第3話「魔王の生まれた日」
フィロに指導されるようになってから一年が経過した。
「ファイヤーボール」
いつかのメリルがアベル先生を凍らせる前に放ったような巨大な球体が的にぶつかって粉砕される。
「見事だ。ディー君」
「ありがとうございます。フィロ先生」
「フィーでいいんだよ。ディー君」
「あっ。いえ」
フィロは俺を抱きしめながら褒めてくる。
「……………」
俺とフィロの横でメリルがわかりやすく機嫌が悪くなっている。
『ディゼル君はディーか。私はフィーだ。一緒だね』
そんな風に言ってこうして可愛がってくれるもんだからメリルがお怒りになるのだ。
弟を取られたお姉ちゃんは怖い。
何度もフィロを凍らせようとしては失敗を繰り返しながらではあるが、着実にその実力を増していっていた。
フィロは不思議な人物だった。
年齢は二十五歳だが十五歳にしか見えない外見で、誰に対してもふわふわした感じの接し方で、喋り方も敬語と男言葉がまざったりして統一性がない。掴みどころのない人物だった。
「フィロ。貴女二十五歳なのでしょう」
メリルが口で難癖をつけ始める。
「メリル君。私は先日二十六歳になりましたよ」
そんなメリルの様子を気にせずフィロはそう返す。
「二十五でも二十六でも一緒よ。どっちにしたってもういい歳じゃない。こんなところで教師やってないでとっとと結婚しなさいよ」
ディーを離して結婚して旦那さんにそうやって抱きつきなさいと言う副音声が聞こえてきたような気がした。
「結婚ならしていますよ」
さらっとフィロがそう返した。
何気に爆弾発言だ。フィロの腕の中で俺も驚いている。初耳だ。
一年近く屋敷に住み込みでいるが旦那さんの存在なんて一度も匂わせてこなかったのに。手紙を書いているようなシーンも一度も見た事は無い。
「結婚しているならどうして一年近く夫を放っておいているのよ。手紙を書いている様子も無いし」
メリルも俺と同じ疑問が浮かんだようだ。
「もうこの世にはいないんだ」
なんてことない声でフィロはそう告げた。
「先の戦争で夫を亡くしてね。もう三年になる」
俺を抱きしめるフィロの腕に力が入った。
「子供はいなかった。だから考えてしまうんだ。子供が出来たらこんな感じかなって。ディー君は夫の若い頃に似ているから尚更そんなことを考えてしまう」
俺は何も言えずにフィロを抱きしめ返した。
フィロの腕の中からメリルを見ると少し考えごとをしている。
今の話を聞いてメリルも少しはフィロに対する考えを改めたのだろう。
「もう死別して三人で二十六歳でしょう。再婚しなさい」
全然そんなことなかった。
フィロに再婚を進める始末だ。
「じゃあディー君が大人になったら側室の一人にしてもらおうかな」
「先生。そういう冗談はやめてください」
周囲が寒くなる。
いよいよメリルの怒りが爆発するぞ。
「ちょっと本気だけどね」
そう言ってフィロはようやく俺を離してくれた。
*
「アイスストーム」
メリルが魔法を発動させる。
攻撃対象はフィロ。
氷の暴風がフィロに限らずメリルを中心とする周囲に襲いかかる。
メリルは杖を向ける。
「ファイヤーウォール」
フィロも魔法を発動させる。
炎の防壁がフィロの前に展開された。
始めの頃は杖無しのファイヤーウォールでメリルの攻撃を防いでいたフィロだったが、最近では杖を使って魔法を発動させていた。
フィロの炎がかき消される。
周囲の景色が完全に白銀の世界になっているが、中心にいるメリルと少し離れている俺は平気だった。
暴風がやみフィロの様子が見られるようになった。
いつもは炎は打ち消されても中からピンピンとしたフィロが出て来るのだが、今日は出てこなかった。
「フィロ先生?」
声をかける。返事は無い。
フィロは氷漬けになった。
とうとうメリルの魔法がフィロに勝ったのだ。
メリルは何も言わない。
その絶対零度の表情からは何も汲み取れなかった。
「まいったね」
急にそんな声が聞こえたと思うと、氷漬けになっているフィロの氷像にひびが入っていった。
ひびは数カ所に広がり、フィロを覆っていた氷が崩れ落ちた。
中から何事も無くフィロが出てきた。
「驚いたよ。あやうく死ぬところだった」
そうは言うが全然元気だった。
「惜しかったね。メリル君。もう少しで私を仕留められたのに」
「ええ。残念だわ」
メリルは無表情でそう答えた。
「今日はここまでにしよう」
フィロのその言葉でその日の修行は終わった。
*
メリルに内緒で来て欲しいと言われて俺はこっそりとフィロの部屋を訪れた。
さっきの修行の時に『ディー君が大人になったら側室の一人にしてもらおうかな』なんて言われたものだから少しドキドキしてフィロの部屋に入った。
「ディー君。魔王の定義を知っているかい」
部屋に入ってイスに座る事を促されて座った俺への第一声がそれだった。
「魔王とは魔族の王ですよね。五百年前に魔獣の軍勢を率いて人間界に侵攻してきた」
魔王バルバロス。
魔獣の軍勢を率いて人間界に侵攻してきた魔王は勇者に討伐されるまで世界を恐怖のどん底に落としたと言う。
「その認識は違うんだよ。ディー君」
フィロはそう言うと文献を開いた。
「見てごらん。彼はベサリウス帝国の第二皇子。バルバロス」
バルバロス。魔王と同じ名前だ。
「魔法に優れた彼は帝位継承権に敗れて反乱を起こした。反乱軍は鎮圧されたもののバルバロスは逃げ伸び。魔獣の軍勢を率いて大陸に侵攻を開始した。バルバロスは自らを魔王を呼んでベサリウス帝国のみならず人類すべてを滅ぼそうとしたのだ」
