第24話 氷姫、やっっっっと自覚する&二度目の事故

「東雲ちゃんさ、変わったよね。かなり」


 お洋服を選んで貰っていると。店員さんがふと、私にそんな事を言ってきた。


「……そうでしょうか?」

「何から何まで変わってるよ。一番大きく変わったのは……雰囲気かな」


 雰囲気。そう言われてもよく分からない。

 どう変わったんだろう、と考えていると。店員さんが教えてくれた。


「前よりずっと柔らかい感じになってる、って言えば良いかな? ……それと」


 店員さんが耳に口を寄せてきた。



「彼と距離がびっくりするぐらい縮んでる。……まるで、誰かに取られたくないって言いたそうに」

「……!」


 私は思わず跳ねてしまった。


 ……ばれてた。


「う、嘘ですよね?」

「……嘘、ねぇ? もしかして無意識だった? 彼が私と話してる間、ずっと彼の服の裾握ってたけど」

「え!?」

 そ、そうだっけ。……確かに、途中で彼の袖を引いてしまったけど。


「無意識だったかー。……ちなみにもう付き合ってたり?」

「……し、してません」


 どうにか否定した。しかし、自分でもびっくりするくらい小さな声だった。


「ふんふん、なるほどね?」


 何かを納得したように頷く店員さん。何を納得したのかは分からないけど……。

 この人なら。少しくらい相談しても良いだろうか。


「あ、あの。一つよろしいでしょうか」

「ん? なんだい? なんでも聞いてごらん」


 私はじっと店員さんを見て。


「こ、恋って。どんな感じなんでしょうか」


 そう聞いた。

 店員さんはきょとんとした顔をした後に……ふふ、と笑った。


「恋、ね。ちょっと難しいかな」

「ご、ごめんなさい。変な事を聞いてしまって」

「あ、ううん。いいんだけどね。……でも恋かぁ。そうだね」


 一つ。店員さんは指を立てた。


「例えば。一緒に居て心臓がドキドキする」


「ふむふむ」


 私が頷くと、店員さんが二つ目の指を立てる。


「例えば。ずっと彼の事を考えてしまう」

「……なるほど」


 私がまた頷くと。店員さんが三つ目の指を立てた。


「例えば。彼とずっと一緒に居たいと考えてしまう、とかね?」

「ぅ、あ……」



 そこまで聞いて。私はどうにか我慢していたけど……耐えきれず。

 熱くなった頬を手で覆った。それを見て店員さんがニヤリと笑う。


「思い当たる節、あった感じかな?」

「…………はぃ」


 前までは。大丈夫だった。

 最近、海以君と居ると。少しドキドキして。でも、心地よくて。色々と分からなくなっていた。


 家に帰っても、ずっと海以君の事で頭がいっぱいになって。今日の電話では何を話そうかと考えて、そうしていると頬が緩んで。


 ……ぅ。


 だめだ。目を瞑ると海以君の事を考えてしまう。


 ……しかし。こうなってしまったら。やるしかないのだろう。


「……店員さん」

「なんだいなんだい?」


 良くない事だ。元々私が望んでいた未来と大きく変わってしまうかもしれないけど、


 中途半端が、一番良くない結果になってしまう。

 私も海以君も傷ついて終わってしまう事になる。


 ――だから。


「相談したい事があるんです」


 変わりたい。変わらなきゃ、いけない。


 そう、心から思った。


 ◆◇◆


「こ、こちらはどうでしょうか?」


 シャアアア、とカーテンが開くと。東雲の姿はまた一新されていた。


 真っ白で厚手のブラウスに茶色のロングスカート。シンプルながらも地味では無い。……恐らく、東雲の容姿が目立ちすぎるからだろう。


「い、良いと思うぞ」

「もー、違う違う。ほらほら、恥ずかしがらない!」

「あ、あの……無理して褒めなくても」

「む、無理はしてない。その、可愛いぞ。普段の目を惹く容姿ではなく、落ち着いていて。でも、自然と目を引き寄せられるような。大人っぽくて、可愛いと思う」


 俺がそう言うと、東雲は「そ、そうですか」と言いながら……えへへと笑った。


「じゃあこれと……さっきの物を買います」

「はーい。まいどありー」


 おしゃれな服飾店に似合わない声が響き。……そして、東雲は服を買った。


「ふふ。今までお小遣いを貯めておいた甲斐がありました」

「……凄い額が貯まっていそうだな」


 思わずそう言ってしまうと。東雲はふふんと自慢げに笑う。


「まだまだたっくさん海以君と遊べますし。いっぱいご飯も作れるくらい残ってますから。安心してくださいね」

「……ああ」


 東雲と食事は折半している。本当なら俺が出すべきだし、何度もそう伝えたが。東雲は聞かなかった。


『一緒にご飯を食べるんですから。どちらかに負担をかけるのはやめましょう』と。


 ……その言葉のお陰で、平日毎日作ってくれるお弁当代も出せる訳だが。あの時の東雲は珍しく『やってしまいました』みたいな顔をしていた。


「さて、それじゃあ行きましょうか」

「……そういえば。今日は茶道の日じゃないのか?」


 確か、先週はそうだったはずで。先生が熱で休んだとか言っていたような気がする。


「それが、先生のお子さんに風邪を伝染してしまったらしく。今日までお休みなんですよ。……ですが、少し自習をしたいので。今日の所は海以君のお家、行けません。申し訳ありません」

