第9話 狂宴の序章

 翌日の乃亜総合病院は混乱を極めていた。

 昨夜遅くに病院に務める看護師が狂って患者を殺そうとしたのだ。

 だが、この混乱はそれによって引き起こされたものではない。そんな事件が軽く思えてくるほどの死傷者が大量に運び込まれてきたからだ。


「いてえよお、いてえよお・・・」


 例えば、今病院の緊急搬送口に横付けされた救急車からガラガラと担架に乗って送り出されてきた、顔が血だらけあざだらけのこの男性は、昨日飲みまくった末の酔いが抜けずに、そのまま駅に向かって電車に乗ろうとしたら、少しだけICカードの運賃が足りなかったらしく改札からはじき出されてしまった。それを駅員に八つ当たりしていたら、突然その駅員が豹変して顔面に思いっきり打撃を受けて危く死にかけたという。幸い、同僚のバイトの係員と他の乗客に抑えられたので危く命までは取られなかったものの、いくら酔っていたとはいえ顔の半分が紫色になるくらいに殴るのはやりすぎである。


「終わりじゃ・・・この世の終わりじゃ・・・」


 治療を終えても休憩スペースのベンチでうずくまっている比較的軽傷な――と言っても頭部を数針ほど縫った――あの老人は、やはり今朝頃に自分が入居している国営介護施設で働く女性介護士が起こした些細なミスを注意した所、はじめは素直に謝っていた介護士が突然老人に対してどぎつい平手打ちをかましてしまった。さらに、それを皮切りとして数人の職員が彼女と共に行き過ぎた暴力を行使し始めたのだ。これはただ事ではないと感じた老人が急いで通報し、やってきた警察によって暴走した職員が取り押さえられたが、その時点ですでに5人が死亡、10人が重症、30人が軽傷という大惨事であった。その光景がどれだけ凄惨なものであったかは、それを思い起こすたびに震えて焦点が定まらない彼の瞳から容易に推測できる。


「うう・・・うう・・・」


 そして、包帯ぐるぐる巻きの頭を覆いながら彼氏と思われる一人の男性に寄り添っているこの女性は、朝っぱらから別れ話を切り出してきた彼氏との小競り合いが殴り合いへと白熱してしまい、それを見た通行人の通報によって警察に取り押さえられたのだが、警官のなだめ方が悪かったのか、彼女は警官の仲裁の言葉を自分に一方的に責任を擦り付ける言葉と解釈し、謝って警官に暴言を吐いてしまった。が、なんと警官はその言葉に暴力で返してしまった。暴力を取り締まるはずの警官が暴力で彼女を虐げている異常な光景を見て我に返った彼氏が鉄拳制裁をお見舞いしなければ彼女のけがは頭部だけではすまなかったろう。


「大丈夫、大丈夫。もう怖くないよ、いたかったね・・・」


 なんて調子よく猫なで声で彼女を慰めてはいるが、彼だって殴りつけていることには変わりない。しかし、自分を苦しめる敵から守ってくれたことも事実なので彼女は結局別れ話なんぞすっかり忘れて惚れ直したようで何よりであった。


 ・・・とまあこんな風に、まるで、深夜の病院で起った事件に続くように警察、消防士、バスや鉄道などのドライバー、果ては自衛隊でも同じような事件が断続的に発生していた。

 これらの事件の被害者は乗客やら同僚やらと種類は様々であるが、加害者は決まって先ほどの職種のような、社会のインフラを担い公共に奉仕する、所謂公僕の職に就く者ばかりであった。そして当然のように、皆己の暴力の行使を覚えていない。そのため、彼らを発狂たらしめた原因にいまだたどり着かないのも無理はなかった。


「刑務所は加害者で、病院は被害者で満杯。いったい、あの夜に何が起こったんだろう・・・」

「分からねえな、しかしおかげで、俺たちはこの病院の”本気”を見ることが出来るぜ・・・見ろよ。」


 クロハたちが見つめる先には、流石に日本最大級のシステマ病院と名乗るだけあって、雪だるまのように膨れ上がる被害者たちを無駄な動きひとつなく捌いていく医療従事機械人形メディクロイドの姿があった。

