第6話 思い出の快速南三陸

―――現在―――


3月11日。50年前のこの日、私は妻を、妻になるはずだった人を失った。叶うのであれば、その時なぜか海を見ようと三陸方面へ行こうと妻を誘った自分を力いっぱいぶん殴ってでも止めてやりたいと思った。初めての地震、初めての津波、初めての被災・・・そして、初めて触った溺死体。あれから50年たった今でも行方が分からない人がいるらしいが、わずかながら残る行方不明者の生存の確立を信じながら生きるのと、目の前で死体と直面し彼女は死んだと現実を突きつけられて残りの人生を過ごすのは果たしてどちらが幸せだろうか。


彼女は私の全てだった。そんな彼女をあの日、気仙沼なんかに連れて行かなければ、今頃私の隣には彼女がいた。彼女は私が殺したようなものだ。悲しみのあまり私は何度も自分を殺めようとしたが、出来なかった。そんな勇気があればあの時とっくに死んでいた。彼女の両親がせめて僕を人殺しだ、お前のせいであの子は死んだと一思いになじってくれたら、一思いにできたかもしれない。しかし優しいあの子を育てた両親は、私を責めたりはせず、むしろ「貴方のせいではないのよ」とか「彼女の分まで生きてくれ」と慰めてくれたりした。・・・そのやさしさが、私にとっては何よりもつらかったのだ・・・


悲しみに明け暮れた末に、私はこう思うようになった。「もしもあの時過去に戻れたら、彼女を救えるかもしれない。」それが私が時空飛躍技術を研究するに至ったきっかけでもある。今では第一人者などと呼ばれているが、その理論を提唱した時には誰も耳を貸さなかったし、SF漫画の読み過ぎだと、研究予算もくれなかった。だが、状況が変わったのはわずか10年くらい前の事、検視団を名乗る団体が私に潤沢な予算と環境を約束してくれたおかげで、今こうして、タイムリープマシン「南三陸」の試験運用に漕ぎつけられたのだから、彼らには感謝しかない。


タイムリープするためには位置座標は勿論の事、時空座標なるものも設定しなくてはならないが、当然この機械は彼女に会いに行くために作ったマシンなので私は「time:2011:03:01」と入力してヘッドギアを付けた。まだ実験段階なので意識だけしか飛ばせないが、それで十分だ。それに、私の意識はもうここに戻ることもないのだから・・・と私は一人、マシンを起動して意識を過去へと飛ばした。


―――50年前――


エンジンの轟音で目が覚めると、私はどこか懐かしい香りのする列車内のリクライニングシートに座っていた。席の後ろにテーブルがついているタイプのシートで、私の前の席から展開したテーブルの上に載っている切符には「Wきっぷ 気仙沼~盛―仙台」の文字が書かれている。所謂お得な切符と言うやつで、往復で買うよりもこれを二セット買ったほうがお得と窓口の人が言うのでこれを購入したのだ。これが目の前にあるという事は・・・私は通路側に座っているから・・・窓側の席には・・・!!


彼女は隣にいた。あの時の変わらない姿で。窓にもたれかかりながら、移ろう景色をけだるげに見てうつらうつらとしている。これから君は死にに行くというのに・・・思い出の中よりも美しい彼女の横顔を見つめているうちに、私がこれまで失ってきた感情がよみがえるのを感じていると、私がずっとこっちを見続けていることに気づいた彼女がこちらを振り向いた。


「ん?どうしたの、ケイ君。」

「・・・キミ子・・・!!」


色々伝えたいことがあったが、私はそれを彼女の名前と大量の涙に変えて彼女に抱き着いた。やっと会えた・・・!放すもんか、このぬくもりを、この愛を、この瞬間を、もう二度と放すもんか・・・・!


「ちょ、ちょっとケイ君どうしたの?いきなり。」

「キミ子・・・キミ子・・・うう・・・君が、ある日突然いなくなって、それから僕は独りぼっちで生きて、おじいちゃんになる夢を見たんだ、それが、悲しくて、悲しくて・・・」

「もう、だからお酒はほどほどにしなさいって、弱いのに飲むからいけないのよ?」

「うーん、まいったよ、こんな悪夢見せられるくらいなら、もうお酒はこりごりだ。」


僕は笑った。彼女も笑った。そうだ、さっきまで見ていたのは酒に酔って見せられていた悪夢なのだ。この何気ない瞬間が、どれだけ尊く、素晴らしいものであったかに気づかされるくらいには私は悪夢を長く見過ぎていたのだ。そして今、私はその悪夢への”分岐点”に長い時間をかけて舞い戻った。列車の車窓に「柳津」と言う文字が流れた瞬間に、僕は意を決して彼女に旅行中止を提案した。


