第2話 隣町の氷姫は距離感がバグっている

「なあおい、知ってるか?」

「知らないな」

「冷たくないか? 隣の高校の氷姫かよ――あ」

「氷姫?」


 俺がそう聞き返すと、瑛二は「まずっ」と声を漏らした。

 そのままじっと見届けると……観念した様子で瑛二ははあ、とため息を吐いた。


「お前の大好きな彼女だよ」

 ……?


 ……ああ。


「電車のあの子の事か? 好きとか嫌いとか、そういうのではないんだが。……というか、氷姫なんて呼ばれてるのか?」

「……ああ。お前の夢を壊すつもりは無かったんだがな? 良いか? 隣の高校の氷姫ってのは〜〜」


 そうして、瑛二は一つ一つ説明をしてくれた。


 氷姫。


 その視線は鋭く、表情も硬い。男子も女子も、話しかけた人は皆その鋭い視線にやられてしまう。何でも、家も上流階級らしく、話しかけに行ける人自体稀である。

 何者をも寄せ付けない。その見た目も相まって、ついたあだ名が【氷姫】と。


「お前の言ってた見た目でピンと来たのよ。話しかける訳でも無いだろうし、それなら妄想の中に居させといた方が良いかなって」

「なるほどな……まあ、その、なんだ。気遣いは助かる」


 しかし……表情が変わらない、か。


 それだけ辛い出来事だったのだろう。自分を取り繕えなくなるくらいには。


 ……取り繕う云々が彼女に取って良い事なのかは置いておこう。優先順位を見誤るな。

 今は、彼女の恐怖心を増幅させない事が一番なのだから。


 ◆◆◆


 朝。俺は電車に乗る。普段は奥の方へ詰めるのだが、今日は違う。

 出入口の近くに居て、毎回降りる人の場所を作るために降り、入ってを繰り返す。


 そうして……何駅か後。入り込んできた少女へと声をかける。


「東雲」

「……あ」

 彼女は俺を見つけるや否や。傍へと近寄ってきた。


 そして。俺は彼女と共に、隅の方へと移動し、壁の方に彼女を。そして、その前に自分を置いた。


「……ありがとう、ございます」

「気にしないでくれ」


 さりげなく……男にぶつからないよう配慮していたのがバレたのだろう。

 俺は一言言った後、押し黙る。


 場に沈黙が訪れる。……まあ、俺は居て欲しいと言われただけだ。後は自由にしても良いのだろう。というかするべきだろう。変に話しかけて困らせる訳にもいかないし。


「……あの、海以みのり君」

 しかし、俺のそんな考えは打ち砕かれた。


「……なんだ?」

「えっと、嫌だったらごめんなさい。私、あんまり人と話した事が無かったんです。……良ければ、人と話す特訓をしたいんですけど」


 おお、また随分と正直だな。まあ、これも特に断る理由も無い。


「別に構わないぞ」

「ありがとうございます」

 そうして彼女は会釈をして。


 沈黙が訪れた。


「……お話って何を話せば良いのでしょう」


 俺は思わずずっこけそうになった。


「ま、まあ。慣れてないんだよな。かと言って俺も慣れてる訳じゃないしな……。ああ、そうだ。趣味とかあるのか?」

「華道を少々……それと茶道、日本舞踊を嗜む程度に」

「おぉ……」

 なんか凄い事言ってる。そういえば、家はかなり位が高いみたいな噂があるんだっけか。


「……海以君は何かご趣味は?」

「俺か。一応アニメとか読書だな。読書、と言ってもライトノベルとかなんだが」

「アニメ……ですか。私はあまり見た事ありませんね」


 また、場に沈黙が訪れる。俺達会話下手すぎないか。


「……ええと、そうだ。茶道や華道、日本舞踊ってやるようになったキッカケとかあるのか?」

「親から言われた習い事ですね。最初はつまらないと感じていましたが。やってみると趣深く感じられまして。小学生の頃からその道に入り込みましたね。……生憎、人と話す際に盛り上がったりはしませんが」

