第14話〈禁忌の少女〉
※グロ描写注意
影が上から落ちてきて立ちふさがる。
珠蘭がまさに天女のごとく舞い降りたのだ。
茉乃はあやうく彼女に当たりかけたが、既の所で腰を抱かれてしまう。
甘やかな香りにめまいを覚える。
珠蘭の背後には、巨大な扉がそびえ立つ。どの道、茉乃の腕力では開けない。
いずれ、貴一が宮殿にやって来る。
茉乃は、珠蘭に手を引かれながら瞳を伏せた。
珠蘭は茉乃の耳元に、鈴音のような声でささやく。
「安心して、貴女の恋人は傍に置いてあげる。良い子な人形にしてね」
「……っ」
――人形。
物騒な言い方に、茉乃は唇を噛み締めて主を見つめた。
貴一が宮殿にくるまでには、時間がかかると説明されたが、桃源郷と外の時間軸がズレているのを感じていた。
家僕と呼ばれている男女が、茉乃の世話をしてくれる為、生活に支障はない。
朝も来れば夜も来る。
ただ、太陽も月も星の姿も見えなかった。
部屋の扉の先は、中庭に繋がり、結界を張られている。
茉乃は結界というのがどんなものか、なんとなく想像できてはいたが、実際に触れてみて、痛みが走るのだとわかり、逃げ出すには、策を練る必要性を実感した。
ある時、扉が誰かにノックされるのに気づいて声をかける。
「誰……まさか、貴一さん?」
「主様がお呼びです」
何だと肩を落とす。扉を開けると、身なりに品がただよう青年が微笑んでいた。
家僕にしては、血色もよく溌剌としてる。
茉乃は、青い長袍に身をつつむ、青年の顔を見つめて尋ねた。
「貴方は」
「血飢の儀式をお手伝いいたします、趙翰です」
「……美作茉乃です」
家僕の中でも地位があるのだろうか。
両手をあわせる所作――拱手をする様子を見て、家僕ではないと確信する。
この宮殿にいる家僕は、皆一様に土気色で、生きているのが不思議に思えるほどだ。
趙翰と名乗ったこの青年は、精気が漲り、意気揚々としていた。
趙翰は、部屋から出るように告げるので、戸惑いつつも従うことにする。
朱色の柱がつづく回廊を歩いていく。
山頂から眺める山河は壮麗で、自分の状況を一瞬忘れてしまうほどだ。
回廊の突き当りには、主のいる玉座の間の扉があり、天井を貫くかのようである。
趙翰が前に立つと、声を張上げて名乗った。
「珠蘭様! 趙翰が参りました。巫女も一緒です!」
「入りなさい」
扉は重苦しい音を立てて開かれていく。
趙翰は手を合わせる所作――拱手をしたので、茉乃もならう。
珠蘭は玉座で、鈴音のような笑い声を響かせる。
裾と袖を翻し、音もなく目の前に降りたった。
二人に笑いかけると、背を向けて歩を進める。
「ご馳走してあげるわ、来なさい」
茉乃はこの宮殿に連れて来られてから、質素な食事しか与えられていない。
巫女の肉体は、血も綺麗でなければならないと、菜食中心の料理を食べるように命令されていた。思い出すと、舌に粘りつくような味にため息をつく。
奥の大部屋に足を踏み入れると、丸い窓が囲むように壁に穴をあけていて、差し込む柔らかな光が印象的だった。
丸い卓の前の椅子に、三人それぞれ腰かける。その時、家僕達が四方から現れて、料理が盛られた大皿を次々に運んでくる。俊敏に置かれていく皿の上に盛られた、色鮮やかな盛り付けの菜、肉、魚介と思しき料理に食欲を掻き立てられた。
匂いの共演に鼻腔がひくつく。
「久しぶりですよ、こんなご馳走は」
趙翰が目を輝かせる。
家僕の少女が箸を差し出すと手に取り、早速、中心の肉料理に箸をつけた。
茉乃は手羽元を焼いたような肉料理を見て、何故か胸がざわめく。
趙翰はぷるんとした肉を皿にとり、一口かじりついた。
目を見開いて咀嚼すると喉を鳴らす。
「柔らかくてうまい」
「そりゃあそうでしょう、最高級よ! 巫女も食べなさいな」
「え」
珠蘭にすすめられると、どうにも断れない。茉乃は勇気を出して、肉を頬張ってみた。歯に触れた途端にとろけてしまう。甘辛い味付けも舌にほどよく絡み、香ばしい匂いが鼻腔をつきぬけた。
「ん……美味しい」
肉を飲み込んだ後、思わず呟いたら、珠蘭が腕を組んで自慢げに言う。
「当然でしょ、私が自ら熟成させた肉だもの。まあ、最高級はまだまだ熟成中だけどね」
「熟成?」
「へえ。これほどの肉を作るだなんてやりますねえ、ところで私の部屋は……」
茉乃は何の肉なのかを訊きたかったのだが、趙翰が口を挟んだので、あやふやになった。
血飢の儀式についての詳細を尋ねようとしたら、はぐらかされて、男の家僕二人に腕を掴まれ、部屋に閉じ込められてしまった。
趙翰が扉ごしに心配そうな声をかけてくる。
「巫女さん、大丈夫かい」
「はい。あの」
「ん」
なんだか、この趙翰という男は気になり、理由は明確ではないが、どことなく貴一を思い出す。
ふいに彼が心配になり、つい話しかける。
「趙翰さんは、他の人達とは違うみたいなので、お気をつけて」
「……さすが巫女だな。気づいたか。大丈夫だから」
「はい」
趙翰からは、人を寄せ付けぬ雰囲気が漂う。
その夜。
扉を引くような音を聞いた茉乃は、目を覚ます。
部屋の扉が開いている。天蓋のカーテンの隙間に身を滑らせて、ベッドを降りた。ぼんやりした頭で廊下を見やる。
暗闇を月明かりが照らす中、誰かが歩いていた。
あれは、趙翰である。
茉乃は後をつけてみた。
なんとなく胸騒ぎがしたのだ。
廊下には所々ランプ、灯籠が灯されているが、視界は良くない。
つまずきそうになりながらも、趙翰がある部屋の前で立ち止まり、なんなく開ける姿を見る事ができた。
開いた扉の隙間から、怒声が上がる。
「珠蘭め! 赦さん!」
「え?」
趙翰は、椅子に座る人に縋りついて泣いていた。
茉乃は、その少女の姿に悲鳴をあげる。
少女の両腕と片脚が無かったのだ。
腕も脚も、包帯を巻かれて血が滲んでいるが、少女は虚ろな目をして微動だにしない。
「……見たか、巫女よ、我が愛弟子の憐れな姿を」
「で、弟子?」
「私達は、愛しあっていた。だが、あの珠蘭は嫉妬して、禁忌である食人の秘術に手を出したのだ!」
「食人」
茉乃はその言葉の意味を理解した途端、珠蘭に勧められたあの肉を思い出す。口元に手を当ててえづく。
くずおれた茉乃を、趙翰が肩と背中を支えてくれた。
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