人の・・・人の、頭・・・!!」


 確かにそれは人の頭ではあった、だが、クロハがそれを両手で持ち上げてよく見てみると、質感が人のそれと違って、やけにざらざらとしていた。白と黒でしか構成されていない眼球に、そして仄かに香るラテックス臭。


「・・・大丈夫、こりゃあ作りもんだ。・・・だが、どうもただのマネキンとはわけが違いそうだぞ・・・」

「ど、どういうこと・・・?」

「疑似網膜で軽く走査したらこいつ、どうもコンピューターを内蔵していると見た。しかも、のど辺りにスピーカーが内蔵されているとなると、どうも喋れるっぽいな・・・」

「しゃ、喋れるって・・・!?」

「まあ見てな、今から起動してみる。もしかしたら何か手掛かりがあるかもしれねえ。」


 そういうと、クロハはうなじの付近をまさぐって起動スイッチを探し当て、カチリと押下して生首に内蔵されているコンピューターを起動した。それと同時に、生首の瞳に光がともり、しばらくぎょろぎょろと動かした後、口をパクパクと動かしてノイズ交じりに言葉をしゃべり始めた。


「あ・あ・ああ・・・わた・し、は・・・も、ろ、あき、の・・・」

「ノイズがひどいな、こういう時は・・・」


 クロハはまるで大昔のテレビの砂嵐画面を治すときよろしく、完璧な入射角で生首をぶったたいた。ガン、と鈍い金属音が響く。


「あ、アナクロ・・・」

「時にはそういうやり方の方がかえって楽な場合もある。」


 生首はさっきより明瞭な声で話し出した。


「ずいぶん礼儀正しい挨拶だな。さて、君たちが私を起動しにここへやってきたという事は、計画は順調に推移している、という事かな?」

「わざわざ自分を目覚めさせてくれる奴が来るまで部屋を検視団に現状維持させたのか?好きもんだねえ・・・」

「おおむね正解だが、正確には依頼主は私ではなく諸明だ。私はあくまでも諸明の生前の記憶データーを基に思考プロセスをまねただけのトーキング・ヘッド。私は死者と化した彼の思考を伝えるメッセンジャーとしての役割しかない・・・」

「だいぶ饒舌になってきたな、ではメッセンジャー、今から俺たちの質問する事柄に、全部正直に答えると保証しろ。なるべく簡潔にな。」

「・・・記憶されている限りは。」


 それはとても奇妙な光景であった。死者の思考をまねた喋る生首と、宇宙からやってきた半機械人間サイボーグが大真面目に質疑を交わしている姿は、他のどこへ行こうとも拝むことは出来ないであろう。だが、ことがことだけに城戸はそれをかたずをのんで見守ることしか出来なかった。

 クロハの質問に生首は意外にもすらすらと答えた。しかし、NOAHに紐づいた感情抑制プログラムの件については、クロハの予想を一部否定した。


「君の予想はおおむね当たっているが、あれが抑制するものは感情ではなく、理性だ、人間が日ごろ理性と言う重しで押さえつけている感情的な衝動を増幅させ、それを意のままに操るプログラムにすぎない。本当なら君の言うとおりの物を私一人だけで作りたかったが、いまひとつ技術が足りなかったし、流石に政治家たちの目をごまかすことは出来なかった・・・」

「そこへ、検視団がお前に近づいたと?」

「そうだ。彼らは私の意図をたやすく見抜き、そのうえで協力を申し出たのだ。それからは何もかもが怖いくらいにうまく進んだよ・・・彼らがいったいどういう組織なのか私は知らぬままこの世を去ってしまったが、少なくともこの国、いやこの星で一番技術とそれに見合った権力を持ち合わせている団体だ・・・私でさえも彼らの前では井の中の蛙にすぎぬのだからな。」

「奴らの協力を経て、NOAHとそのプログラムを作り上げ、公務員の殆どに義務付けられているワクチン定期接種にかこつけて伝番させた・・・と?」

「その通りだ。彼らはこのプログラムをすでに完成させており、私はそれらをNOAHに紐づけるために調整するだけだった・・・話によれば、このプログラムは死体でも動かすことが出来るとも言っていたし、実際に死体がゴロゴロしている樹海でテストも行ったそうだ・・・。」

「!!」

「そ、それって・・・!!」


 城戸とクロハは驚愕のあまり顔を見合わせた。自分たちしか知らぬはずのあの樹海の一件を、まさか再び聞くことになるとは。あの時クロハが惜しくも紙一重で取り逃したものこそが、今回の事件の真の凶器であったのだ。そして今、その見えぬ凶器はこの国に広く伝番し、人間の体を借りて自由に動けるようになる日を今か今かと待っているのだ・・・あの時紙一重の差で装置を分解して逃げ出した男を捕まえられなかったことを、クロハはひどく後悔したが、今は少しでも情報が欲しい。彼はそのまま質問を続けた。