まてまて、どこかで聞いたような話だぞ。
「フィロ先生。つまり、魔王と呼ばれるバルバロスは元をたどると人間だったと言うわけですね」
「そうだ。さすがだディー君。理解が早いね。前にこれを教えた人にはどうしても理解できなかったのに。こうして一般人には明かされない文献にではあるがその説明がしっかりと書かれているにも関わらず認めない大人達もいるんだ」
人類の敵たる魔王の元が人だと言うのは聖堂教会を始めとする組織などでは認められないのだろう。
俺だって前世の記憶がなければフィロにこんな話を聞いたところで信じなかったことだろう。
だが、俺はこの世界を知っている。
人間だったメリルが魔王と呼ばれ人類の脅威となるのだ。同じような事があったというのは信じられないがそんな事が起こっても前例を知っている俺は否定しない。
この世界の事を知っているつもりだったが知らない事はあると改めて感じる瞬間でもあった。
フィロに過去の魔王について教えてもらったことではあるが。
まずこの世界に魔王はいない。
魔王を名乗る人間が過去にいただけだ。そして数年後にも表れる。
魔族もいない。人の言葉を話す人型の魔族は存在しない。基本的には魔獣だけなのだ。
「でも先生。どうして急に僕に魔王の話をしたのですか?」
疑問をそのままフィロに尋ねる。
まさかフィロはメリルが魔王になる未来を知っているのだろうか。
「私は迷っているんだ」
フィロはそんな風に切りだした。
「メリル君は強くなる。少し戦闘経験を積めばすぐに私より強くなるだろう」
「フィロ先生よりもですか?」
「ああ。既に魔法力だけなら私より上だ。あとはもう少しコントロールを出来るようになれば私も完全に凍らされて死んでしまう」
最近メリルの魔法が強くなったように思っていたが、本当に強くなっていたようだ。
「君も卒業だよ。ディー君」
「僕もですか?」
メリルに比べると全然魔法力が弱い気がするが。
「メリル君を一番近くに見ている君は自分の成長ぶりが足りないように思えるだろうけど、君は君で立派な怪物だ。自信を持っていいよ」
フィロに褒められる。素直に嬉しかった。
「今日魔法教会に文を送った。じきにディー君はA級の認定状が来る」
「A級ですか?」
魔法教会は魔法使いのランクを決める機関だ。
A級からC級まであり、A級で一人前とされている。
A級を遥かにしのぐ存在としてS級と言うクラスも設定されている。フィロ先生もクロフト兄弟もS級だ。
「メリル君はS級だ」
「ですよね」
一年前にすでにS級の魔法使いを凍らせていたメリルだ。不思議ではない。
不思議なのはフィロとクラフト兄弟が同じS級だと言うことだ。
どう考えてもフィロのが強い。
「ディー君。いい機会だから教えておこう。実はS級にも三つ階級がある」
「そうなのですか?」
初耳だ。今日は初耳の情報が多い。
「知らないのも無理はない。これはS級になった者しか知らないことだからね」
フィロが魔法を発動させる。
空中に火で文字が書かれる。
S級。A級。B級。C級と浮かんで、そこからS級が三つに増えた。
「S級の中でも最上級のS級。上級のA級。そしてB級の三つに分かれる。それぞれSS級。SA級。SB級と呼ばれて私はSA級だよ」
SS級。SA級。SB級。A級。B級。C級の六つの順で火の文字が浮かぶ。
そしてフィロはSA級と上から二番目に凄い人だと言うのはわかった。クラフト兄弟はきっとSB級だろう。
でも一個だけ気になることがあった。
「先生。A級の僕にそのことを教えてしまってもいいのでしょうか」
S級限定の情報なのに俺が知っているのはマズイ気がする。
「大丈夫。君も何年かすればS級になる。だから知っていても問題は無いよ。」
そう言うけどまだA級なのにいいのだろうか。いや、S級がいいと言っているのだからいいのだろう。
「メリル君はSB級だが数年もすればSS級となるだろう」
それは簡単に理解できる。なんせ作中のラスボスだ。
「あの魔法を見ただろう。私も危うく殺されかけた。もしもメリル君が魔王になるとしたら、今日が魔王として覚醒した日と言っても過言ではない」
「魔王としての覚醒?」
「ああ、魔王としての産声を上げたのは今日だ。昨日までと桁違いの魔法力。もしもメリル君が魔王になろうとしたら人類においての脅威になる。それがわかっていながら私はメリル君を一年間育てた。国のための魔法使いの育成はS級に限らず全魔法使いの義務。そして危険な人物に魔法の才能があったらその芽を摘むのも魔法使いの役目だ。なのに私は才能を育てた上に導き方を知らない。魔王は言いすぎだがもしもメリル君が国を揺るがす何かを起こすことになったとしたら私のせいだ。あの才能は伸ばしてみたくなってしまったから」
才能を見つけて伸ばしたいと思わない指導者はいないと言うことだろうか。
魔王は言いすぎだとフィロは言うが、言いすぎではない。メリルは数年後に自ら魔王と名乗るのだ。
「私の罪を聞いて欲しかった。いつかメリル君が人類に害する何かを起こした時は私の責任であるとね」
「そうならないように僕がメリル姉様を止めて見せます」
俺ははっきりとフィロにそう告げた。
フィロは一瞬驚いたような表情を浮かべ、そして微笑みを浮かべた。
「ありがとう。ディー君」
俺はフィロに抱きしめられた。
フィロの腕の中で、そうは言ったもののいよいよの時に俺は果たして本当にメリルを止められるのかと不安になるのだった。
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