第19話〈崩壊する桃源郷〉

 胸に埋められた腕が引き抜かれた勢いで、夕都は後方に吹き飛んだ。

 鈍い音と共に背中を石床に強打して、声も上げられず悶絶する。

 朝火が傍らに寄るが、夕都は手を掲げて止めた。

 身体が、熱い。喉がひりついて声が出せない。こみ上げる熱さを開放せんと本能がうごめく。両手足を広げた瞬間、金の光が放たれて、世界を埋め尽くした。

 誰かの叫び声が轟いかと思いきや、それは己の声だと知る。

 夕都は、龍脈の力が変化するのを感じて困惑した。


 くずおれた途端、地響きが発生する。

 空間一面に亀裂が入り、さながら硝子がひび割れるかのようだ。


「崩壊する!」


 朝火の叫声に我に返り、夕都は金の龍脈の力を両手に集め、勢いよく放った。

 朝火や貴一、茉乃を保護したのを認識すると、他の者達を捜す。

 次々に空間に亀裂が入り、ジャオハンの肉体を乗っとった男が、回りながら嗤う姿がかろうじて見える。


「龍主! とっとと行け!」

「……っ!?」


 この怒鳴り声は、貴一を見つけた際に相対したあの奇妙な男の声だ。

 夕都は彼を連れ出したいと考えたが、視界は赤と金の混じり合う空間に様変わりして、無音となってしまう。


 “無”がそこにはあった。


 夕都は清らかな気持ちで金色の世界に佇み、この世の人々に想いを馳せる。

 かつて、争いを止めるべく力を使ったが、結果、人々の欲を刺激する事となり、己の存在は悪影響を及ぼすのだと絶望した。


「夕都」


 呼びかける声に顔をあげる。

 刀を腰に差した“士”が手を伸ばしていた。


「朝火」


 その名を呼び、手を取って歩き出す。


 どこからともなく白い光が溢れて、二人を包み込んだ。


 身体が揺れているのを感じて目を開く。

 ぼんやりした視界に映るのは、黒髪の端正な顔つきの男。眉尻を下げて見据えている。


「夕都!」

「……親父」



 夕都は、父親の夜京に身を預けている状態だった。

 視線を泳がせると、傍に朝火が仰向けに横たわり、すぐ先には、石柱を背にして貴一と茉乃が身を寄せている。

 気を失っているようだ。

 父親に状況の説明を求めた。


 夜京は、夕都の頭を撫でながら、何があったのかを話はじめる。夕都はむず痒さを感じつつも、耳を傾けた。



 神父達が貴一と茉乃を連れてきて、自分から剣をうばい、無理やり桃源郷への入口を開き、二人を放り投げたのだという。後に石柱を修復し、入口を塞ぎ、溢れ出る龍脈の力を抑え込むので精一杯で、神父達は逃してしまったと俯く。