「……なるほど」


 確かにそれらを趣味として上げる女子高生は少ないかもしれない。

「そういえば。部活はやっているのか?」

「先程言った茶道部ですね」

「さ、茶道部とかあるのか……」

「部員は私一人なので。どちらかと言えば同好会なのですが」

「な、なるほど……」


 先程から驚きっぱなしだ。茶道とか華道とか日本舞踊とか……テレビで見るようなもので、実際に見たことがない。


「そういう海以君はどうなんですか? 部活とか」

 すると、今度は東雲が俺を見て尋ねてきた。


「……悪いが帰宅部だな。毎日平凡な日常を過ごしているよ」

「平凡、ですか」

「ああ、平凡だな。The一般庶民みたいな暮らしをしているよ、俺は」


 そう言うと。……彼女は微笑んだ。

「……少し、羨ましいです」

「隣の芝は、って奴かもしれないぞ。……まあ、好きに生きてる自覚はあるが」


 部活でもしたら変わるのかもしれないが。俺としては今のままで丁度良い。

 ……こんな事、瑛二に聞かれたら怒られるかもしれないな。まあ、言葉にするつもりもないし。


「海以君は――」


 東雲は何かを言おうとしたが。その時、目的地に着いた。


「――いえ、なんでもありません。それでは、また明日」

「ああ、また明日」


 そうして。その日は終わったのだった。


 ◆◆◆


「お? なんだ? 今日機嫌良くないか?」

「……そうか? 気のせいじゃないか?」

 朝来て開口一番に。瑛二が俺にそう言ってきた。


「なんだなんだ? やっと好きな子でも出来たのか?」

「出来れば良いんだがな……」

「お、おお。すまん」

「そういう瑛二は彼女と上手くやってるのか?」

「もちろんよ。イチャイチャのラブラブよ」

「何よりだよ……」


 瑛二は彼女持ちである。中学の頃の同級生で、高校は違うが上手くやってるようだ。一応、俺も面識はあったりする。


「お前も早く彼女作れって。世界変わるぞ?」

「いや、今はいいかな」

「……そう言うなら良いんだけどよ。良かったら女の子紹介するぜ?」

「そのうちな」

 と、話して。また学校ではいつもの日常が過ぎていくのだった。


 ◆◆◆


「おはようございます」

「ああ、おはよう」


 今日もまた。一日が始まる。


「海以君。今日は何を話しましょう?」

「俺に振るのか……そうだな。学生らしく学業についてはどうだ?」

「悪くないですね」

 東雲のフリに俺はそう返すと。じっと彼女は俺を見つめてきた。


「あー。得意な教科とか苦手な教科はあるか?」

「得意なのは世界史や日本史ですね。話とか聞いていて面白いので。他も全般得意ですが……いえ。英語だけ苦手です。凄く」

 その言葉に俺は思わず目を丸くした。


「英語、出来ないのか?」

「……はい。お恥ずかしながら。道端で外国の方に話しかけられるとあたふたしてしまいます」


 ……俺は思わずふっ、と笑ってしまった。すると、東雲はほんの少しむすっとした表情を見せた。

「悪い。ギャップが凄くてな。……それじゃあ俺の事も話すか」

 少し申し訳ない気持ちもありながら。俺は口を開く。


「得意なのは英語。苦手なのは古典だな」

「……古典、苦手なんですか?」


 東雲が意外だと言いたげに目を丸くした。


「ああ。昔の人が考えてる事の理解が及ばなくてな。他だと物理とかの理科系の科目も苦手だ」

「なるほど……古典は確かに今と価値観が違いますからね。時代によっても変化しますし。……良ければお教えしましょうか? 教科書があるなら、ですが」

「良いのか?」

「はい。……お勉強を人に教える事はありませんでしたが。少しくらいならお力添えになれるかと」


 いつものお礼、という事なのだろうか。


 ここで断ると逆に気を使わせるかもしれない。


「それなら頼もうかな。今日はもう時間が無いから明日にでも」

「……もう、着いてしまうんですね」


 俺の言葉にそう呟いた東雲は……。


 ほんの少しだけ。寂しそうな表情を見せたような気がした。しかし、気がつけばすぐに元の無表情へと戻っていた。


 俺の気のせい、だろう。恐らく。


「それでは、また明日」

「ああ、また明日」


 東雲はそして。電車から去っていった。


 ◆◆◆


「……はぁ」

「どうしたんだ? 瑛二。ため息なんて吐いて」

「いやよ。中間テストまで一ヶ月切っただろ? もう憂鬱でしょうがなくてよ」

「……そうか?」

「俺は大丈夫なんだが……彼女がな」

「あー……そういえば言っていたな」


 瑛二の彼女が勉強が出来ないらしい。赤点ギリギリであり、いつも教えるのが大変だと。


「まあ、どうせ青春の一つになるだろ。彼女に勉強を教えるなんて」

「それはそうなんだがな。真面目じゃない訳では無いし。なんならご褒美の設定とかも出来るぞ? テスト終わりに色々出来るし」

「……遠回しに自慢してないか?」

「さあな」


 笑う瑛二を見て確信犯だなと思いながらも。俺はため息を吐いた。


「素は良いんだから彼女の一人くらい出来そうなもんなんだけどな」

「本当に良ければもう出来てるだろうよ」

「ははっ。それは間違いねえか」


 そうして笑う瑛二へ俺はまた、ため息を吐くのだった。


 ◆◆◆


「そちらの意味はですね……」


 朝。俺は東雲から勉強を教わるようになっていた。

 科目は最初は古典のみであったが、次第に教科は増えていき。今では英語以外のほとんどの教科を教えて貰っていた。


「それと、ここはですね……」


 俺としては悪いとも思ったのだが。『思っていたより教えるのが楽しいんです』と言われ、本当に楽しそうにしていたから……俺はこうして教えて貰っている。


 だがしかし。一つ問題があった。


 距離が近いのだ。かなり。


 いや、仕方ない事ではあるのだが。同じ教科書を見ている訳だし。時折差す指が普通に手に触れるし、覗き込んでくる顔もすぐ近くにある。

 それと、めちゃくちゃいい匂いがする。


「……? どうかされましたか?」

「い、いや、なんでもない」


 そんな俺を見て東雲が小首を傾げた。そして、ああ、と納得したように頷いた。


「確かに少し手狭ですね。座れでもしたら書きながら教えられるのですが……」

「あ、ああ……そうだな」


 上手いこと勘違いしてくれたので俺は乗っかった。

 すると、東雲はちらちらと俺の事を見始めた。

 何かを話したそうに。そして、一つ咳払いをして。


「……海以君が良ければ、ですが。お勉強会……しませんか?」


 そう言ったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る