第16話〈少女の歪んだ願い〉
桃源郷に赤い龍脈が吹き荒れる。
靄にしか見えないが、山頂へと、すなわち宮殿に集中しているようだ。
夕都は、自身の刀である“大蛇の麁正の形代”を使って、周囲に結界を張るが、華山から絶えず流れ込む赤い龍脈からは、語りかける意志を感じていた。
岩の上で座禅を組み、瞳を閉じて意識を集中させようとしても、責めるような声の羅列につい脳内で反応してしまう。
“お前のせいで我々は永遠の苦しみに囚われたのだ!”
“なんで俺のせいなんだ?”
夕都の疑問に、赤い龍脈に流れる意識は、濁流のごとく言葉をたたきつけた。
“私達は中途半端に現世にとらわれたまま”
“ほんの少し龍脈を扱えるだけで、龍脈を守る精霊人にされた”
“死ぬことができずに重い肉体をひきずったまま、もがき苦しんでいるんだ”
“肉体がなくなり龍脈にとりこまれれば、永遠の輪廻を繰り返す”
“全て貴様のせいだ!!”
――!
さらに問おうとした夕都の意識を、赤い龍脈の意識が縛り付けようと暴れだす。肉体にも攻撃をしかけるので、朝火が刀身を振りかざして赤い龍脈を刻む。
悲鳴のような甲高い音が鼓膜を揺さぶった。
夕都は水面下から顔を出すようにせわしなく呼吸を繰り返す。
ふいに背中を誰かがさすってくれたので、相手に礼を伝える。
「ありがとう……?」
滲む視界に地に寝かされた貴一と、刀を振り回して赤い龍脈を霧散させる朝火が見える。
ゆっくりと振り返り、見知らぬ男に頬をひきつらせた。
白髪交じりの長髪に、古めかしい衣服は長袍という衣装だろうか。やけに目がギラついている。
男が先程から無言で、夕都の背中やら肩やらをさするというより、触りまくっている。
「あ、あんたは誰だ」
眉根を寄せて訊くと、男は目を見開いて声を張り上げた。
「お前! なんとも不思議な魂を持っているな!? 金の龍脈をどこから出した!?」
「は?」
男の“金の龍脈”という言葉に心臓がはねた。
夕都は座禅を解いて、思考を巡らせる。
自分は特別なスサノオの童子で、龍主である。龍脈を扱うことができるが、いつもその場に流れる龍脈を利用していたのだ。
――華山に、日本の龍脈が流れているわけは、ないよな?
先程、貴一を助けるために、夢中で華山の龍脈を利用した筈なのだが、言われてみれば、あのとき、金色の龍脈が輝いていたような。
頭を振り、記憶を辿る。
……なぜか、稲穂畑に佇む人々や、傍らに子供がいる光景が脳裏に蘇る。
子供には、なんとなく朝火の面影が……。
「うっぐうぁああああっ」
頭痛に襲われて地に転がった。
うめく夕都を朝火が助け起こす。
朝火に頬をさすられると、若干頭痛が和らぐのを感じて、頬が緩んだ。
薄く開いた視界に、朝火の真顔がある。
「来るぞ!」
男の怒声に頭を刺激されて、頭痛が増す。片目だけはどうにか開けて空を見ると、赤い靄にすっかり覆われていた。
夕都は朝火に身体を支えられながら立ち上がり、唇をかみしめる。
「遅かったか」
「まだ間に合う。貴一を起こそう」
その時、気合いをいれた叫声が響いた。
あの奇妙な男が跳躍して靄を両腕でなぎ払う。
赤い靄に穴があいて次々に霧散する。
男は大声で呼ばわった。
「お前達! いま山頂を目指さんと手遅れになるぞ! 早くいけ!」
「まさか、俺達を通すために?」
夕都は目を見開いて朝火に顔を向ける。朝火は眼鏡ごしに瞳を細めて頷いた。
「行くぞ」
「ああ」
夕都は刀を腰に差すと、貴一を背負って 階段を上がり始める。朝火が刀で龍脈を切り裂く鋭い音が鼓膜を揺さぶった。
その後方では、あの男が拳をふるって迫る龍脈をさらに阻む。
龍脈は赤い靄のようにしか見えないが、取り込まれた数多の精霊人の意識を強く感じる。
皆、夕都を責めたてて、引きずりこもうと叫び声を上げた。
――幻聴だ!
