第20話〈仙女の導き〉
焚き火が身体をあたためる。
夕都は膝を抱えて、ただ木片を燃やす火の明かりを見つめていた。
誰かの呻く声を聞いて顔を向けると、傍らに寝かせていた朝火が身じろいで、目を覚ます。
視線が交わり、夕都は朝火に手を伸ばして腕を掴み、背中を支えながら起き上がらせる。
朝火は眼鏡のズレを指で直して、周囲に目線を泳がせた。状況を把握した様子だ。
上半身を起こして夕都の隣に座る。
焚き火を見据える横顔からは、心情は読めない。
こうして顔をじっくり眺めるのは久しぶりだ。脳内では様々な思い出が蘇る。
高野山で編み出したあわせ技を、今回は駆使できなかったのが心残りだ。
刀は二振りきちんと傍に置いてある。
すぐ後ろでも焚き火が燃やされており、未だ眠り続けている貴一と茉乃をあたためていた。
「龍脈の力はどうなった」
冷静に問いかける朝火に頷いて答える。
「制御がうまくいっていないような気がする」
両手を開いたり閉じたりして感覚を確かめてみたが、気を抜けば力が放たれそうに感じた。
先程の龍脈の力の暴走により、洞窟内に肉体が存在した精霊人達は、皆龍脈に取り込まれてしまい、跡形もない。
魂は龍脈に囚われて、均衡を保つために使われる。
一方で、記憶を持ったまま、永遠に転生を繰り返す者もいる。
――お前も……。
朝火の目を見ていられず、唇をかみ締めた。記憶を保持しているかはわからない。夕都でさえ、華山に流れる膨大な龍脈の力に刺激されなければ、思い出す事はなかったのかもしれないし、記憶は曖昧だ。
ただ、自分が精霊人を生み出した原因ならば、彼らを救えるのは自分だけであるのは理解している。
スサノオの童子と呼ばれる彼らも、かつて、自分が生み出した存在であろう。
頭をかいて唸った。
――とはいえ、神だった時? 受肉した時の事なんて、たやすく思い出せるわけが……!
龍脈の力を制御するには、過去の……転生前の記憶は役に立つはずだ。
月折夕都だけの心身では、心許ない。
「そろそろ夜明けのようだな」
「夜明け?」
階段の上からかすかに淡い光が注ぐのが見えた。洞窟内は光る岩肌に照らされてはいるが、暗がりが大半を占めるため、わずかな自然光でも目につく。
おもむろに立ち上がり、階段へと身を進めた。足は止まらず、階段を上がっていく。
洞窟の入口前には、すでに光が溢れていて、瞳を閉じる。
瞼の裏に感じる光。頬があたたかい。
全身がぬくもりに包み込まれていく。
両手をかざすと、手のひらが熱いくらいだ。
頬が緩み、いつまでもこうしていたいと願う。
「夕都」
呼ばれて瞼を開くと、いつの間にか朝火が佇み、真剣なまなざしで見つめている。
「……っ」
何かの予感がして、生唾を飲み込む。
朝火の唇が、ゆっくりと開かれた。
「お前は、最後の“スサノオの童子”であり、“龍神”の化身たる運命を担う者だ。それを忘れるな」
はっきりと告げられた言葉に、夕都は目と口を開いて朝火の瞳を見つめ返す。
この目を知っていると、確信した。
拳を震わせながら踵を返すと、洞窟内へと戻る。
焚き火を消した父の夜京が話しかけてきた。
貴一と茉乃がまだ目を覚まさない為、どう連れ出すのかを話し合う。
夕都は、自分が龍脈の力を駆使して、一人ずつ登山道に運び出すしかないと考えていたのだが、果たして、今の自分にそんな体力が残されているのかどうかが疑問である。
黙考の後に、父に尋ねた。
「この華山には、精霊の類はいないかな」
「精霊……似た類ならば」
夜京は頷くと剣を鞘抜いて、階段へと歩を進める。途中まで上がると立ち止まり、瞳を閉じた。
夕都は朝火の隣で様子を見守る。
ほどなくして涼やかな風が吹き荒れた。
階段の先、入口が光り輝き、一陣の風が眼の前で巻き起こる。
夕都はたまらず顔を伏せるが、どこからか響く甘い笑い声に惹かれて顔を上げた。
頭上に、誰かがいる。
「うわ!?」
「久しぶりだな」
『……っ』
宙に漂う女人が口元をほころばせた。
