第2話〈聖女のお披露目〉

 会合に集められた者達は、主に医療機関に関わっているらしい。

 なぜ、聖女のお披露目で、医療関係者が集められるのだろう。

 ルーナは“旦那様”に呼ばれてから、ヴェールを頭からかぶり、まだ顔を見せずに佇んでいた。

 ざわめく声が空気を震わせている。

 交わされる主流の言語は英語で、時折、中国語やフランス語が混じり合う。

 ルーナは数多の言語を理解して、また、瞬時に読み取るが、清廉な力を感じた。


 ――この子、頭が良いというわけじゃないわ。


 シルクのスカートの両端を握りしめて、目線を泳がせた。

 薄い布地の向こうを見ようとしても、旦那様の指示がない限り、勝手な真似は許されない。

 咳払いが隣から聞こえる。その声だけで、皆は静まり返った。

 旦那様の靴がヴェール越しに見える。

 スーツをかっちりと着込んだ広い背中を見つめる。


「今宵は皆様に彼女を調べていただくべく、お集まりいただいた次第。この場には、様々な術で医療に携わる人々ばかり。ぜひ、その腕試しとして、彼女の神秘的な肉体を暴いてほしい!」


 ルーナは背筋がぞわりとしてついのけぞったが、その瞬間にヴェールをはぎ取られてしまった。

 歓声がわきあがり、視界が驚きに満ちた人々の顔でいっぱいになる。

 旦那様から自己紹介をするように命令されたので、ためいきまじりに、スカートの裾を広げて頭を垂れた。


「初めまして。私はルーナと申します。“毒の庭”にて長きに渡り眠っておりましたが、こうして目覚めることができました。お目にかかれて光栄です」


 どよめく声の波に、脳天から痺れるような感覚に襲われる。

 ルーナは、このような無数の人の目に触れるのは、慣れていないようだ。

 長い金髪に、アンバーの大きな瞳。

 整った顔立ちはまさに天使の容姿で、歳もまだ十五ほどであり、過去にさんざん注目されていたはずである。

 それでも苦手なようだ。今は、旦那様の命令に従うしかない。

 逃げようとすれば、方法はあるのだが、己の立場をまだ理解できていない内に動くのは危険である。


 ルーナは大人しく椅子に座り、次々に問診を受けながら、思いを巡らせた。


 ――大丈夫、きっと良い方向へ向かわせてみせるわ。


 旦那様の目的は、いずれその口から語られるであろう。

 後にルーナは様々な検査を受けて、百年眠っていたにもかかわらず、何の問題もない。

 常人と変わらないと結果が出された。


「ルーナよ、私はお前の神秘的な遺伝子を医療従事者に研究させて、人々を幸せにしたい」


 旦那様は、力強くルーナを抱きしめて、語気を強めて言い放つ。

 傍にはミーレスが佇み、無表情で見つめている。


「我が息子アントーニオを救うには、お前の力が必要なのだ! 私は、息子を見捨てはしない!」

「旦那様」


 ルーナは、旦那様――エルネスト・アウレリアーノ・アッカルドを目を丸くして見つめた。

 アントーニオについては調べ尽くしている。それ故に、志田を通して夕都達に言伝をしたのだ。

 ミーレスは何も訊かずに協力を惜しまないでくれたので、エルネストに詮索をされずにすんでいた。


「アントーニオには、母なる愛が必要だ。ルーナ、お前がアントーニオを愛してくれれば、きっとうまくいく」

「ええ?」


 その発言には、目を見開いて声をあげてしまう。


「会合は、あと五日だ。明日、また皆様の前に出てもらう。その時、聖女たる力を発揮するのだ」

「聖女の力、を?」


 そう言われても、やり方がわからない。

 ともかく、また志田に連絡をいれる隙をうかがう事に集中した。



 バチカン。

 イタリアのローマの中にある都市国家であり、ローマ カトリック教会の総本山。

 会合に使われている地下室は、サン・ピエトロ大聖堂の隠された場所だという事以外はわからない。


 ――志田さんに連絡するには、一度ここを離れないと。


 ミレースが瞳を伏せて軽く頷く。

 ルーナは微笑して、拳を握りしめた。



 インドから何十時間もかけてケファロニア島に到着した夕都は、朝火に支えられながら青い海を眺めた。

 ふと脳裏に思い浮かんだ事を口にする。


「オデュッセイアに登場する伝説の王、オデッセウスの生誕地として知られてる島だよな」

「ホメロスの叙事詩か」


 頷くと、背後から呼ばれて振り返り、返事を返す。

 アールシュが、二人の屈強な信徒に護衛されながら手招く。彼は白のドウティに着替えており、目立たぬように気をつけている。

 夕都も朝火も着替えており、夕都は青いTシャツにデニムパンツ、朝火は詰め襟の黒のシャツに、テーパードパンツを着込んでいた。


 港街サミにある、アンチサモスビーチは人々で賑わっていて、アールシュの傍にいくにも一苦労で、汗が気持ち悪い。

 白い小石のビーチで、透き通るような上を歩くのは悪くない。

 サミ港から車で来るまでを思い出すと背筋が震えた。狭くて曲がりくねった道で、ベテランのタクシー運転手でなければ危なかっただろう。

 日光浴を楽しむ観光客を尻目に、にぎわうレストランに入っていく。

 すでに奥の壁際席を陣取る男が数人いるが、彼らは金で雇われたらしく、アールシュが声をかけて金を渡すと店から去った。

 向かいあって座り、店員が運んでくる魚介料理やら、野菜中心の料理を囲む。テラス席のほうから流れ込む潮風が心地良い。護衛二人は、少し離れた席に腰を下ろして、周囲に目を光らせている。

 貴一と茉乃は、アイノス山のアルギニア村へ連れて行かれたであろうと、アールシュより説明を受けている。

 どうやら、アントーニオは行動を隠すつもりはないらしい。


 夕都は、スプーンでギリシャ名物のラザニアに似たムサカを口に含み、ホワイトソースやミートソース、香ばしく焼かれた野菜とひき肉の味を堪能しつつ、朝火に小声で話しかける。


(アントーニオの目的がどうもよくわからないな)

(慎重に動こう)


 未だに刀をアールシュに取られたままであるし、他の私物を返されたとはいえ、不自由なものだ。


「聖母マリア、ミカエル」


 突然のアールシュの発言に、夕都の心臓が跳ねた。

 向かいに座るアールシュが、天井を仰ぎ見た後、何やら囁いて、こちらに向き直る。

 目を見開いて、夕都に言葉を投げた。


「聖母マリアたる巫女は、聖なる力を変質させる力を持つようだ」


 夕都は、息を呑み、語気荒く言った。


「アントーニオの目的は、レイラインの崩壊か」

「それだけではないだろう」


 朝火が腕を組み、アールシュを睨みつけて呟いた。

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