「聞くだけ無駄だと思うが一応聞く。そのプログラムの解除方法を知っているか?」

「・・・私のデーターには記録されてはいない。だが少なくとも諸明本人は知っていたことは保証する。だからこそ自死したのだ。NOAHをぶち壊しでもしない限りは止められないぞ。」

「では、これもまた無駄な質問だとは思うが・・・こんなことをするに至った動機は、何だ?」

「・・・残念ながら動機に至る細かい背景はやはり私のデーターには記録されてはいない。だが、わずかに残っている諸明の言葉を借りてあえて言うとするならば・・・これはあくまでも”治療行為”だ。」

「治療・・・だと?」


 生首は諸明の言葉を借りてこう語った。この社会が大小いざこざはあれどそのほとんどの部分が正常に機能しているのは、人々に良心が備わっているからだ。特にこの国は美徳意識の高さで見れば世界でもトップクラスである。だが、その良心はときに本来吐き出されるべき不満を押さえつける障壁になることがある。特に、たとえ人員やら報酬やらが削られても、無理解な人々になじられてもそう簡単にやめることが出来ない公僕やエッセンシャルワーカーたちは顕著である。

 無論、医者も同様だ。ずいぶん前のコロナとかいう感染症の騒ぎでは全くひどい目に遭ったとよく先人たちがぼやいていたのをよく覚えている。それでも彼らが公に奉ずるのは、彼らにそれだけの不満を押さえつける良心が備わっているからだ。いうなれば、この社会は今や彼らの良心に支えられていると言っても過言ではない。

 だが、何事も我慢は毒だ。そうだろう?

 良心とかいう一種の自己暗示状態を前提としなければ働けぬ者、そしてそれらの者がいなければ回らぬ社会など私から言わせれば病そのものだ。それもかなり重い。

だから私は、この重い病を患っている者たちを、社会を治療するための、特効薬を作ろうとしたのだ。良心と言う名の病気を取り除く、特効薬NOAHを・・・


「そして完成を見届けた後、あの謎の置手紙を残して飛び降りた・・・ってわけか・・・野郎、手の込んだマネしやがって。」

「なるほど、彼は飛び降りたのか。私が設計された時点で自死することは決めていたようだが、具体的な方法は私に記録しなかった。」


束の間、生首と二人の間に不気味な静寂が訪れた。ややあって口を開いたのは、城戸だった。


「く、狂ってる・・・社会をぶち壊す行為を治療と呼ぶだなんて・・・!」

「そうだ、私は狂気マッドにかぶれた医者ドクターだ。だが社会が病んでいることを知りつつ半ば放置してきた君たちは狂っていないと言い切れるのかね?」


城戸はこの生首に言い返してやりたくて仕方がなかった。だが、目の前の生首はあくまでもメッセンジャー。彼にどう切り返したところで、とっくにこの世を去っている諸明自身には届かないからだ。城戸は、とてももどかしかった。そして、再び訪れた静寂を破ったのは、生首の方であった。生首はクロハに向かって質問した。


「・・・質問はこれで終わりかね?では一つ、手前の君に質問してもいいかな?」

「なんだ。」

「・・・今日の日付を教えてもらいたい。」

「今日って・・・5月の25日だ、そろそろ21時になる。」

「・・・5月の・・・25日・・・ははははは!!」


突然、けたけたと笑い始めた生首に二人は一瞬身構えた。


「なにがおかしい!」

「いやはや、君たちは意外とのんびりなのだなと思うと、思わず笑ってしまった。いや、これでもまだ早い方ではあるか・・・」

「それはどういう意味だ。」

「君たちがどうやって乃亜病院とかかわったかは分からないが、おそらく君たちはそこで起った事件を調べていくうちにここへたどり着いたのだろう?」

「それがどうしたってんだ。」

「あの事件はいわば最終調整、いわば本格稼働前の動作確認だ。乃亜病院経由でばら撒いた例のプログラムは、最終調整が完全に終わった後、日付が変わり次第本格的に作動することになっている・・・これでもまだわからないか?」

「「・・・まさか!!」」


二人の顔から見る見るうちに血の気が引いた。事は自分たちの思ったよりも大幅に早いスピードで次の段階へと進んでいたのだ。それをよりによって実行まであと3時間と言うタイミングで知らされるとは・・・


「クロハ、急いで戻らないと!!」

「分かってる!畜生、俺たちは時間を使い過ぎちまった・・・!!」


あわただしく203号室を出ようとする二人に、生首は別れ際に捨て台詞を投げかけた。そして、シュウゥゥと言う音を最後に、生首は動かなくなった。


「ここから乃亜病院まではどんなに早く向かったとしても二時間はかかる。そして、夜の乃亜病院は思ったより手ごわいぞ。まあせいぜいあがくがいい・・・フフフ。」






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