 乃亜総合病院は、世界で初めて本格的に医療ロボットを導入したり、微小構成体ナノマシンを用いた国家肝いりの感染抗体ワクチンを導入したり、つい1か月前に使用許可が下りたばかりの、軽傷程度ならたちどころに直してしまう有機治癒能力増進材ヒーリングペーストを使用したりなどかなり進んだ技術を使っている病院だ。しかし、そんな病院でも電力事情だけはいかんともしがたいようで、年々上がりっぱなしの電気代を少しでも節約するため――それと日々小遣いに餓えているフリーターのため――に、夜の監視だけは人間に任せているのだ。


「僕たちも何か手伝えれば、と思ったけど、あんなに完璧な動きをしている所へ出しゃばったらむしろ邪魔者扱いだよね・・・」

「その気持ちだけでもありがたいだろうよ、まあ、俺たちの仕事は夜の見回りだけだからな、金も十分もらったことだし、今日はもうずらかろうぜ。」

「そうだね・・・あ、ちょっと待って、トイレに行ってくる。」

「おう、俺は出口の前で待ってるぞ。」

「すぐ戻るからー」


 一階のトイレに駆け込んだ城戸が、用を足そうと個室トイレに入ってカギをかけた瞬間に、二人の男がどかどかと足音をたてて入ってきた。


「ったく、まさかガイシャ(被害者の意)の受け入れ先のこの病院でも似たようなことが起こってたなんてなあ、しかも加害者はみんな俺たち警察を含めた公僕ばかり、一体どうしちまったんだこの世の中は。」

「みんな、悪口を言われてかっとなったって言いましたけど、国営介護施設の時みたく、かっとなった程度で人をあんなにめちゃめちゃにできるんですかね?」


 どうやら二人は警察の人間らしかった。城戸は何とはなしに聞き耳を立ててみる。


「人間、良心を失うと何やらかすか分からないからな、特に俺ら公僕は同じ労働者なのに日ごろからいわれのない妬みつらみを表でも裏でも言われてる、カーッとなりたくなるくらい不平不満があるのもけして分からなくはないが。それを差し引いてもだ。今回の事件は不可解な部分が多すぎる。」

「調べで分かった、加害者が皆この病院で感染抗体を打ってもらった事実は証明できましたけど、それ以上の成果はあまり得られませんでしたね・・・」

「あとは、トレンチコートに山高帽の男、だっけか?がうろついてたくらいしかわからんかったなあ・・・この事件、迷宮入りになりそうだぜ・・・」

「出来ればこれっきりで終わってくれればいいんですけどね・・・もしかしたら、これは単なる序章に過ぎなくて、本当はもっと大掛かりな仕掛けがあるんじゃ・・・」

「動画配信の見過ぎだ、そんな世の中ドラマチックにできてねえよ、いくぞ。」


 二人の刑事は用を足すとすごすごとトイレを去っていった。本来なら捜査情報をこのようにべらべらと喋るのはあまり好ましくはないのだが、じっさい隠すほどの情報ではなかったので愚痴や小便と共に便所で流された格好だ。彼らが知りたいのはなぜ彼らが発狂したかであって、ただの事実の確認や怪しい恰好の男などそこら辺の駐在でも聞き取れる情報は要らないのだ。第一、トレンチコートと山高帽の男の情報なんてどこで役に立つのか。男たちの態度は暗にそれを物語っていたが・・・まさかその情報が役に立つ人物が、すぐ後ろにいたことまでは知らなかったのだ。


「トレンチコートに山高帽の男なんて・・・そんなの・・・奴らしかいないじゃないか・・・!!」


城戸は用を足しにきたことも忘れて一目散にトイレを飛び出し、病院の中を走り抜けて出口へと急いだ。エントランスの駐車スペースに黒い車を止めて待ちぼうけているクロハの姿を見るなり駆け寄っていく。


「クロハーー!!」

「おう、早かったな・・・どうした、そんなに息を上げて?」


とにかくすごい勢いで走ってきたため

「大変なことが分かったんだ、えと、えと、あれが、こうで、これが、ああで・・・」

「まて、まて、落ち着け、とにかく落ち着け、話は車の中でゆっくり聞く。さあ、乗れ。」

「うん!」


二人は車の中へ文字通り飛び乗ると、強くアクセルを踏み込んで大通りへと駆け出していった・・・


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