第四章【聖と闇の舞踏】

第1話〈太陽の化身現る〉

 ケファロニア島へ向かうはずだった夕都と朝火は、インドにいた。

 二人を目元まで黒布で覆った男女の集団が取り囲む。 

 空港にて包囲され、他の客に被害を及ぼしたくなければ従えと、脅された。

 目隠しをされてから何時間経ったのだろうと、意識が朦朧とする最中、ようやく先程自分の意志で歩くのを許された。

 暗がりから光を浴びせられれば、目がくらむのは当然。隣に朝火がいるのを視認して、目線を交わす。

 飛行機へ搭乗し、車に押し込まれて長時間の移動。

 その果てに待っていたのは、寺院だった。砂煙やら、草を蒸したような臭いに、鼻腔と目が刺激される。

 二人を拉致した者達は衣服を着替えており、一心に祈りを捧げている様子だ。

 刀を含む私物を取り上げられてはいたが、二人がかりであれば、十人くらい拳でどうにでもなる。

 刀は神無殻のツテで特別に機内に持ちこんでいるために、誰が持っているのかが気になるが、今はこの身を自由にさせる事が先決だ。

 夕都は朝火に目配せをした。その時、歓声がわきあがり、寺院を注視する。

 皆の前に、浅黒い肌の痩躯な男が姿を見せた。赤い衣装は足元で広がり、ブーツを履いている。

 両腕をかかげると、日差しが燦々と男を照らす。

 男を崇めるように土の上に膝をついた彼らは、崇拝者であるのはもはや明白である。

 男はドティー、女はサリーを着込んでいた。

 彼らはヒンドゥー教の信徒なのだ。

 夕都はこの寺院を見据えて声を上げる。


「スーリヤか!」


 太陽神スーリヤを祀る寺院という事は、ここは、インドのコナーラクだと得心した。寺院には信徒が次々に足を踏み入れていく。


 広大な境内、その中央の段上には、拝殿、その後ろに聖室、高塔が並んでいる。

 赤い衣装の男は、二人に乱暴な真似をしたことを侘びた上で、壁面へと誘導した。

 人物群が彫刻されており、朝火が呟く。


「ミトゥナ像だな」


 拝殿の手前に行くと、舞楽殿の基壇と壁柱があり、松明と踊り子が見えた。

 夕都のスサノオとしての魂が、古の光景を教える。


 ガンガ朝のナラシンハデーヴァ1世の命により、一万余りもの人々が過酷な労働により建てた、太陽神スーリヤを祀る寺院。

 ただ、労働者の輝く顔が見えず、完成したかどうかは不明だ。

 夕都は頭を振り、ため息まじりに問う。


「なぜ、俺達を拉致したのかそろそろ教えてくれ」


 日本語で尋ねてしまったが、男が深く頷いたので瞬く。彼は口を開くと、夕都と朝火に向かって声をかけた。


「私は、アールシュ。スーリヤの受肉した姿、化身なのだ」


 声がエコーがかかるように脳内に響いた。その顔をじっくり見つめれば、歳は四十程か。

 アールシュが発する言語は、ヒンディー語と思われるが、日本語で聞こえてくる。

 隣で朝火が聞き入る様を見るに、理解しているらしい。

 ならば、彼にも二人の言葉を理解できると考えられる。

 スーリヤが受肉した姿といわれても、さほど驚きはしない。

 そのまま、先の言葉を聞いた。


「私が己の正体に気づいたのは、これのおかげだ」


 そう話すと、手をかかげる。指先は拝殿を示す。入口付近に石が退けられている。中に入るように勧められて後に続いた。

 内部は松明で照らされており、奥の壁際に何やら像が突き出ている。否、埋もれているのが見えた。

 肩から上が突き出ており、夕都はそれが大仏だと認識すると、駆け出す。

 アールシュの横をすり抜けてじっくりと確かめれば、やはり大仏である。

 記憶を巡らせれば、脳裏に彼女の顔が浮かび上がり、声を張り上げた。


「月夜の大仏だ!」


 笠山の噴火口で霧散したはずなのに。

 同時に、月夜も肉体を喪ったのだ。

 彼女の状況は不明ではあるが、志田の態度や、アントーニオの“サリエル”といった発言から予想すると、新たに肉体を得ている可能性は高い。


 アールシュは、大仏を拝み、熱く語る。


「私は、貧しい信徒であったが、ある日、寺院にて祈りをささげていると、地響きとともに、拝殿の入口の石がくずれ、この場へと導かれた。そして、彼女が私の運命を啓示したのだ。スーリヤの化身として、スサノオの宿命を担う男を助け、人々を悪しき者から守るようにと」


