第18話〈儚き少女の夢〉

 夕都の傍に、朝火が地に伏せていた。

 朝火は刀の柄を掴み、うつ伏せで浅い呼吸を繰り返している。

 夕都は唇を噛み締めて朝火の背中をさすると、周囲に目をやった。

 すっかり赤い龍脈に覆い尽くされていて、人影がうっすらと視認できるだけだ。

 傍にいる朝火以外は姿がはっきり見えず、地に手のひらを這わせてすすむ。

 手先にかたいものが当たり、つかむと靴のようだ。

 そのまま揺さぶったら、呻き声がした。

 夕都は必死に呼びかける。


「おい! 生きてるか!?」

「う、おまえは」


 赤い靄から手がつきでて、夕都の胸ぐらをつかむ。


「……っ」


 ――なんて、力だ。


 今し方昏倒していた人間だとは思えない。男は夕都を勢い任せに高く掲げる。

 首が締まり、呼吸がうまくできなくて顔が歪む。

 男の動きでまわりの靄は霧散した。

 顕になったのは、顔見知りの中国人。

 もっとも、中身は別人である。

 夕都は胸ぐらをつかむ男の手首をひっつかみ、息もたえだえに問うた。


「なぜ、趙翰の、遺体を、利用、……したんだ、誰だ、おまえは」

「龍主、いや、貴様の正体は分かってるぞ!!」

「……っ」


 趙翰の肉体を乗っとった男は、甲高い声音でわめきちらす。


「どれだけ転生を繰り返したとおもう!? 記憶に苛まれ、永遠に安らぎを得ることなどできない……! この苦しみがわかるか!?」

「……おち、つけ」


 首はどんどん締められて、意識が朦朧としてくる。さらに赤い靄、龍脈が肉体にまとわりついてきた。 

 視界が不明瞭になり、全身が震えだす。


 ――朝火。


 今、死ぬわけにはいかない。

 男の手首をふたたび片手で掴んだ瞬間、身体の奥底から熱い感覚がこみあげる。

 溢れ出たのは、金色の光。

 金色の靄は、まさしく龍脈である。

 男は金の龍脈を浴びるとたちまち夕都の胸ぐらから手を離して、地に転がった。


「ぐあアッアッあああっっ」

「……ッ」


 辺りは金の靄により、赤い靄が消えうせて、ようやく状況が把握できた。

 夕都はむせながらも、気を失っていた朝火を助け起こし、頬を軽くたたいて呼びかける。


「朝火! しっかりしろ!」

「う……」


 身じろいで薄く目を開いた朝火が、夕都を見て瞬いた。

 頭を振ると、夕都の肩に手をかけて立ち上がり、周囲に視線をめぐらせる。

 夕都も起き上がり、お互いの身なりを見つめた。

 いつもの私服が、すっかり泥やら埃で汚れている。ふと落ちていた刀を二振り拾い上げ、彼の刀を手渡した。

 朝火は頷いて、男――趙翰の姿をした何者かに改めて問いかける。


「貴様、名を名乗れ」

「ひひ……ヒヒッ」


 血走る目を見開いて涎をたらす様を見て、夕都は朝火の腕をつかみ、引き寄せる。

 男は何事かをつぶやき続けていた。


「おまえがわるいんだ、おまえがわるい、わるい、おまえが、わるい」


 その目は宙へと注がれているが、恨みごとは夕都に告げられているのがわかる。


 呻き声が響き渡るのを聞いて、夕都は息を呑み、赤い靄を刀身で薙ぎ払う。

 晴れた先に、泣き叫ぶ珠蘭の姿を見つけた。

 珠蘭はすさまじい量の龍脈をその身に集結させる。

 師姉である桜綾は、片脚で立ったまま、師妹を止めようと声をあげるが、今にもくずおれそうだ。

 夕都は前に出ようとする朝火を押しのけて、目で意図を示す。

 朝火が刀を降ろしたのを眺めやり、石床に腰をつけた。刀を傍らにおいて、座禅を組む。

 身体の内側から溢れ出る龍脈の力を感じ取り、珠蘭をつつむ赤い龍脈にぶつけた。

 珠蘭の意識が、夕都の意識とつながる。夕都は、幼い珠蘭が両親をさがす姿を見守った。

 珠蘭は、破壊された家屋から這い出て、ひたすらに父と母を呼ぶ。


妈妈まーま! 爸爸ばーば! どこなのお?」


 この時代、中国は統治前であり、内戦がつづいていた。 

 おさない少女は戦に巻き込まれ、自宅を破壊されたのだろう。

 恐らく両親は下敷きに……だが、幼いあまえたがりの歳の少女は、やみくもに親を捜し回る。

 夕都は、珠蘭が壊れた自宅を振り返った瞬間、金の龍脈を飛ばした。

 珠蘭のまわりは金色の靄につつまれる。何が起きたのかわからず、彼女はなきじゃくった。


妈妈まーま! 爸爸ばーば!」

「ここよ!」

「珠蘭!」


 父と母の呼び声に、珠蘭は顔をかがやせた。

 ほどなくして見えた両親の姿に、目を赤くして抱きつく。

 しきりに父と母を呼び、しゃっくりをする娘を、親はおだやかな眼差しで見つめる。


「一人にさせて、ごめんなさいね」

「もう龍子の力は使わなくて良い」

「うん……」


 親子の再会を果たした珠蘭は、両親に身を委ねて破顔した。


 その光景を見守る夕都の前に、うつくしい女人があらわれて、言葉を紡ぐ。


『私達が出会った時代は、まだ内戦がつづいていたのです。孤児となった私達を、師父が保護したけれど、私達の龍子としての力を求められたにすぎない』


 夕都はだまって目を伏せた。

 彼女は、妹同然の珠蘭を守るため、師父の脅しに屈したのだ。

 珠蘭は姉に裏切られたと思い込んでいたが、勘違いだ。


「はっはハハハハハッ」


 突然の高笑いに空間からひきずり出される。室内の靄は晴れて、珠蘭が桜綾をだきしめて、二人は蹲っていた。

 嗤う声は、趙翰の肉体を乗っとった男の声だ。恐らく、珠蘭と桜綾の“師父”であろう。

 夕都は朝火に身を寄せると、刀をかまえ直して、奴を睨みつける。

 男の目は赤く光り、首を奇妙にかしげると、突然、朝火に向かって襲いかかった。


「やめろ!」


 咄嗟に叫び、夕都の胸に男の腕が埋められてしまった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る