袖の長い、柔らかそうな衣をまとうその姿は、まさに“仙女”のようだ。
頭には花の簪をさしている。
笑う声しか聞こえないが、夜京は言葉がわかるらしい。
何事かを話しあって深く頷く。
夕都は疑問を投げようとするが、朝火に先を越された。
「彼女は何者です」
「仙女、といっても、概念の具現化が正しいかな」
夜京は肩をすくめて答える。
仙女、華山――ある伝説を連想した夕都はあっと叫んだ。
「もしかして、“
呼びかけると、仙女は肩を震わせた。
どうやら御名答らしい。
三聖母が扇を優雅にあおぐと、辺り一面に赤い靄がたちこめる。
華山中の龍脈が集まろうとしているのを感じ取れた。
夕都は朝火と協力して、貴一と茉乃を抱き上げて、三聖母の前に運ぶ。
夜京がふいに、二人が腰に差している刀を見て忠告する。
「お前達の刀は、元は剣だろう。使い勝手が違う。本来であれば、お前達は本物を使うべきだ」
「え」
心臓が跳ねるが、苦笑で返す。
「……私物化はできないだろう。形代で十分だって」
率直に伝えるが、若干声が震えた。
父の瞳は静かな湖面のようで、揺らぐのは見たくない。
顔を背けた先には、赤い靄がたちこめており、身体が浮遊するのを感じて父に向き直った。
「一緒に」
「私はここを離れられない。それは、お前が一番分かっているはずだ」
「親父」
無言で視線を交わしていると、貴一を抱き上げる腕に力がこもる。
ふと胸が熱いのに気づいて、目線を向けると鈴音が響く。
「胸ポケットに何か? あ!」
「その勾玉は特別だ。お守りにしなさい」
「……親父」
夕都は貴一を抱き上げているため、胸ポケットの中身を取り出せずうつむく。
やがて三聖母の力で、龍脈が夕都達を覆った。景色が大きく歪んでいく。
――父さん!
必ず迎えに行くから。
固く誓うと、瞼が震えて涙が頬をつたいおちた。
気づけば、朝の日差しに照らされる道路に蹲っていた。
三聖母の姿はすでにないが、桃色の光の粒が足元で舞っている。
夕都は自然と“拱手”をした。
光の粒はゆらゆらしてから、天へと舞い上がり、華山の山頂目指して飛んでいった。
周りを見渡すと、ありがたいことに目先に駅が見える。屋根の上に華山と読める文字の看板があった。
道の真ん中に朝火、貴一、茉乃が倒れていたので、慌てて端に寄せた。
そこでようやく貴一と茉乃が目を開けたので、ざっくりと何があったのかを説明した。
二人はぼんやりとしていたが、若いだけあって、足取りはしっかりしていた。
この駅は華陰市にある華山北駅だった。電車で西安に移動して、千桜達と落ち合うつもりだが、連絡がつかない。
貴一と茉乃は、スマホを奪われてしまった為、己のスマホを取り返した夕都か朝火かが、やり取りをするしかないのだが、コール音のみで留守電にもならず、ため息をつく。
仕方なく、近場にいる神無殻の士をデータベースで調べて、連絡を入れる。
駅前は閑散としており、理由を職員に訊いたところ、付近の町や村で、不審火が相次いでおり、交通規制をされているのだという。
気になって情報を調べたら、西安で火事があったらしい。場所の詳細を確認して思わず声を荒らげた。
「欣怡の屋敷か!? 何でこんな事に!? 千桜達は大丈夫なのか!?」
夕都の叫び声に朝火がスマホ画面を覗く。眉間に皺を寄せて「病院を調べよう」と呟いた。
「あ、ああそうだな……え?」
同意した夕都は、朝火の後方で人影を見つけて釘付けとなる。
その男には見覚えがあった。
「趙翰!?」
ぼんやりと道の真ん中にたたずむ彼は、まごうとなき、趙翰だ。
「画面を見ろ」
「画面?」
朝火に言われるまま、スマホ画面に目を戻すと、勝手に地図アプリが起動している。地図上の印がある村を示すので、凝視した。
「ここに行けって事か?」
呟いて顔を上げた時、すでに趙翰の姿は消えていた。
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