夕都は頭を振って、石階段を駆けていく。背中の重みは大したことはない。
突然、身体が傾いだ。
足を踏み外したのだ。
声を上げた時、山頂からまばゆい光が溢れて、辺りを包み込む。
「……っ」
金色の光と赤い光がぶつかりあう。
強烈な力により、身体から力が抜けていくのを感じる。
――ま、まずい。
夕都は地響きのような轟音を聞きながら、意識を失った。
「夕都さん!」
目を覚ました貴一は、地に向かって落下しながらも手を伸ばすが、やがて夕都の姿は光にとけてしまう。
身体が軽い。それに、地面が近いような。目の前に広がるのは、床に椅子、卓に寝台。
様変わりした世界に貴一はあわてた。
(なんだこれ)
「ピピッ」
(え?)
今、確かに鳥の鳴く声を聞いたような。硬直していると、柔らかい何かが肩にふれるので、そちらを向く。すると、愛らしい桃色の小鳥が、小首をかしげて見つめていた。
「ピピッ」
(かわいい)
「ぴい」
(貴一さん、わたしよ、茉乃)
「ピィ!?」
(そんな、茉乃さん!?)
羽をはばたかせた貴一は、ようやく自分が小鳥になっている事実を知った。
小鳥茉乃と仲良く籠に入れられて、羽を休めていたのだ。
ぼんやりと小鳥の茉乃を眺めていると、きしむ音が部屋に響く。
部屋のドアから誰かが入ってきた。
貴一は室内に違和感を覚える。
壁には丸い飾り窓。卓には骨董品のような茶器。平らに近い茶碗が数個並べられており、急須はやたら丸い。
形状からするに、日本の物とは思えない。
それによく室内を観察すると、パズルみたいに四角い板がいくつもはめられた箪笥や、花のような形をした背もたれの低い椅子に、傍にある小さな卓。
そんな椅子は二つ並んでいる。
生活感が垣間見える部屋に、住人らしき少女が足を踏み入れた。
窓を開け放つと、背伸びをして貴一と茉乃へと近寄る。
少女が顔を近づけたら、小鳥茉乃が鳴いた。
「ぴぴっ」
(この子、珠蘭だわ)
「ピィ」
(珠蘭?)
茉乃に詳しく聞くと、珠蘭というのが、桃源郷の主だと知る。
眼の前で小鳥を微笑みながら見つめているこのあどけない少女が、桃源郷の主とは。
貴一は小首を傾げて、珠蘭に顔を寄せてじっりと見つめる。
頭上の左右で髪をお団子にして、衣服は桃色のチャイナ服。
歳は十歳ほどだろうか。
小鳥貴一と茉乃を見て満面の笑顔だ。
「もうすぐ素敵な人が迎えに来てくれるの。もちろん、あなたたちも一緒よ」
「ピィ」
小鳥貴一は、珠蘭が、自分と茉乃を呼んだのだと気づいて鳴いた。
茉乃は、小さな身体を揺らして、珠蘭に答えるように囀った。
数日の後に、二羽は珠蘭と共にある男に連れて行かれた。
傍には姉のような存在がいる。
歳はそう変わらないだろう。
姉は師父と呼ぶ男の懐に飛び込む。
男は道士のような格好をしており、長い髪を頭上でまとめあげ、利発そうな青年である。
彼の口から内戦だの、まだ国が一つではないだのと飛び出すので、内容からするに、ここは約百年前のまだ中国が成立していない時代だと分かった。
二人の年端も行かぬ少女は、幼いながらも道士の服を着て、地に額をつけて、師父に拝礼する。
鳥籠の中で、小鳥貴一と茉乃は三人を見守る。
小鳥茉乃は小さな声で鳴いた。
「ぴぴ」
(あのお姉ちゃんもしかしたら、あの、あ……)
「ピィ」
(茉乃さん大丈夫?)
小鳥茉乃は震え出して鳴くのをやめる。
珠蘭が、師姉と師父に甘えるように話す。
「三人で桃源郷を探しだしたら、いつまでも家族として暮らせるわ、ね?」
「そうね。珠蘭」
「……いずれ、新しい家族もできるだろう」
「まあ。わたしまだお嫁さんにはいかないわ」
「珠蘭、共に人々を助ける為に、龍子として頑張りましょう」
「龍脈の扱い方を教えてやろう」
「はい!」
珠蘭も姉も、恭しく手を組み、顔を見合わせて微笑みあう。
やがて、三人の姿はぼやけていく。
荒々しい声だけが、白い空間に轟いた。
“珠蘭、私達愛しあっているの”
“そうだ。私達は二人で生きていかなければならない”
“桃源郷は見つかったわ、そこで三人で暮らすんでしょ? 精霊人が救われる方法だって探さなきゃ”
“あれは桃源郷ではない。いずれ消え去る世界だ”
“ちがう! 私、龍脈から、精霊人から教わったわ! 秘術を使えば! 父さんと母さんにまたあえるわ!”
“珠蘭”
“本当に二人が私を捨てるなら……許さない!!”
世界は真っ赤に染まった。
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