「ええーっ、せっかくここまで来たのに?そもそも、ケイ君が冬に海を見ようって言いだしたからここまで来たんじゃん」

「うん、ごめんね。振り回してばっかりで。この列車の終点で一ノ関行きに乗り換えられるから、それで新幹線までもどって盛岡にいこう。お金は全部僕が出すからさ。」


気仙沼から一ノ関を経由して盛岡に行くとなればそこそこの値段はかかるが、”分岐点”へたどり着くまでにかかった時間と経費を考えれば誤差にしかならない。頼み込んだ末、中止までは持ってはいけなかったものの、僕は彼女に盛岡でうーんと美味しいものをおごるという条件下のもとに行き先の変更をすることが出来た。通りがかった車掌を呼びつけて気仙沼からの切符も買い付けたし、あとはこの気仙沼線快速南三陸号が終点まで着くのを待つばかりだ。これでいい。これで、私は悪夢から解放される・・・そう安堵した私は、思わずまどろんで再び眠りに落ちてしまった。


「切符の拝見を行います、切符の拝見を行います。」


車掌の声で目が覚めた私は、列車がまだ終点についておらず、どうやら「柳津」という駅で止まっているらしいことに気づいた。この気仙沼線は線路が一つしかないので、この通り駅で対向列車とのすれ違いのために止まることがあるのだ。私はもう一度眠りにつこうとしたが、目の前の車掌にそれを遮られた。


「失礼、お客様は当列車の乗客ではありませんね?」


この車掌は何を言っているのだろうか?切符は先ほど見せたはずだし、何なら気仙沼からの新しい切符の精算も済んだはずだ、と私は抗議した。


「いいえ、お客様は・・・あんたは”今日この日”の乗客ではない。俺にはそれが分かるんだ。」

「な、何を言って・・・」

「2011年3月11日に時空移動して、自分の身の回りに起こった悲劇を回避できないかと考えるやつ、よくいるんだよな。だがあんたのように実際に行動に起こす奴は流石に初めてだぜ。そして到底あんた一人で達成できるもんじゃない・・・検視団だろ?」


何という事だ。まさか自分の他にも時間遡行が出来るものがいたというのか。しかもどうやら私の背後関係を知っている者らしい。嫌な予感がした私は、即座に彼女を連れてその場から逃げようとした。だが・・・


「おい、キミ子、キミ子・・・!!」


彼女はあれからずっと窓の外を見ながら、まるで再生途中のビデオのように”停止”していた。彼女だけではない。自分の左腕にはめている腕時計も、自分たち以外の乗客も、何ならこの列車、この駅、この路線、世界の全ての時が停止しているのだ!

恐る恐る車掌の方に向き直った時、彼はもう車掌ではなかった。革ジャンにジーンズをはいたその男は、右手に砂時計のようなものを持っている。


「こいつは便利な砂時計でな、時の流れを錆びつかせて止めてしまうからサビスナドケイ、なんて呼ばれてる。ただし・・・この時計以外の”時空座標”が違うものに至ってはその効力が発揮できない、だからあんたのような時間遡行者を簡単に炙り出すにはうってつけってわけだ。」

「お、お前はいったい何者だ!」

「お前を元の時空へ連れ戻す者だ。さあ、帰るぞ。」


冗談じゃない。ここまで来ておきながら、もとの時空に帰れだと。私は停止した彼女を抱きしめて、いやだ、帰らないぞと言い放った。


「私は、これから彼女を救おうとしているのだ!無念の死を遂げるものを救うことがなぜいけない!?」

「理由の良し悪しに関係なく、時空の流れを変えるのは禁じられている。決して感化できるものではない。諸々の修正は俺がやっておくから、さあ。」

「嫌だ、嫌だ、嫌だ!」


私は停止している彼女にしがみついててこでも動こうとしなかった。年取るとこれだから困るんだよな、なんてため息交じりの声が聞こえるが、構うもんか。


「頼む、お願いだ、このまま見逃してくれ、私はここまで来るのにだいぶ苦労した、キミ子に会う事だけを一心に考えてやっとたどり着いた分岐点なんだ、頼む・・・私はもう、キミ子無しで生きる人生にに・・・耐えられないんだ!!」

「・・・」

「彼女だけじゃない・・・彼女の体の中には、命が二つあったんだ・・・ここに来る一か月前に分かったことだ、まだ人間の形をしていなかったかもしれない。でも・・・でも・・・私がこの日三陸に行こうなんて言わなければ・・・彼女も・・・彼女の中の小さな命も・・・失われることはなかったんだ・・・!!」