「いや、謝る必要なんかない。めちゃくちゃ助かってるし、そんな図々しい事言えないからな」


 そう会話をしながら、俺達は電車へと乗り込んだ。それにしても……


「今日は一段と人が多いな」


 見れば、スーツを着けたサラリーマンらしき人が多い。帰宅ラッシュ……とまでは行かないが、もう十分遅い時間だったからだろう。


「悪い、東雲。少し体勢変えるぞ」

「あ、はい。分かりました」


 普段は横並びだが。今日は東雲と向き合う形になる。

 ……近くに男の人が多いからだ。東雲はまだ男性が怖いと感じている。


 以前よりは良くなったらしいが、まだ近くに男性が来るとそわそわするし……少し、怯えた表情を見せる。


 だから、こうして人が多い時は東雲を守るように体勢を変えるのだ。


 すぐ目の前に、東雲の顔がある。真っ白な肌と海底のように蒼い瞳。

 その髪は肌よりも白く、絹のような手触りである。ほんのりと甘い匂いに鼻腔がくすぐられる。


 ……平常心を保て、俺。


 背中から感じる圧力に耐えながら、俺は何か話そうか口を開こうとした。


 次の瞬間。


「うおっ」

「きゃっ」


 ガタッと電車が揺れた。いつかの時のように。

 そして、背中に強くドンと当たられ。俺は前のめりになり……


 どうにか、壁に腕を着いて耐えた。しかし。勢いよく当たってしまい、ビリッとした痛みに顔を顰めてしまう。


「だ、大丈夫ですか!?」

「あ、ああ。だい、じょうぶだ」


 どうにか表情を戻してそう言うも……東雲には見抜かれていたらしい。

 東雲は少しだけ怒った顔をした。


「……それにしては、随分痛そうに見えますよ」


 じっと俺の腕を見て。……改めて、俺を見た。

 その顔は少し赤くなっていて。


「海以君」

 俺の名を呼び。意を決したように、口を開いた。


「腕、どけてください」


 その言葉に俺は思わず、戸惑ってしまう。


「い、いや。しかし、こうしなければ……」

「構いません。……私に体重、預けてください」


 東雲はまっすぐ、俺にそう告げてきた。俺は迷う。……本当に良いのかどうか。


「……早くしてください。脇腹つんつんしちゃいますよ?」


 少しふざけたように言う東雲。俺も思わず空気が抜けるような笑い方をしてしまう。


「……じゃあ、どけるぞ」

「はい。……どんとこいです」


 そのまま、少し痛む腕をどけ――


 ガタンッ


 電車がまた揺れた。同時に俺は、背中を強く押された。



「――あ」


 東雲の顔が。すぐ目の前に迫った。


 視界全体にその瞳が映り、その鼻に鼻が触れる。


 ……互いの吐息がかかる程、顔が近づいてきた。



 そのまま――



 俺はギリギリで、顔をずらせた。


 俺の唇に一瞬柔らかい物が触れ……反対に。俺の頬に柔らかい物が触れた。


 そのまま、俺はどうにか東雲の顔の横に顔を置く。


 全身が密着する。酷く、甘い匂いが鼻を突き抜けて脳を揺さぶり。正常な思考が出来なくなる。

 ……彼女の主張の強いそれが、俺の胸で押し潰されていた。



「……。……」


 謝らないといけないのに、口を開いても言葉が出てこない。甘い匂いで口の中まで甘くなったような錯覚を覚え、破裂しそうな程に心臓が高鳴る。


 それは完全に、東雲にもバレているだろう。そのはずだ。


 その時。俺は違和感を覚えた。


 自分の鼓動が二重に聞こえたのだ、遅れて俺はその意味に気づく。


 東雲も激しく心臓の鼓動を奏でていたのだ。


 トクトクと。早く鳴る心臓がダイレクトに伝わってくる。

 これは、まずい。俺はそう思って下ろした腕を上げ、壁に手をつこうとすると……


「……し、東雲?」

「……だめ、です。無理はよく、ありませんから――」


 東雲の腕が。俺の背中に回された。



「う、動けないようにしちゃいます」



 そんな声がぼそりと耳に届く。ゾワゾワとした快楽が背筋を蝕み。全身が、暖かく包まれた。



「こ、これは、さすがに……」

「で、ですが。こうでもしないと、海以君。無理しちゃいますから……それと」


 東雲の柔らかな鈴のような声が。まるで鼓膜が溶けたような錯覚が。俺の心を、脳を揺さぶる。


「……私、嫌じゃありません。海以君と、触れ合うのは」


 俺は東雲に顔を見られない位置で良かったと……心から思った。

 俺は腕の力を抜き。……そっと、背中に回す。東雲はピクリとした後に。クスリと笑った。


「私、結構あまえんぼなのかもしれません。……すっごくドキドキしてるのに。少し、安心しちゃってます」

「……そうか」

「はい」


「……俺もだ」


 小さく呟くと、東雲の息を飲むような音が聞こえ。


 続いて、小さく笑う声が耳に届いた。



 俺の心は……かつてない程に揺さぶられたのだった。

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