 にわかには信じがたい話ではあるが、あの儀式は動画にて世界中に配信されていた。

 日本全国が震度3から4の地震に襲われながらも、大した被害もなく、人口地震なのではないかと、話題がいまだに尽きない。

 ヒンドゥー教の信徒が動画を見ていたとしても不思議ではないだろう。

 やはり、アールシュは動画にて儀式を知り得て、声の主は、大仏に宿ったツキヨミであると悟ったという。


 アールシュは、カトリック教の水面下の動きを把握していた。


 アントーニオが、様々な宗教の信者の命を奪っている事実を見過ごせない、奴の命を奪うと決意したと。


 夕都は、朝火と話しあい、ひとまずは詳細を訊くことに決めた。


 その夜、アールシュの家に招待され、一晩を明かすことになる。

 木造で、家の中の壁には、つる草や象のモチーフが描かれているのが目を引いた。

 スーリヤ神が天井にひときわ大きく描かれている。

 その真下に設えられた、卓の前を囲む椅子を使うように促された。

 使用人の男女が傍で待機している。

 普段は床にすわり食事をしているが、特別に用意してくれたのだ。

 箸やらスプーンまである。

 思いやりに感謝して、有り難く食事をいただく。

 使用人を下がらせたアールシュは、ささやくような声で、ある思惑を告げた。


「ある会合にアントーニオを窮地に追いやる切り札が現れる。彼女を攫う計画を手伝ってもらいたい」

「彼女?」


 夕都は朝火に目線をやる。

 朝火は眉間にしわを寄せて、肩をすくめた。


 会合は、ヴァチカン内のある場所で極秘で開かれるという。

 夕都はバナナの葉に乗せられた、豆と野菜の料理を口に含み、そのスパイシーさを味わいながら、アールシュの言葉に集中する。

 アールシュは、水をカップに注いで喉を潤しつつ、説明を続けた。


 一通りの話を終えて、朝火が風に当たりに外に出た時、夕都はあることをアールシュに願った。力を貸してくれるなら協力は惜しまない、ただ、急ぎ助けに行かなければならない者達がいる事実をつたえた。

 アールシュは真剣なまなざしで頷くと、頭を垂れてお礼を述べるので、夕都は困り顔でお辞儀を返した。


「どうした」 


 戻って来た朝火が目を丸くして訊いたので、率直に答えた。 


「貴一くんと茉乃ちゃんを、助ける手伝いをしてくれるって約束をしたんだ」

「そうか。感謝いたします」

「いや。私こそ、共に人々を悪しきものから守るために、力を貸してもらえることに感謝する」


 こうして、スーリヤ神の化身と、スサノオが転生した男が手を組み、新たな運命が動き出した。



 バチカン。

 某地下室。

 広大な部屋の中心にて、世界各国のある有力者達が円卓を囲み、椅子に腰を落ち着けていた。

 皆、壇上に注目している。その背後の厚いカーテンの裏で、様子を伺っていたら、肩に手を置かれて勢いよく振り向く。

 見れば、メイドのミーレスである。

 安堵の息をついて話かけた。


「びっくりした。もうやめてよ」

「お嬢様は、旦那様に呼ばれてからお姿をお見せください」


 無表情でたしなめる彼女の態度には、すっかり慣れていた。

 あの“毒の庭”で目覚めた時、彼女は片時も離れず、世話を焼いてくれた。


 今、彼女だけが信頼できる存在だ。


「ルーナ、来なさい」


 威厳のある男性の呼び声に、“ルーナ”は返事をした。


 ――ずっと“月夜”だったから、この名前にはなかなか慣れないなあ。


 月夜は、新たに肉体を得たのだが、何の因果か、百年眠っていた聖女の身体に魂が入り込んだのだ。


 ミーレスに手を引かれて、ルーナはカーテンの向こう側へと進み出ていく。

 照明の明るさに瞳を細めて、ゆっくりと呼吸を繰り返した。


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