いつの間にか私の顔は涙でぐじゅぐじゅになっていた。そして私は立ちすくむ彼に何度も懇願した。


「頼む、頼む、見逃してくれ、頼む、頼む、お金も地位も名誉も何もいらない、私はただ彼女のそばにいられればいい、それだけなんだ、頼む、頼む・・・」


突然、私は襟首をぐいとつかまれて無理やり立たされた。目の前には彼の顔がある。彼の瞳には怒気がこもっていた。


「いい加減にしやがれ!!あの震災で、悲しい思いをしたのはてめえだけと思うな!!」


そして私は突き放された。


「あの震災で、大事な人どころか、家族や友人を大勢失ったやつだけでも枚挙にいとまがない、その中には少なからず自分が原因で相手を死なせてしまったと嘆き、苦しみ、悔やんでるやつらも大勢いるんだ!・・・だがな、そいつらはその事実をどうにか受け止めて、乗り越えて、前を向いて今までやってきたんだ、お前が今やっていることは、そいつらに対する侮辱だ、それはお前自身も分かっているはずだ、いい加減後ろばっか見るのをやめて前を向きやがれ!!」

「言うだけならタダだ!!お前には分かりっこないんだ!!自分のせいで、大切な相手の人生を台無しにしてしまった、死なせてしまったそんな経験がないからそんなことが言えるんだろう!!」

「・・・分かるさ・・・痛いほどにな・・・だからこそ許せねえんだ、あんたを、あんたのしようとしていることを・・・!!」


怒気を含んだ、彼の瞳は、その言葉を言った瞬間に、どこか遠くを見つめるような、悲しく、寂しい色を帯びたように思えた。その目は、かつて彼女を失った時に自分がしていた目の色とうり二つであった。それが何よりの証明であった。きっと彼もその目に、彼が彼自身のせいで失った大切な人を映しているのだろう、と。


「それに、あんたの彼女さん、過去にばっかり執着しているあんたの姿よりも、自分を失っても、懸命に今を生き抜こうとするあんたの姿の方が見たいと思うぜ。」


目線を合わせて話しかけてきた彼は、私の肩に手を置いた。


「検視団の手を借りたとはいえ、彼女さんに会いたくて、タイムリープマシンとかいうすげえものを完成させた、あんたはすげえよ。思いっきり戻れることが出来るなら、思いっきり進むことも、あんたは出来るんじゃないか?、いや、出来るよ、あんたなら。だからさ、生きることをもっと頑張ってみようぜ。」

「うう・・・うう・・・・うああああ!!」


私は泣き崩れた。私も心の中で過去に戻るだけでいいのか、と薄々感じていたからこそ、彼の言葉が響いたのかもしれない。それに、もし彼女がこの場にいたなら、きっとそう言って私を激励してくれるにちがいないだろうから。私が50年前のあの時本当に欲しかった言葉を、彼は彼女の代わりに言ってくれたのだ・・・


そして、私は決意した。もう後は振り返らない。前を向いて生きよう。現在に戻れば私はエネルギー溢れる若者から年老いた老人になるが、始めるのに遅すぎることはないのだ。・・・ただ・・・


「最後に、・・・一回だけ、彼女と話させてくれないか。」

「うーん、本当はこれ以上の時間改変は重大な・・・おっと、目が、目になんかゴミが入った!うわー、これでは前が見えないなー、この状態だとサビスナドケイを10秒だけ動かして目のごみをどかさないといけないなー、その間にどんなことしても見逃しちゃいそうだなー・・・」


そう言うと、彼はわざとらしく目を覆ってサビスナドケイとやらの時間停止を解除した。彼はどうやら思ったより話の分かる男らしい。そして全ての時間が動き出した瞬間に、私は彼女の名を呼んだ。


「キミ子。」

「ん?なあに?」

「愛してるよ・・・ずっと。」


私は、彼女に抱き着いて、制限時間いっぱいに、彼女と熱い口づけを交わした。たかが10秒ではあったが、私にとっては永遠ともとれる10秒であった。やがて、バシュウウウと言う音と共に、私の視界を白い光が満たしていく・・・どうやら別れの時が来たらしい。さよなら。キミ子。


―――現在―――


気が付くと、私は現在の時空に戻っていた。私が座っていた場所を除いて、マシンやら施設やらは全て跡形もなくなっていた。ヘッドギアを脱いだ瞬間、マシンは音を立てて崩壊した。彼女にはもう会えなくなったが、これでいいのだ。これでよかったのだ。そして私は、ついさっきまで私の研究所があった場所から歩き出した。前へ。前へ・・・


・・・


「クロハ、これで本当に良かったの?」

「ああ、あいつはやっと過去に背を向けて、前に進むことが出来たんだ。」


かつて気仙沼線だった路盤の上に立つ城戸とクロハの二人は、前に向かって歩き出した一人の老人と、その向こうに見える三陸の海を見下ろしていた。そして、50年目の3月11日14時46分がやってきたとき、二人は静かに合掌して、海の方へと黙とうをささげたのだった。



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