 襲撃者の特徴からするに、アントーニオの一派であろう。

 頷いたが、頭が回らない。


「体力が回復したら、下山しなさい。今は、眠るんだ」

「……父さんも」


 一緒に戻ろう、という言葉は出せず、意識は沈んだ。




 西安、欣怡の屋敷。


 欣怡は、自分を監視する三人の日本人を睨みつけていた。

 彼らは神無殻に従う忍びだというが、“二条”などという名は初耳である。

 だが、奴らは屋敷に乗り込み、龍主とその下僕を助け出し、欣怡の部下から、二人の私物まで取り返したのは事実。


 こちらは侍女を含めて三十人の部下がいるというのに、わずか三名の若造に瞬く間に拘束されてしまったのだ。


 リーダーとして名乗る“千桜”が、仲間の少女の通訳で語りかけてくる。


「私達はあなたたちの敵ではありません」

「なら、なぜ屋敷の外には神無殻の士が集まってるわけ? 私達が龍主をとらえて利用したのを咎めるためでしょう。現にあなたたち、交渉もなく乗り込んできたじゃない」


 棘のある物言いに千桜は眉根をひそめた。

 通訳をする“羅湖”に話しかけてから、羅湖が答える。


「緊急事態でした。攫われた二人の命が危なかったので。外にいる神無殻の者達は、こちらで対処します。ことが済むまで出てこないでください」 

「ふん」


 欣怡は鼻を鳴らして、扇子を眼前で広げると、ひそかに俊熙に目配せした。

 俊熙は、サングラス越しの目を鋭く光らせて頷く。

 すでに部下は外に飛び出し、神無殻の士共に攻撃をしかけているはずだ。


 ふいに甲高い音が響き渡り、怒声と悲鳴があがる。

 何事かと訝しむと、部下が部屋に転がってきた。

 衣服は引きちぎれて、むき出しの肌からは血が滴る。

 息荒く欣怡に報告した。


「い、いつのまにか、我らとやつらの間に、糸の罠がしかけてあって、我々もやつらも、同時に身動きがとれなくなって」

「い、糸?」


 欣怡は嫌な予感に苛まれて、部下に隠し部屋――武器を保管している倉庫に走らせた。案の定、針の暗器に巻き付けて使う糸が、ごっそりなくなっていたのだ。

 欣怡は、三人の忍びを睨みつけて、扇子を千桜になげつけたが、それは派手な格好の青年に片手で遮られてしまう。

 三人の中で唯一の男は、にやにやしながら、奪った扇子をわざとらしく揺らして見せた。

 身なりは巷で見かける軽薄な男なのに、眼光と身動きだけは、武士のような意志を感じさせる。

 俊熙が舌打ちする声を聞いて、欣怡は押し黙り、腕を組むと近場にある椅子に乱暴に腰を降ろした。


 ようやく観念したらしい欣怡に肩をすくめた武仁は、千桜と羅湖にむきなおり、両手をかかげておどけてみせる。


「らっこが中国語はなせるおかげでたすかったべ。ありがと」

「あたし、話せないんだよ。じつはね、ここに来てから誰かが頭の中で話しかけてきて、おじさんかなあ?」

「why? な……」


 武仁は急に身体の自由がきかなくなり、口が勝手にうごくのをとめられなかった。

 自分の意思とは関係なく、突然、口から流暢な中国語がとびだす。


『余計な真似をしおって! 私はすべてを失った! まさか、開祖たる私が、弟子共の欲望で望みを絶たれるとはな!』


 ――えええ!?


 武仁は内心では絶叫していたのだが、怒りと憎しみの言葉を吐き出し、ゆっくりと欣怡へ歩み寄る。


「欣怡様!」


 欣怡をかばうように前に俊熙が出るが、何者かに肉体を乗っとられた武仁が腕をはらって突き飛ばす。

 壁に激突した俊熙は、微動だにしない。

 欣怡は目を見開いて震える声をあげた。


「ま、まさか、開祖のあなたが、なぜ……生きているはずが」

『神無殻の二人が侵入し、桃源郷の龍脈の力が変質したのだ。崩壊する桃源郷から気をたどりお前を見つけ出した! 私は! 愛する桜とともに、あの桃源郷で我が教団を永遠に栄えさせるべく、野望を胸に精魂尽くしてきたのに、全てはあの珠蘭の出来損ないめが! すべてを焼きつくしてくれる!』


 ――ま、まずい!


 武仁は千桜に目をやり、頷くのを見て、気合いをいれて両手を広げて胸を張る。そこに、千桜のクナイが突き立たてられた。


 だが、武仁の両腕からは赤い靄、龍脈が放たれ、それは熱をともなう力となり、部屋に火がついてしまう。

 クナイがささる胸から鮮血を吹き出して倒れた武仁は、羅湖に支えられながら屋敷から逃げ出す。

 千桜が欣怡をひっつかみ、部屋から引きずり出すが、欣怡は、俊熙を助けるとわめいて言うことをきかない。

 千桜が声を落として「もう亡くなっています」と伝えた。

 ほどなくして、欣怡の嗚咽がした。


 屋敷の中は煙が充満し、火柱がどこからともなく天を突くように燃え盛った。


 炎につつまれる屋敷から離れ、千桜が欣怡の懐から奪った小瓶を鳩の脚にくくりつけて、夕都にとどける為に飛ばした。


 武仁は、ぼんやりとその光景を羅湖に支えられながら見つめて呟く。


「西安に来てから、らっことしらべた事が、やくにたったべ」

「たけぴ、すぐに病院につれていくからね!」

「おう」


 らっこが涙目で顔を覗くのでうなずいた。

 サイレンの音がけたたましく鳴り響いてくる。

 逃げおおせた者達はすでに散り散りとなり、武仁達も、野次馬にまぎれてその場から立ち去った。


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