シラセはただ知らせるだけです

 うまく理解ができない。

 どんなに深呼吸をしても思考が回らない。

 酸素が足りないのではない。

 脳が理解を拒否している。





「……死神?」

 思考回路が停止してようやく捻り出した言葉がそれだった。

 シラセは頭を左右に振り、否定する。


「なら何? 突然現れて三十秒後に死ぬって」

「シラセはただ知らせるだけです」

「意味が分からない。ここだって今は存在しない景色で、雪なんてまだどこも降ってない」


 シラセの顔が少し紅潮する。

「お気付きのようで何よりです。ここはあなたの精神世界。現実とは切り離された現実です。まばたきの一瞬と思っていただいて問題ありません」

「でもそんな」

 視線を落とすといつの間にか握りしめていた手が見えた。餃子を触って粉の付いた手がこれが現実であることを物語っている。


 そして気づいた。

 いつもの部屋着のはずなのに雪に紛れてか白く見える。よく見れば手も白い。今までの人生で見たことのない肌の白さだった。爪も前髪も白い。

「この雪、色を吸うんです。色っていうのは感情ですね。冷静になれます」

 そう言われるといつになく頭が冴えている。さっきまであった混乱や不安、恐怖や焦りといった感情が抜け落ちたように清々しい。


 レイは考える。

 しかし、今朝から思い返せば良いのか数ヵ月前から思い返せば良いのか、それすら見当がつかなかった。

 どうせ知らせてくれるならもっと早く言ってくれれば良いのに……。

「死ぬ前にやりたいことリストがあっても何もできないな」

「そうですよね」シラセはポツリと雪に溶け入りそうな声で呟き、

「死ぬ前にやりたいことリストは、余命が宣告される病や自身の寿命を悟った人にしか真の意味では有効ではありません」

 と続ける。申し訳なさそうなその顔にレイの胸の奥はチクリと痛んだ。

「ずっと意味のないリスト作って満足してたなんて」

「そんなことは……」

「残り三十秒、短すぎて親に感謝も伝えられない……」

 レイは柄にもなくそんなことを呟いていた。


 実際、母と電話したのなんて何年前になるだろうか。帰省も面倒がってしなかった。

 あんなに嫌だった平均ど真ん中の普通な家でも、今は幸福だったと分かる。

 母の作る何かの炒め物が並ぶ食卓すら今は懐かしい。あの微妙な味も絶妙だと思える。

 父の凍えるようなダジャレも掴み合いの兄弟喧嘩も、面と向かっては言えないが愛しい。

 胸が締め付けられ、目の奥が熱くなる。唇が震えそうなのをキュッと力を入れて堪える。

「感傷中すみません。親御さんへの感謝なら多分できますよ。そのリストを使えば」

「へ?」

 思ったよりマヌケな声が出た。

「そのリストに書けば良いんです。クッキー缶のような缶に入れて置けば、きっと遺族が見つけてくれますよ」

 シラセがにっこりと笑う。


 途端にレイの涙腺が決壊した。

「イゾク……嫌だ~死にだぐない~」

 顔中から涙を流すように泣きじゃくった。水色だった部屋着のトレーナーも今は濡れて青くなる。


「そう、それです! その意気です。最期まで足掻き、乗り越えましょう」

「え、できるの?」

 レイは赤くなった鼻をスンとすすり、嗚咽を呑み込んだ。赤い目はまっすぐにシラセを捕らえて離さない。


「もちろんです。予定は未定ですから」

 シラセは誇らしげに胸を張る。


「ただあなたには考察してもらわなければなりません」

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